第9話 歓声と逃走
アンヴァーは校舎をさらに大きく破壊し、運悪く女生徒が瓦礫の下敷きになってしまう、それを手頃な獲物と見定めたアンヴァーは、女生徒めがけて、鋭い爪を振り下ろした。生徒の絶望的な悲鳴が、響き渡る。その爪が、女生徒に触れる直前――
ガキンッ!
凄まじい金属音が響く。アンヴァーの巨大な爪は、小さな銀髪の幼女の身体の前に展開された、あの**「うっすい、シャボン玉のような透明なバリア」**によって、完全に受け止められていた。
才牙はバリア越しに、怒りの形相でアンヴァーを睨みつける。
「てめぇ、俺の縄張りでなにしてやがる」
声は、可愛らしく、幼い少女の声。だが、その声に込められた凄まじい『圧』に、アンヴァーすら一瞬怯む。その隙を逃さず、才牙は渾身の魔力込めた拳でアンヴァーを殴り飛ばした。
ドゴォン!
巨体を揺らし、アンヴァーはグランドの地面を大きく滑っていく。
才牙は、すぐにバリアを解除し、瓦礫に埋もれた女生徒を、その小さな腕で優しく、しかし力強く救い出す。
「おい、平気か?」
「は、はい……」
才牙はぶっきらぼうに答える。
「なら良い」
女生徒は、目の前にいるのが、儚く消え入りそうな姿をしているにもかかわらず、矛盾するような圧倒的な存在感、一切の嘘がない力強い瞳に、一瞬で心を奪われてしまった。彼女の心の中で、恐怖は憧れへと変貌していく。
才牙はそれに気づかず、既に「仕事(アンヴァー討伐)」へと意識を集中させ、ぶっ飛ばしたアンヴァーの元へ再び飛び立つ。
女生徒は、その最強の幼女の後ろ姿に向かって、思わず呟いた。
「……て、天使様……」
才牙の強烈なパンチで吹っ飛ばされたアンヴァーは、校舎の壁に激突しながらも、よろよろと巨体を立ち上がらせた。赤い血管が走る皮膚は、早くも才牙のパンチで抉り取られ、体液が流れ出している。
だが、その目の前には、既に銀髪の幼女<絶望>が仁王立ちしていた。
そして、才牙を中心に、周囲は再び、あの**「うっっっすい、シャボン玉」**によって完全に囲まれる。
最強の盾は、再び、絶対脱出不可能な『決戦場』へと姿を変えた。
「テメェみてぇな汚物が、この学校の生徒に手ェ出すなんざ、百年早えんだよ」
幼い声で吐き出される、喧嘩番長の凄み。
アンヴァーはパニックに陥り、才牙をその爪で引き裂こうと猛攻を繰り出す!
しかし、アンヴァーの猛攻は、最小限の動きで回避される
そして、攻撃を回避した直後には、必ず魔力を込めた拳が、怪物の急所めがけて、容赦なく叩き込まれる。
「さあ、タイマンの時間だ!!!」
才牙の拳がアンヴァーを容赦なく抉る。アンヴァーは耳をつんざくような悲鳴を上げるが、才牙の拳には一切の容赦がない。魔力を込めた鉄拳が、怪物の体を次々と抉り飛ばした。
その凄まじい衝撃と、肉を断つ鈍い音とは裏腹に、シャボン玉の外には何の影響もなかった。音も衝撃波も血の匂いも、すべてがバリアの内側に封じ込められている。
いつしか、避難の遅れた生徒や教師の一部が、その決戦場を遠巻きに囲むギャラリーとなっていた。
天使のような見た目でありながら、悪魔のような喧嘩スタイルで巨悪を圧倒する才牙の姿は、生徒たちに危険を忘れさせるほど強烈で魅力的だった。
彼らの目には、銀髪の幼女が、まるで舞い踊るように巨大な怪物を一方的に殴り倒す姿が焼き付いており。派手な魔法とは全く異なる、生身の暴力の究極であり、同時に、絶対的な守護であった。
才牙は、目の前の敵を一切の容赦なく、急所めがけて、伝説の喧嘩屋のカウンターを叩き込み続ける!
そして、ついにアンヴァーが力尽きて動かなくなり、才牙がシャボン玉を解いた。
シュン……
バリアが消えた瞬間、アンヴァーの巨大な死骸は、あっという間に光の粒子となって大気中に溶け、消えていった。
「――戻るか」
才牙が、チーポを探そうと振り返った瞬間――
周囲を埋め尽くす多数のギャラリーが、才牙の姿を見て一斉に歓声と絶叫を上げた。
「天使様!」「きゃーっ!」「最高!」
その歓声は、才牙がこれまで生きてきた中で聞いた、いかなる悲鳴や怒号よりも、巨大で、熱狂的で、そして恐ろしいものだった。
伝説の喧嘩番長といえども、歓声に囲まれる経験などあるはずがない。彼はいつだって恐れられ、避けられ、孤独だったのだから。未経験のことに、才牙も、一瞬で機能停止した。
「うわああああ!」
生徒たちの歓声に耐えきれず、まるで本当にパニックに陥った幼女のように、あわあわとグランドを逃げ去るのであった。




