第16話 決着
魔法少女科日本支部の指令室では、巨大モニターに映し出された映像を前に、誰もが息を呑んでいた。才牙の展開する『シャボン玉』のような球体が、刻一刻とその体積を縮小させていく。
柊部長は、その光景を「命の灯火が消えゆくカウントダウン」として解釈し、血の気の引いた顔で叫んだ。
「な……! バリアの維持がもたなくなっているのか!? 魔力供給が限界だというの!? 他の魔法少女はまだ到着しないのか!!」
柊の焦燥は頂点に達していた。彼女の目には、極限まで寿命を魔力に換えて戦い、ついに防御力を維持できなくなった悲劇の少女の最期が映っているように見えたのだ。 だが、部下からの報告は、さらなる絶望をもたらした。
「そ、それが、何名かは現場に到着していますが、何をしてもあの『シャボン玉』に干渉できないようです! 通信魔法も攻撃魔法も弾かれ、何一つ届きません!!」
才牙の『空間遮断』と誤認されたバリアは、喧嘩番長の矜持が生んだ完璧な*『タイマンの檻』*。 外部からの助太刀も、介入も一切許さない。それは、才牙が「家族や街を巻き込みたくない」という本能で発動させた、あまりにも強固で、あまりにも孤独な隔離壁だった。
「くそ……! 何とか救援を伝える手段は無いのか! あのままでは、彼女は自壊してしまう!!」
世界政府直属の巨大組織は、A級アンヴァーの脅威を前にしながら、その災厄を一人で食い止めている少女に対し、あまりにも無力だった。
現場の路上には、既に葵と、もう一人の魔法少女――*刹那*が到着していた。 刹那は、乱暴にまとめられた長い髪に、魔法少女とは思えぬ「スケバン」を彷彿とさせる荒々しい衣装を纏った、公認魔法少女である。
葵は、目の前の障壁に震える指先で触れ、絶望的な事実を再確認した。
「これが隔絶魔法……。私たちの魔法じゃ、爪を立てることすらできない。本当に入れないんだ……っ」
「くそがっ! 折角ここまで飛ばして来ても無駄骨じゃねーか!!」
刹那は、自分の背丈の半分ほどしかない幼い少女が、自分たちには手も足も出せないA級アンヴァーと、たった一人で「刺し違える覚悟」で戦っているという現実に、プロとしてのプライドを激しく傷つけられていた。
「あんなガキンチョに……あんな震えが止まらねぇようなガキ一人に、全部背負わせてるなんて……情けなさすぎんだろ、アタシらはよぉ!」
刹那の怒りは、自分たちの無力さに向けられていた。 バリアの内側では、才牙が大蛇の首を髪一重でかわし、死の淵で狂喜の笑みを浮かべていることなど、彼女たちは知る由もない。
現場にいる葵と刹那は、障壁のすぐ外側で才牙の戦闘を間近に見ることで、その戦闘スタイルの異常性を思い知らされていた。
葵は、才牙の身体を保護する「防御」の薄さに気づき、愕然とする。
「……ねぇ、あの子。自分自身の身体には、バリアを一切張ってないよね?」
刹那は、その事実に怒りと戦慄を滲ませた。
「だろうな。こんなイカれた強度のバリアを維持しながら、自分を守る分まで魔力を割けるはずがねぇ。……くそがっ! あいつ、マジでイかれてやがる! 自分の命を何だと思ってんだ!!」
正規の魔法少女たちの目には、才牙が自身の安全を完全に放棄し、全魔力を「アンヴァーを逃がさないため」だけに注ぎ込んでいるように見えていた。
見守ることしかできず歯がゆい思いをしていると、突如としてバリアが縮小を始めた。球体が小さくなるにつれ、幼女とA級アンヴァーの距離は近づき、もはや人間業とは思えない苛烈な攻防が展開される。
刹那は、自身の焦燥と才牙への苛立ちを抑えきれず、叫びながらバリアを拳で叩きつけた。
「てめぇ! 限界が近ぇんだろ!! あとはアタシらに任せろ! こんなところで無駄死にすんじゃねぇ!!!」
しかし、その叫びは隔絶された空間に吸い込まれ、幼女に届くことはない。銀髪の少女は、彼女たちを一瞥すらしない。その燃えるような瞳は、眼前の大蛇のみを射抜いていた。
極限の空間。死と隣り合わせの、寸分の狂いもない回避。 その張り詰めた攻防は、見る者を惹きつけてやまない、残酷なまでに芸術的な美しさを放っていた。 葵は、溢れる涙を拭うことも忘れ、その光景に魂を奪われていた。
「……綺麗。」
外側で見守る人々にとって、その光景は―― 「誰にも助けを求めず、ただ街を守るために一人で死んでいく天使の悲劇」 として、残酷なまでに美しく、焼き付いていった。
刹那が涙を浮かべて障壁を叩く中、バリアの内部では、才牙の魔力が極限まで圧縮されようとしていた
内側。 限界までバリアを圧縮し、超感覚で回避を続けた才牙の精神は、全細胞が活性化するような、超然とした興奮に達していた。
「きたきたきたきたきたきた!!!! 十分、魔力が溜まったぜええええ!!!!」
血湧き肉躍る、本物のタイマン。 その傍ら、才牙の肩に乗っていたチーポは、もはや極限の回避に振り回される恐怖に耐えかね、白目を剥いて口から泡を吹きながら気絶していた。
才牙は、チーポの生死など一ミリも気にする余裕はない。 収縮させたバリアから逆流させた膨大な魔力が、才牙の右拳へと凝縮されていく。
バリアの内面は、あまりの魔力密度にスカイブルーの雷光が走り、大蛇の巨体すらその圧力で悲鳴を上げていた。
才牙は、ありったけの圧縮された魔力を右拳に込め、大蛇の核へとその一撃を解き放つ準備を整える。
(やみくもに殴っても、折角貯めた魔力が無駄になっちまう。一撃で確実に終わらせる……!)
才牙は拳に魔力を溜めながらも、冷徹に大蛇の行動パターンを観察し続けていた。 カウンターで首を抉った時、頭を潰しにかかった時、胴体を狙った時――。アンヴァーが最も敏感に反応し、明らかに防御行動を早める箇所が一つだけあった。
「……まあ、そこだよなぁぁ!!!」
A級アンヴァーの胸元、漆黒の鱗の奥で禍々しく拍動する、巨大な赤い宝石のような結晶体。それこそがこの災厄の心臓、*『コア』*である。
才牙は爆発的な魔力で空中を蹴り、一直線にコアへと向かって加速した。 アンヴァーもまた、その小さな拳に宿った究極的な危険性を本能で察知したのだろう。なりふり構わず、八つの首を交差させ、荒れ狂う嵐のごとき無秩序な猛攻で才牙を迎え撃つ。
流石の才牙も、この至近距離での全方位攻撃をすべて捌ききることはできなかった。巨大な牙が才牙の頬を鋭く掠め、白磁のような肌に赤い血が流れる。
しかし、才牙はそれすら気にも留めない。痛みは逆に、彼の集中力を研ぎ澄ませる火種に過ぎなかった。
「これで、おしまいだぁぁぁ!!!」
魔力を極限まで圧縮し、太陽のような輝きを放つ右拳を、大蛇の巨大な胴体――そのコアめがけて、魂ごと叩き込んだ。
ドォォォォォォォォンッ!!!!!
第七地区全域が眩い光に包まれる。 大蛇は全方位の首から、天を割るような断末魔の悲鳴を上げた。 衝撃はコアを内側から粉砕し、逃げ場のないバリア(ケージ)の内壁に激突した巨体は、凄まじい反動でひしゃげていく。
やがて、コアが砕け散ったことで再生の因果は断たれ、あれほど強大だった巨体は、みるみるうちに力を失い沈黙していった。
光が晴れる、大蛇の巨体が崩れ落ちていく、その衝撃さえもバリアが内部で完全に受け止める。
やがてバリアの中に、静寂が訪れる。 血の流れる頬を拭うこともせず、銀髪を激しく乱した幼女は、怪物の残骸を見下ろして勝ち誇った。
「俺の……勝ちだ!!!」
その言葉は、誰に聞かせるためでもない、誇り高い勝利宣言だった。




