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愛を飾り 愛で言祝ぐ

─良いな、飾衣(よしえ)。これはお前にしかできぬ事。必ずややり遂げ、()()()に報いよ。さすれば…

「つっかれた~。飾衣~」

「おかえりなさいませ、寿斉(のぶとし)様」

 玄関で主を迎えると、黒の学ランを着た少年は当然のように鞄を手渡す。それを当然のように受け取り、少年の後ろをついていきながら長い廊下を歩いていく。

「おかえりなさいませ、寿斉様」

「おかえりなさいませ、若様」

 道中すれ違う者達は皆、足を止め恭しく頭を垂れる。これもまた、当然のように欠伸をしながら何を言うわけでもなく少年は彼らの前を通り過ぎていく。

 やがて一つの部屋の前へ着くと、飾衣が膝をつきそっと襖を開けた。刹那、畳の上品な香りがすっと鼻を通る。広い室内にあるのは文机と座布団、そして桐で作られた和箪笥のみ。思春期の少年が過ごすには些か殺風景にも思えるが、当の主があまり物に執着しない性格なのでこれでも十分だった。

 主に続いて部屋に入り、静かに襖を閉めると寿斉はあーとため息に似た声を上げ畳に転がった。

「今日もつまんない一日だったわ。授業は簡単すぎて眠くなるし、周りの雑魚共は相変わらず鬱陶しいしもう最悪」

「左様でしたか。お疲れ様でございました」

「家にいるよかまだ爪の先くらいマシだから通ってっけどさぁ。生まれた時から将来が決まってんのに、マジ行く意味ある?って感じだよな」

「表向きの経歴のためにも、せめて義務教育は終えておりませんと色々と不都合もございます故。ですが、それももう間もなくお終いではありませんか」

「それなー」

 んーっと猫のように体を伸ばす寿斉に小さく笑みを浮かべ、飾衣はお茶を淹れて参りますねと退室しようとする。

「今日は寿斉様のお好きな栗金団(くりきんとん)をご用意しておりますので、沢山召し上がってお疲れを癒やしてくださいませ」

「飾衣~」

 襖に手をかけた飾衣は、寿斉の呼びかけに頭を上げる。うつ伏せのまま、何か言いたげに顔だけをこちらに向けるその視線の意図を察し、そっと辺りを窺う。近くに人の気配がしないのを確認すると、優しく寿斉に笑いかけた。

「おかえりなさい、のぶ君」

 つい今し方までとはかなり距離の近くなった雰囲気に、寿斉も年相応、いやそれ以上に無邪気に破顔した。



 五つの誕生日を迎えた日、恐らく同年代の誰よりも早く自分が生まれた意味を知った。十になる年には、自分の命の使い道が決まった。物心ついた時から特殊な環境にいたので、普通の感覚を身につけようとは思わなかった。

「お初にお目にかかります。半反(なかそ)家の長女、飾衣と申します。本日より、全身全霊を以て若様にお仕えさせて頂きます」

 世に蔓延(はびこ)る怪異を祓う異能者。一般人に説明した事はないが、古くは陰陽師と呼ばれた事もある影の存在。多くはなくとも、純然たる家柄の格差があるこの世界でも特に大きな派閥を持つ名家須王(すおう)家に生まれた嫡子は、産声を上げたその瞬間に自身の霊力で出産の場に居合わせた全員を昏倒させた。

 数百年に一人の才を持って生まれたその男児の噂は瞬く間に末端の術師に至るまで広がり、同時に須王家の地位を更に盤石なものにした。恩恵に預かろうとする者、脅威とみなし命を狙う者、様々に思惑が入り乱れる中で誂え向きの能力を持っていた飾衣は側仕えの一人に選ばれた。中学に入る年の事だった。

 乳母の膝に乗せられた小さな主は、挨拶をする自分を子供らしからぬ無感情な目で見ていた。いや、見ていたのだと思う。畏れ多くて頭を上げられずにいたので、正直この時の記憶は定かではない。

 齢三つを迎えようとしていた須王家次期当主は、既に自身の周囲に美しいものなど一つもない事を悟っていた。飾衣の事もせいぜい新しい毒見役が現れた、その程度の認識だっただろう。実際、まだ体裁のために学校生活を送らなければならず、常に側にいる事ができなかった飾衣にできる仕事と言えばそれくらいしかなかった。可能な限り側で成長を見守るよう心がけたが、当時当主から絶大な信頼を寄せられていた乳母にこき使われるばかりで会話一つする事も儘ならなかった。

 転機が訪れたのは中学最後の夏の終わり。他ならぬ乳母の手引きで外出中の寿斉に刺客が向けられたのがきっかけだった。たまたま飾衣がその場に居合わせ、増援が来るまで格上の人間複数を相手に戦った。実の親よりも長い時間を過ごした人物の裏切りに流石に動揺したのだろう。寿斉はその余りある霊力で敵を威嚇する事もできず立ち竦んでいたが、どうにか守り切る事ができた。

 大怪我を負い、生死の境を彷徨う事十日。目を覚ましてまず視界に映ったのは、泣きそうな顔でこちらを見る幼い主だった。

「ご無事で良かったです、若様…」

 まだ起き上がれぬ体でそう言うと、懸命に堪えていた涙が幾筋もぷくりと可愛らしい頬を流れていった。



「よしえ!はやくこい!」

「はい、寿斉様」

 結局療養の間に年が明けてしまい、当主から新たに指名を受けたのもあって飾衣の学生生活は何とも呆気ない終わりを迎えた。あの一件以来、寿斉は飾衣にべったりと張りつくようになった。名を呼ぶ事を許され、朝の支度をするのも飾衣、食事の世話をするのも飾衣、遊ぶ相手も飾衣。修行の時ばかりは、飾衣では力不足もいいところなので相手をするわけにはいかなかったが、側に控えていないと駄々をこねられた。

 手を焼く事も少なくなかったが、そんな時には飾衣の能力が重宝した。

「わあ!」

 霊力で作り出したいくつもの鏡。そこに差し込んだ光が互いに反射し合いきらきらと輝く様を見ると、宝石をばら撒いたみたいだと言って寿斉の機嫌はたちまち直った。

 相手の攻撃を反射させる事も、幻を見せる事もできる飾衣の能力。いざとなれば、自分を寿斉だと錯覚させて囮になる事もできるこの力のお陰で、飾衣は側仕えをする事を許された。須王本家に近づきたい彼女の実家にとって、飾衣はまさにお誂え向きな娘だった。

「よしえはおれのつまになるんだ!」

 この頃の彼の口癖はこれだった。初めてそれを言われた時は慌てて口を塞ぎ、周りに人がいないかを何度も確認したものだ。そして言い聞かせた。

─寿斉様は須王家の次期当主、ひいては異能を持つ全ての者の頂点を担うお方です。私ごとき側女を娶るなどとお戯れでも仰ってはなりません

 たかが使用人、妾になる事すら烏滸がましいと説明すればあどけない表情はみるみる内に崩れ、嫌だ嫌だと泣き叫ばれた。

─よしえじゃなきゃいやだ!よしえがいい!

 あまりに大きな声で騒がれてしまったので、家の者達に知られず事を収めたいという飾衣の願いは空しくも叶わなかった。所詮は子供の飯事(ままごと)だと本気にされなかったのが唯一の救いだった。

 しかし、寿斉自身はいたって真面目で事あるごとに飾衣は未来の伴侶であると周囲に触れて回った。寿斉がいる前では皆何も言わなかったが、飾衣はよもやを期待する実家の圧力と身を弁えよという婚約者候補の娘を擁する家々からの嫌味との板挟みに晒され続けた。

 成長するにつれ、そんな飾衣の状況にも目を向ける余裕が出てきた寿斉は、駆け引きというものを覚えた。所構わず滅多な事を口にするのをやめる代わりに、二人だけでいる時は気の置けない態度でいろと言われた時のあの目には末恐ろしいものを感じさせられたのも懐かしい思い出である。



「───で?」

 すぐ目の前で整った顔がにっこりと笑う。幼い頃に感じた、この方はきっと将来誰もが振り返る美大夫になるという直感は正しかったと少し現実逃避のような事を考えながら、飾衣は努めて大人の余裕を被って答えた。

「で、と仰いますと?」

「退屈で退屈で仕方ねー義務教育とやらを終えて三年が経つんだけど?」

「時の流れとは早いものですね」

「俺今月で十八になるんだけど?」

「ご立派に成長なさった事を嬉しく思います」

「合法的にお前を手籠めにできるようになったわけだけど?」

「その台詞は年上の側が言うものですし、いくら成人を迎えるとはいえ十代に手を出せば捕まってしまいます私が」

 このままでは埒が明かないと悟ったのか、寿斉ははぁと大きくため息をつく。

「わかった、じゃ二択な。俺と結婚してずっと一緒にいるか、俺の子産んでずっと一緒にいるか、今すぐ選んで」

「それは実質強制的な一択ですし、心配せずとも私はずっと寿斉さ…「次"様"つけたら問答無用で押し倒す」はい、ごめんなさい」

 目が本気だ。感じるのは命ではなく貞操の危機である。

 今度は飾衣が小さなため息をつく。そしてゆっくりと手を伸ばし、寿斉の頭を撫でると彼女を壁に追い込んでいた腕がぴくりと動いた。

「…子供扱いすんなよ」

「そんなつもりはないよ。のぶ君は本当に素敵な男の人になったと思ってる」

「じゃあ何で俺のものになってくんないの」

 子供扱いをするなと言いながら、甘えるように額を飾衣の肩に(うず)める彼の口調は先程までとは打って変わって弱々しい。

「使用人だから何だよ。次期当主の俺がそうしたいって言ってんだから、それでいいじゃん。家格が釣り合う釣り合わねぇとか知らねーよ。飾衣の能力なら十分須王に入れるだろ」

「のぶ君」

「ガキの頃から飾衣の事だけ好きだった。飾衣以外の女なんてただのその他大勢、鬱陶しい背景でしかないんだよ。飾衣にとって俺って何?」

「自分の命よりも大切な主だよ」

「主だから男として見れないって?飾衣の中で俺はいつまで経ってもいいとこ弟止まり?」

「それは…」

「じゃあさ」

 顔を上げた寿斉の眼差しに、飾衣は息を飲む。

「主として命令したら、俺に抱かれてくれる?」

「…」

 しばらく沈黙した後、飾衣は眉を下げて笑った。

「そんな事をしても、本当の意味で満たされないってわかってるから今まで言わなかったんでしょう?」

「っ…」

 図星を突かれ、唇を噛む寿斉の姿を改めて見つめる。

 くりくりとビー玉のようだった目は涼しげな弧を描き、スッと鼻筋が通っている。そこらの大和撫子が裸足で逃げ出しそうな濡れ羽色の髪は、少し癖があって猫のように柔らかい。

 優れているのは容姿だけではなく、聡明で物心つく前から何をやらせても器用にこなし、神童と称されるに何の疑問もない彼だが、飾衣は知っている。その不遜な立ち居振る舞いは、繊細な心を守るための鎧である事を。打算や欲だらけの目に晒され生きているが、本当は誰よりも愛情に飢えている事を。

 今もそうだ。このまま立場を振り(かざ)して飾衣を自分のものにする事など造作もないというのに、それをして飾衣の心が離れる事を恐れ行動できないでいる。心から大事にしたいと思っているからこそ、どうすればいいのかわからず二の足を踏んでいる彼の姿は、無邪気に飾衣の手を引いてはしゃいでいたあの頃からちっとも変わっていないように思えた。

「ごめん」

「うん」

「でも、俺はどうしても飾衣がいい。年の差も身分も糞くらえだ。飾衣が隣にいてくれるなら、俺はこの先何も望まない。窮屈なこの家の、この世界の言いなりにだってなってやるよ」

 ここまで言ってのけられるのも、秘める事を知らない熱の籠もった視線も若さ故だろう。

(参ったなぁ)

「大人を演じるのも楽じゃないのに…」

「?」

 長年真っすぐに信頼を向けられ続けてきたせいだろうか。寿斉の側を離れるつもりは毛頭なかったが、せめて叶わなくてもいいからまだ自由のあった学生の間に恋というものをしておくべきだったかもしれない。そうすれば、きっとこんな風に畏れ多い感情を抱く事もなかった。

 飾衣は覚悟を決めるようにゆっくりと瞬きを一つし、柔らかな表情を浮かべた。そしてそっと頭を寿斉の胸に寄せると、二人の間にあった僅かな隙間は容易く埋まった。

「っ、飾衣…?」

「のぶ君、私ね、きっと死んだら地獄へ行くと思うの」

「は?」

「十も離れた主に分不相応な想いを抱いて、しかも幸せになりたいなんて思ってるんだもの」

「!」

 頭の上で息を飲む気配がしたかと思うと、壁に置かれていた両手が恐る恐る飾衣の両頬を包み優しく上を向かされる。

「…」

「泣いてるの?」

 いつだったか生死の境から戻った時に見た顔を思い出してそう言えば、切れ長の目がくしゃりと歪み「泣いてねーよ」と悪態をついた唇で強く口づけられた。



 それからの寿斉の行動は早かった。十八の誕生祝いの席で堂々と飾衣との結婚を宣言し、子供の戯言と高を括っていた者達が顔を青褪めさせて反対するのを文字通り睨みを利かせて黙らせ、三日後には飾衣の実家に結納の品と銘打って大量の高価な品々を贈った。

 元々住み込みで仕えていたので一つ屋根の下での生活というのは変わらなかったが、部屋は使用人の棟から寿斉の部屋の隣へと大出世した。寿斉は自分の部屋に一緒に住めばいいではないかと口を尖らせたが、正式な結婚の前にはなどと建前を重ねて丁寧に断った。尤も、通い婚よろしく毎晩のように夜這いをかけられ朝まで一緒にいる事がほとんどだったのでそれは極めて形式的なものでしかなかったのだが。

《全て順調なようで何よりだ》

「この身に余る誉れです」

 かけられた言葉に、飾衣は正座をしたまま頭を下げる。部屋の丸窓に止まった烏から聞こえるのは、があがあとけたたましい鳴き声ではなく重く威厳を纏った低い男の声だ。声を発するものなら何でも媒介にできるというのに、敢えて毎度この漆黒の鳥を選ぶ辺りに声の主の性格の悪さを感じた。

《よもやとは思っていたが、ここまでの寵愛を手に入れるとは思わなかった。あの方も大層お喜びだ。これで我が一族は安泰であろう。かくなる上は、わかっているな?》

「…はい。必ずやご期待に応えてみせます」

「飾衣~」

「!」

 襖の向こうから聞こえた声に振り向く。返事を待たず部屋に入ってきた寿斉は、窓から飛び立つ烏を見て目を細めた。

「何、実家から?」

「のぶ君がなかなか帰らせてくれないから、ここでお祝いの言葉を貰ってたんだよ」

「別にいいじゃん。どうせ飾衣のために半反の人間を取り立てろとか、そういう権力がらみのお願いだろ?」

 ぎゅうっと後ろから抱き締めてくる一方で顔はうんざりだと舌を出している寿斉に苦笑し、髪を撫でてやる。それを(くすぐ)ったそうにしながらも、飾衣を見つめる瞳は優しい。

 一度だけ軽く口づけると、寿斉は顔を擦り寄せて言った。

「俺、今なら幸せ過ぎて死ねる」

「滅多な事を言うのはやめようね」

「だってやっとだぜ?男の初恋舐めんなよ」

「私だって初恋なんだけど?」

 飾衣の返しに寿斉は一瞬黙り込み、「それは反則だろ」と赤くなった顔を背けた。



 子供の頃から須王家次期当主に仕え、主の危機を命を懸けて守り抜いた事で筆頭の側近となり、それをきっかけに主からは長年深い想いを向けられ、遂には結ばれた。そんな絵に描いたお伽話のような話。しかし、事実というのは往々にして創作よりも残酷なものである。

「───何の冗談だよ?」

 困惑の表情がこちらを見つめる。その陶器のような頬にも立派な黒の紋付羽織袴にも所々赤黒い返り血が飛び散り、晴れ舞台となる筈だったこの場所が地獄絵図となった事を突きつけていた。

「傘下の家が複数謀反を!中心となったのは半反家と思われます!」

「奴ら、須王の重鎮が集まるこの機会を狙って…!」

 部屋には敵味方関係なくいくつもの死体が転がり、今この瞬間も屋敷のあちこちで、いや屋敷の外でも争いが起こっている。

 寿斉は足元の両親()()()()()を見下ろし、もう一度目の前の彼女に問う。

「何で…何でだよ、飾衣!」

 白無垢を血に染め、飾衣は見た事がないほど冷たい目で寿斉を見据えていた。

 どういう事だと掴みかかりたいが、飾衣の傍らにある大きな鏡が寿斉の自由を奪っており指一つ動かす事ができない。本来ならば寿斉の霊力を以てすれば飾衣の能力を破る事など瞬き一つで事足りるというのに、彼女があの鏡で彼の姿を映した途端霊力を出す事も儘ならなくなった。

「不思議で仕方がないといった顔ですね」

 周りは騒然としているのに、彼女の静かな声は寿斉の耳にはっきりと聞こえる。

「あなたには言っていませんでしたが、私の鏡は映した者の霊力を覚え蓄える事ができるのです。十年以上、あなたのご機嫌を取るために何度これを出したとお思いですか?」

「!」

「とはいえ、最初は焦りました。一介の使用人ごときが、あなたの前で術を使う事などできない。信頼を得ようにも、当主直々の命を受けた乳母が常に側にいるせいで碌に話す事すらできない。だから消えて頂きました。命がけで演じたあの救出劇は、とても感動的だったでしょう?」

「まさ、か…」

「幼かったとはいえ、初めてあなたに力を使うのはとても緊張しました。けれど、あなたは面白いように私の映した乳母の裏切りという幻影に騙されてくれた。余程動揺していたのでしょうね。一番側で仕える事ができればいいと思っていましたが、妻にと望んでくれた時は思わず笑ってしまいそうになりましたよ。想いが強いほど効果を発揮する相手に、自ら進んで霊力を渡してくれたのですから。数百年に(わた)る須王家への恨みを果たすのが我が一族の悲願。そこに生まれた、あなたの自由を奪えるほどの力を蓄える事ができる私。ね?これ以上ないほど()()()()でしょう?」

 寿斉は絶望した。飾衣は守るために側にいてくれたのではない。最初から、謀反を企てていた実家の命で須王家に潜り込んだのだ。自分の命を奪うために。

「よくやった、飾衣」

「当主…」

 飾衣の肩を叩き労いの言葉をかけるのは、半反家の当主。

「ようやくだ。長く耐え忍んだ我らの恨みは今、ようやく晴らされる。現当主は死んだ。あとはお前だけだ、須王寿斉。本望だろう、愛した女の力に縛られて終わりを迎えるのだから」

「っ、全部…嘘だったのかよ…」

「…」

「俺の頭を撫でてくれた優しい手も、愛してるって言ってくれた笑顔も、全部…!嘘だったのかよ…‼」

 寿斉の悲痛な叫びが木霊すと同時、怒りを表すように彼の体から溢れ出た霊力の刃がいくつも枝分かれになって半反の当主だけでなく襲撃を行った者達を貫いた。それは飾衣も例外ではなく、鏡が割れると共に彼女の口から鮮血が零れた。

 支えを失ったように崩れ落ちる飾衣の体を、我に返った寿斉が抱き止める。

「っ、ごほっ…」

「…何で、術を解いた?」

 訳がわからないといった顔で飾衣に尋ねる。寿斉の力が単純に飾衣の術を上回ったわけではない。力を解放した瞬間、寿斉は確かに体が自由になる感覚を感じ取っていた。

「…ずっと…この命は一族の悲願を果たすために使うものだと教えられてきました…」

 五歳で自分が生まれた意味を知った。十になる年に、仇の鍵となる寿斉を殺すため須王に潜入する事が決まった。普通の感覚を持とうとは思わなかった。そんなものは、枷にしかならないとわかっていたから。

 だけど…

「須王への恨みを説かれる度に、一族への嫌悪も積もっていきました…正直、私はどちらがどうなろうがどうでも良かったんです…」

 誂え向きだから。使命だから。そう自分に言い聞かせた数は、きっと鏡を見るより多かった。

「大人を演じるのも楽じゃないんですよ…」

 もしも学生の内に恋というものをしていたら、もっと上手く自分の気持ちを制御できたのだろうか。

「言ったでしょ?私はきっと、死んだら地獄に行くって…」

 鏡は本当の心を映し出す。向けられた想いは、元を辿れば己が向けた想いが反射したものだったのだ。

「愛した人の手で逝けるなら、これほど幸せな事はないよ」

「!」

 最期の力を振り絞り、飾衣は二人の周りに沢山の鏡を作り出す。どうか、彼がこの先もこの世界で美しいと思えるものを見つけられるようにと願いを込めて。

 太陽の光が差し込み、鏡から鏡へと光が反射する様を見ながら、寿斉は呟く。

「…綺麗だな」

 そして、飾衣に笑いかける。

「まるで、宝石をばら撒いたみたいだ」

 くしゃりと歪んだ目を見た飾衣は、小さく笑った。

「…泣いてるの?」

「…泣いてねーよ」

 次第に鏡が消えていく中、比例して冷たくなっていく飾衣の体をぎゅっと抱き締める寿斉の頬を一筋の雫が伝っていった。

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