3.人生半ばの転換始め
逗留予定だった宿に無事にチェックインして、長旅の汚れを落としてようやく一息。
貴族が大人数で使用する目的で設計されたスペースはワンフロアで一組貸切。ゆったりとられた共用部分にはティータイムを楽しむためのサンルームが備え付けられており、手入れの行き届いた観葉植物が青々と茂っている。
「今日のギルドでの手続きは、とてつもなくスムーズに進みましたね」
「ああ。おかげで食事前に湯浴みまで出来た。優秀な受付嬢だった」
身支度と荷物の整理を終えたカレンがサンルームへ来た時には、メイド達に全てを任せた兄と義理姉になる予定の聖女、セシリアが一足先にのんびりと寛いでいた。
本国から運んできた精緻な絵付けが施されたティーカップを傾ける手は優雅の極みといった様子で、小さな雑音さえ作り出すことがない。
「そうですわね。ここ数日野宿が続いていましたし。…いくら浄化魔法があるとはいえ辛いものですわ。そういえば、ヤマト国にはオンセンやダイヨクジョウという施設があるそうですよ。なんでもとても大きな浴槽に入るとか…」
本国にはない娯楽施設を思い、ほうっと吐く溜息は桃の色を纏っているかのように甘い。
ウエーブを描く銀の髪は柔らかく編み込まれ、肩口に流されて纏められている。それを受ける絹の白い長衣も清潔感に溢れたデザインで、本来であれば聖職者のお手本のようなスタイルなのだけれど、セシリアが身につけるとどうも目のやり場に困る状態になる。
「あら、カレンいらっしゃい。旅の疲れは大丈夫かしら?」
「大丈夫です。荷物の片付けに手間どりまして」
「私たちの片付けに人手を割いてくれたものね…。お手伝いに行けば良かったわ。気が利かずごめんなさいね」
「いえ。薬品などもありますので、一人で片付けたかったものですから」
常に色気を垂れ流している感じのエロっぽさがなんとも胡散臭く感じるが、中身はまごうことなき聖女。
万人を等しく思いやる慈愛に満ちた女性、セシリア。むしろそのギャップがちょっと勿体無いとカレンは常々感じている。
二人に席を勧められ、カレンも円形のテーブルを囲んだ。
すぐ、側付きのメイドが好みの紅茶を淹れてくれ、あわせて気に入っているパティスリーのお茶菓子も並ぶ。
本国から離れること二週間。遠く離れたこの国にあっても、身の回りのものが大きく変わらないことはありがたい。
馴染みの味にホッと息をつくと、二対の瞳に柔らかく見守られていることに気づいた。
「長丁場になる。あまり気を張らないように」
「…ありがとうございます」
環境の変化にさほど強くないことを兄たちに気遣われていたことを知り、こそばゆい。
ほのかに色付く頬を隠すようにカレンがカップに口をつけていると、話題は明日の予定へと移っていった。
「明日は装備を揃えにいかなければいけませんね。あと、ジークハルト様の普段着も何着か仕立てないと」
「ん?私の普段着もか?いくつかは持ってきてはいるが」
「いえ、今日の様子から思うに、ちゃんと用意した方がよろしいかと…ねえ、カレン?」
霞雲の合間に現れた深い泉を思わせるようなエメラルド・アイが物憂げな視線を投げてきた。
どこの春画のワンシーンかと言わんばかりの様子だが、言葉だけを聞けば、兄の普段着を心配する初々しい婚約者の発言である。
「ジーク様の魅力が漏れて仕舞えば、おおごとですもの…」
しかし、「そんな」で片付けられない事情が兄にある事もカレンは十二分に理解しているので、いまいち必要性を感じていない兄をセシリアと共に説得するべく、気持ちを切り替え、カップを置いた。
「兄様、今日の様子から見るに威圧と魅了のオートスキルが消し切れていないかと」
思い返されるのは今日訪ねた冒険者ギルドでの光景。石化の呪いをかけられたかのように、兄を見て固まる人、人、人。呪いと異なるのはその表情が、苦痛ではなく恍惚とした眼差して微妙に微笑んで固まっている点。
気絶者やら混乱者が出ていないので兄は大したことはないと感じているようだったが、明らかに兄の容姿が暴走しかけている。
本国での兄の容姿にまつわるあれこれと、それの対応に追われた日々を思い出してしまい、ついつい視線が遠くなる。
「本国では問題なかったが…」
「思うに各国の好みの差、かもしれません。国によって美しいの定義が異なるように、お兄様に抱かれるイメージも多少違うのかもしれませんね。その印象を補完する衣服が必要かと…」
ダンジョンは人に稀に禍福をもたらす。それは血に混ざり、時折浮上しては子孫にも発現することもある。発現してしまうと、自分の意思で制御する事はほぼ不可能に近く、本国では『オートスキル』と呼んでいた。
兄はそのオートスキルが発現しまくった結果、とても面倒な人生を歩むことになってしまっている人だ。
「むう。まあ、戯れを名に冠しているような神の加護だ。そういう細やかな点こそ嬉々として設定していそうだな…」
顔に面白くないと書き付けているかのような表情だったが、そんな表情ですら絶世というか、見た人を昇天させるような美貌である。
実際、数年前までは兄の顔を間近で見たご老体がそのまま天寿をまっとうしたという状況も定期的におこっていた程だ。
「あまり無駄は好まんのだが…」
「無駄ではなく、周囲に迷惑をかけないための必要装備ですね」
「むう…」
光を内包したような錦糸の御髪。鼻梁も目元も、口もとも一点の曇りなき造形。
男性的な凛とした美しさの中に、女性的儚さが滲むような奇跡の容姿を持つ兄。
レクセンブリア王国 筆頭公爵嫡男
ジオノイド・フォン・ジークハルト
「正直、俺にはそんな微妙な違いまったく分からん。今持ってる服だって、言われるままに誂えたのだ…全部同じにしか見えん」
「あら…。王国きってのデザイナーがジーク様のためだけに作り上げた品々でしたのに…」
外見はこの世の『美』の真髄を体現しているが、中身は質実剛健、武人家系のど真ん中をいくような漢だった。
「それはもう致し方ありませんので。プロを頼りましょう。プロを」
長年誤解されがちな兄姉と外界との調整役を行なっているカレンは慣れた調子で応えると、見知らぬ土地での段取りについて考え始めたのだった。




