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第13話 研ぎ澄まされる心

それからしばらく、第七地区にアンヴァーが現れることはなかった。 人類が出現頻度の低い土地を選んで生活している以上、これは当然享受されるべき平和である。

だが、才牙にとってこの静かな日々は、「いつ執行されるかわからない死刑」を待つ囚人の独房生活そのものだった。

いつ、あの卑猥なキノコに指を鳴らされるのか。 いつ、あの屈辱的な美幼女に変身させられ、世界中に恥を晒し、挙句に「命を削る聖女」などと勘違いされる戦場に放り込まれるのか――。 目に見えないカウントダウンが、日を追うごとに才牙の精神を確実に蝕んでいった。

辰宮才牙は、自室のベッドで布団にくるまり、ガタガタと震えていた。 かつて、裏社会の抗争でヤクザに本物の拳銃を突きつけられた時ですら、彼は「ああ、これ引き金引く前に避けれるわ」と、欠伸が出るほど冷静だった。最強の番長にとって、物理的な死の恐怖など存在しなかったのだ。

しかし、「美幼女に変身させられる」という精神的な破壊力は、銃弾の恐怖を遥かに凌駕する。 その恐怖は、才牙の人生において唯一、魂が凍りつく経験に匹敵していた。すなわち、「母ちゃんに、本気で激怒される」あの瞬間の絶望である。


「幼女はいやだ……幼女は嫌だ、幼女は嫌だ、幼女は嫌だ……」


最強の番長は、小さな声で呪文のように繰り返し、抗いようのない運命から逃れようともがいていた。 常人ならばとっくに精神を病み、不登校になっていただろう。だが、彼はヤクザの猛攻すら無傷で耐え抜いた強靭すぎる精神構造と、超常的な肉体を持ってしまっていた。 ゆえに、精神はボロボロになりながらも、肉体は忌々しいほどに「健康体」であり続けていた。

だが、この極限まで追い詰められた精神的疲弊は、思わぬ副作用を生んでいた。 才牙の感覚は生存本能によって研ぎ澄まされ、彼から放たれる「威圧オーラ」が、無意識のうちに限界突破していたのだ。

 翌朝、学校。 廊下を歩く才牙の周囲には、物理的な冷気すら感じさせるほどの張り詰めた空気が漂っていた。


(頼む、今日は何も起きないでくれ……。キノコ、指鳴らすなよ……マジで頼む……)


心中で必死に祈っているだけの才牙だったが、周囲の生徒たちには、*殺気立った伝説の喧嘩屋が、獲物を探して飢えた獣の目で徘徊している*ようにしか見えなかった。


「おい、今日の才牙さん……近寄るだけで寿命が削れそうな圧だぞ……」


一方、そんな才牙の絶望など気にも留めず、ステルス化して周囲から姿を消したチーポが、才牙の肩に舞い戻ってきていた。


「うっひょひょ〜い! 見てや才牙! ポイントの桁が一個増えとるでぇ!」


チーポは、スマホのようなデバイスを眺めながら、その目は完全にドルマークになってはしゃぎ回っていた。

それもそのはず。この世界において、B級・アンヴァーは、複数の正規魔法少女が連携して討伐するのが一般的であり、それを「単独撃破」するということは、正規の魔法少女ですら「一人前」と認められる為の高いハードルなのだ。

それを二回連続、しかも完全に一人で完封したのだ。チーポの元には、妖精界の口座に聞いたこともないような額の『妖精ポイント』が振り込まれていた。


その一方で、追い詰められた才牙の非常識な<勘>はさらに磨かれて行った、今まで気にしたことのない他者の目線や息遣い、鼓動までもが、今の才牙には手に取るようにわかるのだ、才牙は人生で初めて追い込まれた事により、極限の集中力を身につけようとしていた


……そして、ついにその時は訪れた。


死刑執行前の平和に耐え続けていた才牙は、自室の窓辺で風景を眺めていた。 休日の、清々しい雲一つない晴天。どこかに出かけるには、これ以上ない日であろう。外からは、ピクニックにでも行くのだろうか、近所の親子の楽しげな会話が聞こえてくる。

才牙は階段を下り、リビングでテレビを見ている母・*龍華りゅうか*に声をかけた。


「なあ、母ちゃん。今日休みだろ? 学ランがそろそろきつくなりそうなんだ。買い替えたいから、付いてきてくれよ」

「あん? もうきつくなったのかい!? 本当にあんたは、図体と成長だけはバカみたいに良いわね!」


文句を言いながらも、龍華の顔はどこか嬉しそうだ。幼少期は体が弱かったという才牙が、今や裏社会の頂点に立つほど(彼女はその事実は知らないが)健やかに育ったことは、彼女にとって何よりの誇りなのだ。


「しかし珍しいね! いつもなら『金だけくれ』って言ってるくせに。急にどうしたんだい?」

「あー……ついでに、昼も旨いもん食いてえなと思ってな」

「あーはいはい。ちょっと準備してくるから待ってな。あんたの食欲に付き合うのは大変なんだから」


しばらくして、外出の準備を終えた母が戻ってくる。


「そんじゃ行くか!」

「おう」


他愛のない話をしながら歩く、穏やかな休日。だが、その平穏は唐突に切り裂かれた。街中に響き渡る、あの不吉なアンヴァー警報。


「アンヴァー!? こんな時に……! 才牙、すぐに避難するよ!」

「……っ。あー、やべえ。部屋の電気ストーブ消し忘れたかも。ちょっとすぐ戻って消してくるから、先に避難してくれ」

「いやいや、そんなのいいから! 早くシェルターに行きなさい!」

「すぐ近くだから平気だ。向こう側にもシェルターはあるし、いいから先に行っててくれ! 言い合う時間ももったいねえ。じゃあな!」


駆け出す才牙を、母が呼び止める。しかし才牙は足を止めない。母は止めるのを諦め、ひと際大きな声を投げかけた。


「才牙!!! 大丈夫なんだね!?」


その顔は、今にも泣き出しそうなほど不安に満ちていた。才牙は一瞬だけ振り返り、彼女を安心させるように、最高の、いつもの番長の笑顔で答えた。


「ったりめーだろ!!!」


……しばらく走り、路地裏の影に滑り込む。


「……糞キノコ、来たか」


才牙が呟くと同時に、空間の歪みからワープしたチーポが肩に乗った。チーポは、目玉が飛び出さんばかりに驚いている。


「な、何でわかったんや!? 完璧に気配消してワープしたのに、凄すぎるやろお前!!」

「よく見てれば空間の『揺らぎ』が見える。何かが開く感覚もな……」


精神的な疲弊と引き換えに、才牙の五感はすでに人間を辞め、超常的な領域へと足を踏み入れていた。知識も理論もなく、ただ生き残るための「野生の勘」が魔法の深淵に触れ始めていたのだ。

チーポは、その規格外の才能に改めて歓喜する。


「流石、ワイの見込んだ魔法少女や!!」

「ぐぬぬぬ……」


才牙は怒りを感じつつも、朝から感じていた「世界が悲鳴を上げるような違和感」

それが、すぐ近くまで迫っているのを確信していた。


「……来たか」

「お待ちかねのアンヴァーやー!!!」


才牙は、「幼女化への羞恥」も、「拒否権のなさ」も、そして「平和な時間が壊された怒り」も、全てを飲み込み、天を見上げた。


「ははは、やってやるよ」


その瞬間。 チーポの指パッチンを待たずして、才牙の意志に呼応するように激しい光が溢れ出した。 光が収まった後、そこに立っていたのは、銀髪をなびかせ、スカイブルーの瞳を燃やす最強の幼女。


喧嘩屋の諦めが、守るべき日常のための「覚悟」へと変わった瞬間だった。

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