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命蹴散らせ恋する乙女!

「いっくんただいまお腹空いた結婚して!」

「おかえり今日はビーフシチューな結婚はしねぇ」

 テンション高く帰宅しそのままの勢いで求婚をすれば、淡々とした声で流される。九野(くの)仁琴(みこと)は涼しい顔でコーヒーミルで豆を挽く相手に、悔しそうに地団駄を踏んだ。

「もー、ちょっとは悩む素振り見せてよ!花の女子大生に恥かかせないで!」

「常連とはいえ、客の前で毎日毎日玉砕するのがわかりきってる告白を晒すのが恥だと自覚してた事に驚きだよ」

「いやあ、いつもながら見事な振られっぷりだね仁琴ちゃん!」

「やっぱり今日もダメだったか」

「ほら、またわしらの勝ちじゃ」

「くっそ~、大穴狙ってたんだけどな~」

「人の恋路でギャンブルしないでくれる⁉」

 カウンターや奥のテーブルで財布を出し合う常連客達を指差し、仁琴は抗議の声を上げる。

「お前が定年迎えて暇してるジイさん達に格好の娯楽を提供してんのが悪いんだろ。はいよ、勝者の皆さんには食後のコーヒーサービス、撃沈組は約束通りケーキのテイクアウトの注文よろしく」

「まさかの賭けの対象が元締め…!」

 しれっとした顔で伝票を切る男の名は九野一流(いちる)。ここ喫茶Beatle(びーとる)の店主である。元々は彼の祖父が始めた店だが既に他界しており、アルバイトとして手伝っていた一流が後を継いだ。ちなみに店名の由来は、今も店内に流れているレコードを聞けば言わずもがな。今いる常連客は皆、一流の祖父の趣味友というやつだ。

 仁琴がカウンターの端に腰かけると、一流がコトリと皿を置く。ゴロゴロと大きめにカットされた具の入ったビーフシチュー。深みのあるルーの香りが、バイト帰りの空腹を刺激した。

「いただきまーす」

 きちんと手を合わせてからスプーンでシチューを口に運ぶ。子供の頃から変わらない味に、自然と頬が緩むのがわかった。

 もぐもぐと食べ進める仁琴に、一流は洗った皿を拭きながら声をかける。

「お前、明日定期検診だったよな?」

「うん、そだよー」

「俺店あるからついていけねーけど、ちゃんと報告しろよ?」

「わかってるよ、もう子供じゃないんだから。あ、直接見て確かめる?」

「サラッと話をそっちへ持っていこうとするな」

 ちぇ~と口を尖らせ、仁琴はまたシチューを堪能するのだった。



 仁琴と一流は、所謂従兄妹という関係にある。互いの父同士が兄弟で、年は離れているものの仲が良く、仁琴は幼い頃から一流によく懐いていた。ただ一つ、敢えて特別な事を挙げるとするならば二人の間には一滴も同じ血が流れていないという事だろうか。

 一流の両親は再婚だった。母の連れ子だった彼は、中学の時に九野家の子供になった。当時の彼は多感な年頃だったという事もあり、一緒に暮らし始めた時期は両親に反発する事が多かった。どう接していいかわからず悩んでいた両親の救いとなったのが、まだ物心がついたばかりの仁琴だった。

 家族となって初めての正月。どうにか説得され、渋々九野家の親戚の集まりに参加した一流は仁琴と出会った。当時から物怖じしない性格だった仁琴は、わかりやすくグレていた一流に平然と声をかけた。

─いっくん、あそぼ

 年の離れた兄ができたようで嬉しかったのだろう。幼児の純粋な好意は、一流の生来の面倒見の良さに十分に働きかけた。雨の中、不良が捨て猫に傘を差し出す図の理屈である。

 それからというもの、一流は少しずつだが両親に歩み寄るようになった。ぎこちなさはあるものの、親子の会話は確実に増えたと当時父親は弟である仁琴の父に嬉しそうに語っていたという。仁琴の父はそれを喜んだが、まだランドセルも背負わぬ娘が将来は一流の嫁になると毎日のように話すのを見て複雑な心境を妻に吐露し、妻はまだ先の話だと笑って宥めていたのはこの夫婦だけの秘密だった。

 やがて一流が高校生となった頃、一つの凶報が届いた。

「一流、叔父さん達が…!」

 仁琴とその両親が交通事故に遭った。夏休みに旅行に出かけた帰りの事だった。対向車と正面から激突、運転席と助手席に乗っていた仁琴の両親は即死だった。後部座席にいた仁琴は辛うじて一命をとりとめたが、後遺症が残ってしまった。それでも、生きてくれていた事に一流は安堵した。

 葬儀を済ませ、仁琴の引き取り手を相談する中で一流の両親は真っ先に手を上げようとした。しかし、タイミング悪く一流の父が転勤で海外赴任が決まってしまい、ストレスのない環境を用意する必要がある仁琴を連れていく事はできなかった。

─いっくんも行っちゃうの?

 不安そうに自分を見つめる仁琴を見た一流は決意した。

「親父、母さん。俺、日本に残る」

 彼の言葉を聞いた両親は、それが仁琴のためになるならと頷いてくれた。ただ、一流とてまだ学生の身。二人だけで暮らす事などできる筈もないので、一流と仁琴の祖父に二人の面倒を見てもらうよう頼んだ。祖父も祖父で、二つ返事で受けてくれた。せめてもの恩返しで、一流は祖父の店を手伝う事にした。

 一流と暮らす事ができると聞いて喜んでいた仁琴だが、しばらくは事故のトラウマと後遺症に苦しんだ。夢の中で苦しそうに両親を呼ぶ姿を見ては一流が頭を撫で、落ち着くまで側にいてやった。いつからか、一流のシャツの裾を握り締める事が仁琴が安心するためのおまじないとなっていった。



 数年が経ち、仁琴達の祖父がこの世を去った。仁琴が中学生の時の事だった。従兄妹とはいえ、思春期の少女が大の男と一つ屋根の下というのはいかがなものかと親戚中が再び彼女の引き取り先を相談した。大人達がああでもないこうでもないと話し合う間、仁琴は一人玄関の外でしゃがみ込んで待っていた。

「こんな所にいたのか、みぃ」

「いっくん…」

 話し合いは終わったのかと問えば、タバコ吸いに来ただけだとポケットから小さな箱をチラつかせる。カチッとライターの音が鳴り、数秒してからため息のようなものと一緒に白い煙が隣から上っていった。

「いっくん」

「ん?」

「私、出ていかなきゃダメ…だよね」

 俯いたままの顔から寂しそうな声が聞こえる。一流は仁琴と同じようにしゃがみ込むと、ポンと頭に手を乗せた。

「まあ、あの人らが言ってる事は尤もではあるわな」

「そう、だよね…」

 不意に、シャツを引っ張られる感覚がした。視線を落とすと、上着を脱いだワイシャツの裾を遠慮がちに握り締めている仁琴の手が目に入った。それがわざとだったのか、それとも無意識の行動だったのかは一流は知らない。けれど、必死に安心を求める姿に一流は覚悟を決めた。

「行くぞ、みぃ」

「え?」

 キュッとタバコを揉み消し、仁琴の手を引いて家の中に入る。そして、話し合いを続けていた親戚達の元まで来ると、きちんと正座をして頭を下げた。

「俺に面倒見させてください」

「いっくん⁉」

「必ず守ります。だから、俺に引き取らせてください」

 普段の姿からは想像もできないほど真剣な様子で頼み込む一流に圧され、親戚一同は仁琴を彼に託す事を決めた。



「あ、いっくん、見てこれ!」

「あん?」

 興奮した様子の仁琴に何事かと振り向くと、彼女は店のテレビを指差している。タレントが色々な町を歩いて回りながら話題のグルメや人々と交流する模様をお届けするというありがちな番組だが、一流は画面に映った公園に見覚えがあった。

「何だ、ウチの近所じゃねーか」

「そうそう!ゴンドラ公園だよ!」

 町のど真ん中にあるその公園はよくある子供用の遊具が置いてあるだけの小さなものではなく、そこそこの広さを誇る自然公園である。春には色とりどりの花が咲き、秋には銀杏や紅葉で小道が鮮やかに彩られるため、デートスポットとしても有名な場所だ。その最たる理由が、名前の由来となっている…

「やっぱりここのゴンドラってご利益あるんだね~」

 小道にぐるりと囲まれるようにある池。そこには数隻のゴンドラが置かれている。ゴンドラとは呼ばれてはいるものの、どちらかというと小舟に近いそれに二人で乗った男女は結ばれるという特別珍しくもないジンクスがあり、休みの日にはカップルないし恋を実らせようとする者達がそれなりに集まるのだ。

 地元の人間としては今更そんなものを取り上げてどうするのかと言いたいが、仁琴はカウンターに頬杖をついて熱心に見ている。

「お前好きだよな、この公園」

「そりゃあもう!だって、パパとママが付き合うきっかけになった場所だよ?憧れだよ~。私達も早く乗りたいね!」

絶対(ぜって)ぇ乗らねー」

「チッ、勢い任せでいけると思ったのに」

 舌打ちをする仁琴に、一流はさっさと風呂入って来いと二階を指差した。



 特別な存在だった。大きくなったら対等に隣に立てると思っていた。幸せになれると、そう信じていた。

「───と、こちらからはこれくらいでしょうか。何か日常生活で気がかりな事はありませんか?」

「大丈夫です!」

 元気よく答えると、担当の医師は頷いてカルテに情報を書き込んでいく。

「来年には九野さんも社会人になりますね。わかっていると思いますが、ストレスになるような事は極力避けて、少しでも体に負担をかけないよう気をつけてください」

「はい、わかっています」

「できれば、就職するにあたっての注意点などを一度保護者の方を交えてお話ししたいのですが」

「あー、えっと、相談してみます」

 煮え切らない言葉をどう捉えたのか、医師は仁琴に向き直ってニコリと笑った。

「心配はいりませんよ。家庭内でのケアについて確認するだけですから」

「…はい」

 ありがとうございましたと頭を下げ、診察室を出る。病院を後にして歩くこの帰り道は、昔は一流と並んで歩いていた。事故の後遺症でいつ体調を崩してもおかしくない仁琴を案じて、一流は毎回付き添ってくれた。

 けれど、祖父が亡くなってからは店を空けるのは申し訳ないからと仁琴の方から付き添いを断るようになった。それくらい大丈夫だと一流は言ってくれたが、仁琴は努めて明るく振る舞った。

─平気だよ!私もそろそろ大人だって、いっくんに気づいてもらういいきっかけになるしね!

 そう言えば、一流は呆れた顔で引き下がってくれる。いつまで経っても異性として見てもらえない切なさはあったが、これでいいのだと安堵する自分もいた。

─保護者の方を交えてお話ししたいのですが

()()()、か」

 ポツリと呟き、交差点の一つ手前の道を右に曲がると、目に入った光景に足が止まる。

 店の前で話しているのは、仁琴よりも年上のスーツ姿の女。美人で、落ち着いていて、いかにも大人といった雰囲気をまとっている。店が空いているからなのか、それともわざわざ彼女を見送りに出てきたのか、一流も笑顔で対応していた。

「っ」

 踵を返そうとする足を踏ん張り、深呼吸を一つしてから二人の元へ歩み寄る。

「ただいま、いっくん!」

「おー。診察どうだった?」

「平気平気。全く問題なし!」

 元気よくVサインをしてみせると、一流はそうかと頷く。

「じゃあ、私バイトあるから!」

「気ぃつけろよ」

「わかってるよー!」

 振り向きはしなかった。楽しげな会話を背中で聞きながら、仁琴は店の中へ入っていった。



 第一印象は"さみしそうなひと"だった。世間一般でも仲がいい部類に入る親戚達の輪に入らず、つまらなさそうに窓の外を見ているのが気になった。説明された"いとこ"というのが自分と彼がどれほどの距離感の間柄かを表すのかはわからなかったが、一人きりでいるのではなく楽しくお喋りをしている大人達と同じように笑ってほしいと思った。

─いっくん、あそぼ

 仲良くなるには特別な呼び名を作るといいというのは、通い始めた幼稚園で培った知識だった。伯父が紹介してくれた時の名前を一生懸命思い出しながら考えたそれが正解だったのかは知らないが、少なくとも彼の心を開くだけの効果は発揮したようだった。

 小学校に上がった頃には彼がどちらかと言えばヤンキーと分類されるタイプである事も理解していたが、自分にとっては面倒見のいい大好きな存在だった。両親が亡くなり祖父の家で共に暮らすようになってからも、彼は口は悪いが自分が苦しい時は必ず側にいてくれた。

 この気持ちが恋だと明確に自覚したのは小学三年生の時だった。偶然、彼が同級生らしき女子高生と二人で歩いているのを見かけた。見た事のない笑顔を浮かべ、別れ際に慣れた様子でキスを交わす姿を目にしたあの日の夜は、一人布団の中で声を殺して泣いた。

 彼はどうやらモテるらしく、期間はまちまちだったが仁琴はそれからも何人か彼の隣を歩く背中を見てきた。その度に失恋の苦しさを味わった。彼にとって自分は、ただの妹分だとわかっていたけれど。

「ただいまー!」

 アルバイトから帰り、"CLOSED"と看板のかかった店のドアを開けた仁琴はカウンターの中ではなくテーブルの椅子に座っていた一流にキョトンとした。

「あれ~、珍しいね。もう片付け終わったの?」

「みぃ」

 そこへ座れ。

 タバコを灰皿に押しつけてそう言う一流の声は、いつもの雰囲気とは違って重く聞こえた。仁琴は戸惑いながらもえ~?と笑顔で向かいの椅子に腰かける。

「何なに~?もしかして、やっと結婚してくれる気になった?」

「今日、病院から電話が来た」

 ヒクリと喉が引き攣る感覚がした。

「最近、発作が出る頻度が多くなってたらしいな。何で黙ってた?」

「えっと…」

「約束したよな?体調に支障が出るならバイトはさせられねーって。診察の結果もちゃんと報告しろって言ったよな?」

 厳しく問い詰められ、仁琴は居心地悪そうに俯く。

「…ごめんなさい」

「謝る前に説明しろ。何で言わなかった?」

「…心配、させると思って…」

「当たり前だろ。お前は無理しちゃいけない体なんだ。自立したいって言うから発作が出ない程度にっつー条件付きでバイトするのを許可したんだぞ。約束を守れねーってんなら、辞めてもらう」

「っ、待って!これからはちゃんとセーブするから!」

「ダメだ。どの道、来年には社会人だろうが。先生からも、今は新生活に向けて体調を一番に考える時期だって聞いてる。これ以上わがまま言うなら、内定も辞退させるぞ」

「そんな…」

 ギュッと膝の上で拳を握り締める仁琴に、一流はテーブルに肘をつきながら大体なとため息をつく。

「無理して働かなくても、この店を手伝ってくれりゃ相応の給料は出すし生活だって保障する。体の事を考えりゃ、それが一番いいだろ。何が不満なんだよ?」

「…いっくんにはわかんないよ」

「あ?」

 目頭が熱くなるのを感じながら、仁琴はバッと顔を上げた。

「私はいっくんと対等になりたいの!」

「は?」

「ちゃんと自立しなきゃ…ちゃんと大人にならなきゃ、私はずっといっくんに守られるばっかで、いっくんの人生を奪う事しかできなくて、いっくんを幸せにしてあげられないじゃん!そんなのやだもん!」

「おい、みぃ、何言って…」

「どうせ私はお荷物ですよ!こうやってすぐ泣くガキんちょですよ!だから、少しでも私一人でもやっていけるって証明しなきゃって、そう思って…っ…」

「!みぃ⁉」

 突然胸を押さえる仁琴に、一流はハッと立ち上がる。

「バカ…っ、興奮すっから…!待ってろ、今救急車呼ぶから…」

 朦朧とする意識の中、仁琴は力強く支えてくれる腕に小さく謝った。



「あなたのせいよ!」

 唐突に言われた台詞を理解するのに数秒かかった。その間も、ぶたれた頬はジンジンと痛みを訴えていた。状況を整理しようと視線を逸らした先では、数組のカップルが楽しげにゴンドラに乗っているのが見えた。

 中学卒業後の進路を考える頃、仁琴は学校からの帰りに一人の女から声をかけられた。見覚えのある顔だった。確か、一流の恋人の筈だ。彼ではなくなぜ自分が指名されたのかわからないまま後をついていくと、彼女は公園まで歩き、振り向きざまに仁琴の頬に一発平手打ちをかました。そして先程の台詞である。訳がわからず呆然とする仁琴に、その女は敵意を剥き出しにしながら続けて言った。

「一流に言われたのよ!あなたが大人になるまで結婚はしないって!守らなきゃいけないからって!あなたがいなきゃ、彼と幸せになれたのに!」

 義務教育も終えていない、実際守られるべき子供相手に言う事ではない。とどのつまり、振られた八つ当たりだ。けれど、仁琴は彼女の言葉に大きなショックを受けた。

 自分がいる限り、一流は自身の幸せを優先する事はない。両親が死んだ時も、祖父が死んだ時も、一流は自分のために本来選べた筈の選択肢を手放した。全ては自分を守るために。

 異性として見てもらえていないのはわかっていた。それでも、いつか自分が大人になれば可能性はあると思っていた。

─何が不満なんだよ?

 だけど、どれほど背伸びをしても結局自分は彼にとって庇護対象でしかないのだ。

「…」

「目ぇ覚めたか?」

 ぼんやりと天井を見ていると、すぐ側から一流の声がした。首を横に傾けると、ベッドの横の椅子に腰かける一流がこちらを見ていた。

「いっくん…」

「症状は軽いし、点滴もしてもらったし、起き上がれるなら帰っていいってよ。体調どうだ?」

「うん…平気」

「じゃ、帰るぞ」

 体を起こすと、外からは陽の光が差し込みすっかり朝を迎えていた。一流の様子からして、一晩中側にいてくれた事は明らかだった。

 病院を出て帰路につく間、仁琴はずっと黙ったままの一流に何と声をかけていいかわからなかった。それは昨夜の事があったのもそうだが、眠っている時に見た過去の記憶が原因だった。

「…お前さ」

 沈黙を破ったのは一流の方だった。

「俺がお前のために自分の人生犠牲にしてると思ってたわけ?」

 触れられたくない事の、まさに核心である。

 数秒ほど逡巡し、小さく頷く。

「まさかとは思うけど、俺がお前のプロポーズを受けるイコール対等でいれるくらい自分が大人になって、一人でも生きていける証明になるとか思ってたわけ?」

 先程よりも更に小さく頷きを返すと、これ見よがしにため息をつかれた。

「つまり、今まで玉砕前提で言ってきたあの言葉は本心じゃなくて、俺はお前が大人になれたかどうかを確かめるために利用されてたわけだ」

「そ、そういうつもりじゃ…」

「そういう事だろうが」

 ちょっと来い、と手を引かれる。引きずられるようにして向かった先はゴンドラ公園。池の(ほとり)にある船着き場に立った一流は、立てられた看板を見てチッと舌を打った。

「流石にこんな早くからはやってねーか」

「あ、あの、いっくん?」

「ま、いいや。乗るだけならセーフだろ」

 そう言うと、ヒョイと舟に乗り込み仁琴に手を差し伸べる。

「ん」

「え?」

「え?じゃねーよ。乗りたかったんだろうが」

「えっとごめん、私がバカで理解できてないだけなの?それとも、いっくんがおかしいの?」

「みぃがバカなのは今に始まった話じゃねーだろ」

「なっ…」

「いいから」

「うわっ⁉」

 いきなり手を引っ張られ、バランスを崩した体が一流の方へ倒れる。器用に抱き止められる形で舟の中に座り込むが、今度はそのまま抱き締められたまま動けない。顔に押しつけられている胸元からは、彼がいつも吸っているタバコの匂いがした。

「まず誤解がないように言っとくが、俺は断じてロリコンじゃねーぞ」

「え?」

「そんで、身近にいるってだけで従兄妹っつー安パイを選ばなきゃなんねーほど女にも困ってねぇ」

「あの…」

「ちゃんと一人前の女だと思ってっからな。散々煽っといて、今更ナシは受け付けねーぞ。言っただろ、()()()()()()()って」

「…何か、それ…プロポーズみたいに聞こえるよ?」

「じゃなきゃ、ここのジンクスはパチモンだったって事になるな」

 それを聞いた仁琴の手が、恐る恐る一流のシャツを握り締める。そんな彼女のポンと頭を撫でながら、一流は言った。

「俺はずっとここにいる。ずっとそうだったろ」

 コクコクと頷く仁琴は顔を上げなかったが、胸元が濡れる感覚に一流はフッと笑った。



「お待たせしました、クラブハウスサンドとナポリタンでーす!」

「仁琴ちゃーん!注文頼むよ!」

「はーい、ただいまー!」

 明るく店内を動き回る仁琴の姿を常連の面々は感慨深げに見守る。

「いやあ、まさか本当に結婚しちまうとはなぁ」

「わしはこうなるとわかっとったぞ」

「わしもじゃ。一流の仁琴ちゃんを見る目が年々いやらしくなっていっとったからな」

「名誉毀損で訴えんぞ、ジジイ共」

「え、何それ詳しく!」

 聞き捨てならない会話に一流は提供しかけたコーヒーを下げようとし、仁琴はグリンと振り向く。

「ねーねー、いっくん!今のホント?実は私の事エロい目で見てたの?」

「見てねぇ」

「やだ、いっくんってばケダモノ~!」

「お前、今晩覚えてろよ」

 数ヶ月後、再びこの町にテレビの取材が訪れる。"ゴンドラ公園のジンクスを実らせたおしどり夫婦の営む喫茶店"として紹介される事になるのだが、今はまだ先の話。

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