第20話 大脱出
その後、サイカ(才牙)は魔法科日本支部内の最新鋭の施設で、様々な検査を受けた。
結果、導き出された診断は, 彼の身体は――否、彼女の身体は、魔力バイタル、細胞活性、臓器の機能に至るまで、「幼女として完璧な健康体である」ことが科学的・魔法的に完全に証明されてしまったのだ。
「ああ……よかった……! 本当によかったわ……!」
柊部長は、検査結果のシートを抱きしめるようにして、安堵の涙を浮かべた。葵と刹那も、隣で胸を撫で下ろしている。彼女たちは「命を削っている」という先入観があったため、この結果を「過酷な戦闘に耐えうる、奇跡的な生命力」と解釈したのだ。
しかし、当の才牙は、冷たい検査台の上で絶望の深淵を覗いていた。
(……健康体? 科学的に『幼女』だって太鼓判を押されたってことかよ……。死にてぇ……。俺の18年間のオスとしての歴史はどこに行ったんだよ……いや、ばれたい訳じゃねーんだが)
「自身の身体が、物理法則レベルで完璧な幼女である」という公的な証明。それは、彼にとって「男に戻れる可能性」がさらに遠のいたことを意味していた。
ともあれ、「変身解除はしなくていい」という条件で、正式な認可魔法少女として登録された才牙は、これでようやくこの地獄から脱出できると確信した。彼はよたよたと、慣れない小さな足取りで立ち上がり、出口へと向かおうとした。
だが、その背中に柊部長の重く、慈愛に満ちた声がかけられる。
「サイカくん。……一つ、提案があるの」
柊は真剣な眼差しで、その小さな背中を見つめた。
「サイカくん。君、今日からここ(日本支部本部)で暮らさないかしら? ここなら、最新の医療も、美味しい食事も、君が望むものなら何でも用意してあげられるわ。どうかしら?」
柊の提案は、野良の魔法少女として荒んだ環境にいたであろう才牙を公の監視下に置き、その「悲劇的な運命」から物理的に隔離して保護するという、彼女なりの最大限の優しさだった。
しかし、才牙にとって、その言葉の意味は全く異なっていた。 「一生、この幼女の姿のまま、魔法少女の巣窟で飼い殺される」という、人生最悪の永久監禁宣言に他ならなかったのだ。
「やだ!(冗談じゃねえ! 家に帰らせろ!)」
才牙は、今日一番の拒絶を込めて首を振った。
その強い拒絶に、三人は顔を見合わせ、困り果てたような表情を浮かべた。 「命を削って戦っている」うえに、「義務教育すら受けていない(と誤解されている)」この危うい少女を、再び暗い孤独な放浪生活へと返すことは、魔法科の正義としても、一人の女性としての情としても、断じて許されることではなかった。
「サイカちゃん、外は危ないんだよ? ここなら、私たちが一緒にいてあげられるし……」
葵が困り顔で眉を下げる。刹那も、腕を組んで才牙を逃がさないように出口を塞いだ。
柊、葵、刹那の三人は、サイカを「命を燃やして世界を救う悲劇の少女」と完全に信じ切っている。ゆえに、彼女たちの「人道的な親切心」は鋼よりも硬く、才牙の必死の訴えを「幼い子供のわがまま」として優しく受け流し、頑として解放しようとしない。
(くっそ! 認定さえ受ければ自由になれるんじゃねーのかよ! このままじゃ、母ちゃんが夕飯作るまでに帰れねえ……!)
尊厳もプライドもズタズタになり、精神的な袋小路に追い詰められた才牙は、ついに番長としてのプライドを完全に捨て去り、この地獄から抜け出すための最終手段に出た。
「……お、おトイレ……行きたい……」
顔を赤らめ、モジモジと震えながら放ったその一言。
「!? ……ああ、ごめんね! 気が利かなくて」
柊部長は、慌てて葵に指示を出した。
「葵、案内してあげて! その、くれぐれも失礼のないようにね」
「はーい。サイカちゃん、こっちだよー。お手て繋ごうか?」
才牙は、幼女の姿で手を繋ぎながら、葵に連れられてトイレへと向かうという新たな屈辱を味わいながらも、脱出への希望を胸に抱いた。
豪華な大理石造りのトイレに案内された才牙は、葵の「じゃあ、外で待ってるからねー」という声を聞き届けると、個室に入るなり鍵をかけ、小さくも荒い声で空中に話しかけた。
「おい! クソキノコ!! とっとと出てこい!!!」
その叫びに応じるように、チーポが個室内にワープしてくる。気絶から回復したらしい。
「なんや、酷いやんか! ワイが気絶してる間に消えるなんて!!」
「ふざけんな! お前が気絶してる間に、俺がどれだけ酷い目にあったと思ってやがる!!」
才牙は、今は変身が解除できないという致命的な状況と、このままでは魔法科本部の「過保護」に一生閉じ込められるという絶望的な未来を、涙ながらに(怒りで)訴えかけた。
「いいか、俺は今、魔法科に軟禁されてるんだ! 変身も解けねえし、このままじゃ一生幼女として飼い殺しだぞ! どうにか脱出させろ!」
才牙の切実な訴えに対し、チーポは空中に浮きながら、あくび混じりに言い放った。
「ほーん、そのまま幼女で居ればええやん(笑)。可愛がってもらえるし、お菓子は食えるし、ええこと尽くめやで?」
「……なら、俺は二度と戦わねえ。次アンヴァーが出ても指一本動かさねえ」
「ぐぬぬ……! せ、せやなー、それは困るわぁ。稼げんくなるのは最高に嫌や……。……しゃあない、バリアをいじって『透明』になるとかどうや?」
「透明? どうやってだよ。物理的に消えんのか?」
「自分の体に超薄型のバリアを張って、光の進む方向を後ろに受け流す様にするんや。理屈は簡単やろ? 後ろの景色を前に通すだけや」
チーポは、到底「簡単」とは言えない、超高度な魔法操作を無責任に提案した。 本来なら、光の屈折率を全方位から完璧に同期させ、背後の風景をラグなしで前面に映し出すという、高等技術。
だが、才牙の脳内では、それが別の概念に変換されていた。
「ほーん……? よくわかんねえけど、流れを操作すんだな。喧嘩で敵の視線を逸らすのと同じか……。……こうか?」
才牙は、チーポの適当な説明を「感覚」で理解した。 自身の表面に極限まで薄い膜を張り、そこに衝突する”何か”を意識する。 殴りかかってくる拳の軌道を僅かな手出しで変えるように、背後へと「いなす」。「防ぐ」のではなく、透過させるように逃がす――。
次の瞬間、個室にいたはずの銀髪の美幼女の姿が、陽炎のような揺らぎと共に消失した。
「……っ、うお!? マジで消えた!?でもむずいな、ちょっと気を緩めるとブレちまう」
目の前から自分の手足が消え、背景の壁だけが見える状況に、才牙自身が一番驚いて声を上げた。
「おー、マジで出来とるやん! ホンマに出来ると思わんかったわ! 魔法ってほんま凄いなぁ!」
「こいつ……出来ねえかもしれないことを適当に言いやがったな……」
才牙は透明化した自分の手を、見えないまま握りしめた。これなら、ドアの外で待っている葵の横をすり抜けて、このビルから脱出できるかもしれない。
「よし、これで逃げるぞ。チーポ、お前は後からワープで付いてこい。……悪いが俺は『静かな日常』に戻らせてもらうぜ!」
才牙は透明化した状態で、心臓の鼓動を抑え、音を立てないようにこっそりとトイレの個室のドアを開けた。
入り口では、葵が「まだかなー? お腹壊しちゃったのかな」と心配そうにスマホを眺めている。彼女のすぐ目の前、わずか数十センチの距離を「透明なサイカ」が通り過ぎているが、葵はスマホ画面の反射にすら映らないその影に、全く気づいていない。
(よし、完璧に見えてねえ……! あばよ!)
確信を得た才牙は、そのまま葵の横を音もなくすり抜け、廊下へと躍り出た。 日本支部の内部構造は要塞のように複雑だが、才牙は喧嘩で培った観察眼をフル稼働させる。角を曲がる職員の後ろをピッタリと追尾し、認証が必要な自動ドアやセキュリティゲートを、閉まる直前に、小さな体を最大限利用して次々と「便乗」突破していく。その様は、まさに最強の隠密幼女だった。
「あれ、今なんか扉の動きが遅かったような……?」
「気のせいじゃない?」
職員たちの困惑を背に、才牙はついに日本支部の巨大な正門を潜り抜け、外界の空気を吸った。
そのまま魔法科日本支部を完全に脱出した才牙は、見つかる前に距離を稼ぐべく、数キロ離れた近くの公園まで一気に走り抜けた。小さな幼女の体では歩幅が狭くてじれったいが、透明化を維持したまま、必死に脚を動かす。
ようやく辿り着いた公園の多目的トイレに飛び込み、内側からガチャンと頑丈な鍵をかけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……! っよし……! 誰にも気付かれてねーな!? チーポ、今すぐ変身を解け!! 」
「しゃーないなー、解除るでー。せっかくの可愛さが勿体ないわぁ、マジで」
チーポが不服そうに指を鳴らした瞬間、才牙の体をまばゆい光の奔流が包み込んだ。視界が白く染まり、感覚が急速に書き換えられていく。
光が収まった後、可憐な銀髪の幼女はもういない。
鋭い眼光を放つ三白眼、厚い胸板と鍛え上げられた長い四肢。そして、着慣れたいつもの男子高校の制服――本物の「辰宮才牙」の姿だった。
才牙は、自分のゴツゴツとした大きな手を確認し、握り拳を作ってその感触を噛み締める。そして、低く、深く、太い、紛れもない「男の自分の声」で叫んだ。
「うおーーー! ミッションコンプリートだあああ!!!」
A級アンヴァーの討伐という国家的大金星。 鉄壁の魔法科日本支部からの鮮やかな脱走。 そして、チート級の「透明化魔法」の習得。
地獄のような一日を乗り越え、最強の喧嘩番長は、ついに失いかけていた「男の尊厳」を完全に取り戻した。
しかし彼はまだ知らない、何時までたっても戻ってこない才牙を心配した母・龍華に帰ったら死ぬほど説教される地獄がこの後待ってる事を…




