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第2話 おじさん、3日で戦場に放り出される

訓練場に足を踏み入れた瞬間、むっとした熱気が肌にまとわりついた。

土の匂い、汗の匂い、革鎧の油の匂い。

どれもオフィスでは絶対に嗅がない、生々しい“戦場の匂い”だ。

地面は踏み固められた土で、ところどころに乾いた血のような黒い染みがある。

木製の人形が並び、槍の束が無造作に立てかけられ、石が山のように積まれていた。


「まずは投石だ! 腕を振り切れ!」


号令と同時に、周囲の若い兵士たちが石を掴んで投げ始めた。

その動きは迷いがなく、まるで日常の一部のように自然だ。


俺も石を拾い上げる。

手のひらにざらついた感触が残り、重さがずしりと伝わる。


「……これ、投げるのか?」


試しに振りかぶって投げてみる。


「っ……!」


肩に鋭い痛みが走った。

四十歳の身体は正直だ。

普段はマウスとキーボードしか持たない腕が、急に石を投げられるわけがない。


「ラース、もっと腰を入れろ! 腕だけじゃ投げられんぞ!」


グスマンが笑いながらアドバイスしてくる。

だが、腰を入れたところで痛いものは痛い。

三十分も続ければ、腕は震え、肩は焼けるように熱くなり、汗が目に入り視界が滲む。


「ぜぇ……ぜぇ……」


息が上がり、胸が苦しい。

肺が酸素を求めて悲鳴を上げている。


「ラース、顔色悪いぞ!」

「……死ぬ……」

「ははっ、まだ槍が残ってる!」


地獄か。




槍は思った以上に重かった。

木の柄は太く、鉄の穂先は冷たく重い。

持った瞬間、腕が悲鳴を上げる。


「二人一組! 交互に突け!」


グスマンと組むことになったが、彼の突きは重く、速い。

槍の先端が空気を裂く音が耳元でヒュッと鳴る。


「ほら、ラース! 突け!」

「う、うおっ……!」


突こうとすると、肩が抜けそうになる。

腕が震え、槍先がぶれる。


「おっさん、ほんとに兵士になったばかりなんだな」

「……うるさい……」


突くたびに肩が悲鳴を上げ、足がもつれ、汗が滴り落ちる。

手のひらは摩擦で赤くなり、皮がむけそうだ。

周囲の若い兵士たちは軽々と槍を扱っている。

その動きは滑らかで、無駄がない。

対して俺は、ただ槍に振り回されているだけだ。


「ラース、もっと前に重心を――」

「無理……死ぬ……」

「ははっ、まだランニングが残ってる!」


地獄の二周目か。



訓練場の外周を走る。

土埃が舞い、喉が焼けるように乾く。

足は棒のようになり、膝が笑い、呼吸は荒くなる。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」


肺が痛い。

心臓が破裂しそうだ。

汗が全身を流れ落ち、服が肌に張り付く。


「ラース、遅いぞ!」

「無理……ほんとに死ぬ……」


若い兵士たちは軽快に走っていく。

俺だけが取り残され、足を引きずるように前へ進む。

最後の一歩を踏み出した瞬間、膝が崩れ落ちた。


「おい、大丈夫か?」


グスマンが手を差し伸べてくる。

その手は大きく、温かく、力強い。


「……なんとか……」

「ははっ、明日も訓練だぞ!」


笑いながら言うグスマンに、俺は心の中で叫んだ。


――明日もこれやるのかよ……!



三日目の昼。


食堂で硬いパンを噛みしめていると、

扉が勢いよく開き、兵士が転がり込むように駆け込んできた。


「帝国軍が攻めてきたぞ! 西門だ!」


その声が響いた瞬間、食堂の空気が凍りついた。

誰もが息を呑み、椅子を蹴って立ち上がる。

パンを落とす音、椅子が倒れる音、誰かの短い悲鳴。


俺の心臓も凍りついた。


――来た。

――本当に戦争が来た。


槍を持つ手が震える。

石袋を肩にかけると、その重さが妙に現実味を帯びてきた。


「ラース、行くぞ!」


グスマンに背中を押され、俺は半ば引きずられるように西門へ向かった。



城壁の階段を駆け上がると、

視界の先に“砂埃の壁”が見えた。

地平線の向こうから、黒い影がうねりながら迫ってくる。

馬の蹄が地面を叩く音が、地鳴りのように響く。

ドドドドドドド……!

胸の奥まで震える低音。

鼓膜がビリビリと震え、心臓の鼓動と混ざって気持ち悪い。


「帝国軍だ!」

誰かが叫んだ瞬間、

俺の喉がカラカラに乾いた。

砂埃の向こうから、

金属の光がちらつく。

槍、盾、鎧。

そして、黒い旗。

――本物の軍隊だ。

ゲームや映画で見た“戦争”とは違う。

これは、俺を殺しに来る“現実の敵”だ。


「投石準備!」

号令が飛ぶ。


俺は石袋に手を突っ込み、石を握った。

手のひらに伝わるざらつき。

汗で滑りそうになる。


隣を見ると、グスマンがニヤッと笑っていた。

「ビビってるか?」

「……当たり前だろ……」

声が震えていた。



帝国軍が弓を構えた。


「伏せろ!」


ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!

矢が空を裂き、城壁の縁に突き刺さる。

石が砕け、破片が頬をかすめた。


「うわっ……!」


思わずしゃがみ込む。

心臓が喉までせり上がってくる。


「ラース、顔上げろ! まだ死んでねぇ!」


グスマンの声が、妙に遠く聞こえた。



「投石!」


号令と同時に立ち上がり、石を投げる。

腕が悲鳴を上げる。

肩が焼けるように痛い。

だが、投げないと死ぬ。

石は弧を描き、帝国兵の頭上へ落ちていく。

悲鳴が上がる。

だが、すぐにかき消された。

帝国軍がさらに近づいてくる。


「もう一度だ! 投石!」


石を掴む。

投げる。

しゃがむ。

矢が飛ぶ。

また投げる。

その繰り返し。

時間の感覚が狂っていく。

腕は痺れ、汗が目に入り、視界が滲む。



そのとき――


ゴォォォォッ!

空気が焼けるような音がした。

視界の端に、赤い光が走る。


「ファイヤーボールだ! 伏せろ!」


火の玉が城壁の上をかすめ、

熱風が顔を焼いた。


「っ……熱っ!」


髪が焦げる匂いがした。

心臓が跳ね上がる。


――魔法。

――本当に魔法がある世界なんだ。


現実感が崩れ、足が震えた。


「ラース、死にたくなきゃ投げ続けろ!」


グスマンの怒鳴り声が、俺を現実に引き戻す。



帝国軍は止まらない。

砂埃を巻き上げ、城壁へ迫る。

矢が飛び、火球が飛び、兵士たちの叫びが響く。

俺はただ必死に石を投げ続けた。

腕はもう上がらない。

肩は悲鳴を上げ、手のひらは擦り切れ、

息は荒く、胸が痛い。


「ぜぇ……ぜぇ……」


それでも投げる。

投げないと死ぬ。

夕暮れが近づく頃、

帝国軍はようやく後退を始めた。


「退いたぞー!」


誰かが叫び、城壁の上に安堵の声が広がる。

俺はその場にへたり込み、

石袋を落とした。


「ラース、生きてたか!」


グスマンが笑いながら肩を叩いてくる。

その手の重さが、妙にありがたかった。


「……なんとか……」


声がかすれていた。

初めての戦場。

俺はただ、生き延びただけだった。

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