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あまのじゃく狂詩曲(ラプソディ)

「やっぱさ、あの時のブザービーターは未だに伝説だよな~」

 始まった。(れい)は眉間に皺を寄せながらビールのグラスを傾けた。

 酒がほどほどに回り出した合図にもなっている定番の話題。この面子で集まると必ずと言っていいほど誰かしら口にするこの話が、彼女はあまり好きではなかった。

 高校最後の冬、ウインターカップ決勝その最後コンマ数秒の出来事。都内でも有数のバスケ強豪校の部員だった自分達は、ある部員のスーパープレーによって悲願の全国制覇を果たした。いや、()()()というのは少し語弊があるかもしれない。怜はあくまでもマネージャーという立場で彼らを支えたのであって、自身がプレーしていたわけではないからだ。もちろん、チームのみんなは同じく戦った仲間だと言ってくれるのだが。

「ホント、祐吾(ゆうご)は俺達の自慢のエース様だよ!」

「やめろって」

 バシバシと酔った友人に背中を叩かれ、顔を顰めるのはこの話のヒーロー風間祐吾である。彼もまた、この話題に乗ってこない稀有な人間の一人だった。

「またまたぁ。その神の手で初恋の相手の心も掴んだくせに!」

「こら、零れるって」

 数人がかりでからかわれる彼の左薬指には、キラリと光る婚約指輪。高校時代から付き合っていた彼女とこの度結婚する運びとなった彼を元チームメイトで祝おうというこの会、完全にノリは現役の頃に戻っていた。

 呆れながらも何だかんだ嬉しそうな祐吾の顔を見ながら、怜はまた一口ビールを喉に流し込む。いつもなら爽快に弾ける泡の感触が、今日は何だかぬるりと撫でられているような気がした。



「ただいまー」

「おー、おかえり」

 独り言で言ったつもりが返ってきた言葉に、怜は目をパチクリとさせる。

「何だ、帰ってたの?」

「ちょうど今さっきな。前夜祭、どうだった?」

 ニカッと笑う男の名は鬼崎(おにざき)礼央(れお)。怜の恋人で、同棲をしている相手だ。そして高校、大学の同級生であり、彼もまたバスケ部のメンバーだった。

 生憎、今日の集まりには仕事の都合で参加できなかった彼から話を振られ、怜は肩を竦めて答えた。

「相変わらずの伝説談議で盛り上がったよ。主役が主役だったしね」

「ハハッ、そりゃそうだ」

 面白そうに笑う礼央の顔をジッと見つめる。

「ん?何?」

「…別に。お風呂入っていい?」

「おー、いってらー」

 軽い調子で送り出す声を背にバスルームへ入る。

「…」

 扉に寄りかかる形でズルズルと座り込み、膝に顔を(うず)める。

─じゃあさ、私にしとかない?

 在りし日の会話を思い返し、そっと目を瞑った。



 好きになったきっかけはもう覚えていない。社交的で、クラスでも部内でもムードメーカー的存在だった彼の姿を目で追いかけていた自分がいたという事実が残っているだけだ。

 そしてもう一つ。自分が見つめていた彼は自分ではない人物を見ていて、その彼女は同じく彼女を想っていた彼の親友の恋人になった。それだけだ。

「いやぁ、初恋は実らねぇって言った奴誰だよって話だよな。あっさりくっつきやがってさー」

 親友の恋が成就した日の部活終わり。日課の居残り練習に付き合っていると、淡々とシュートを打ち続けながら彼は言った。

「どうアプローチしていいかわかんない祐吾を気遣って、いつも二人で声かけたり遊びに誘ったりしてた人間がそれ言ってるのって何、ツッコんでほしいの?笑ってほしいの?」

「ひでーな、慰める選択肢なしかよ」

 ケラケラと笑う礼央の表情はいつもと変わらず明るい。機械のように同じテンポでボールを放る動きにも変化はない。

「しゃーねぇじゃん?向こうが祐ちゃんを好きになっちまったんだからさ。恋のライバルでも大事なダチだぜ?だったら、もうあとは応援の一択じゃんよ」

「そのサポート癖はプレーだけにしとけば良かったのにって話よ」

 ガンッと音を立ててゴールリングから外れた最後の一投が床に落ちる。コロコロと行き場をなくしたように転がったボールは、やがて勢いを失い怜の足元で止まった。

「…あー、外しちまった」

 これ入ったらパーフェクトだったのにな、と軽口を叩いている姿を見ていると胸が苦しくなった。同時に、心のどこかで安堵している自分に反吐が出た。

「じゃあさ」

 だからだろうか。

「私にしとかない?」

 彼の中に自分がいない事を承知でこんな事を言ったのは。

 へ?と鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする礼央。それが何だか無性におかしくて、プッと笑ってバーカと足元のボールを投げつける。

「冗談に決まってんでしょ?あんたとの付き合いなんて、部活だけで十分よ」

 ほら、片付けよと背中を向ける。勝手に潤みだした目は、絶対に見せたくなかった。



 礼央の失恋はそう後に引かなかった。引きずる暇もないほど忙しかったというべきか。自分達が主力となってからは、全国制覇を目指してより一層練習に打ち込んだ。新しい主将は礼央が指名されたが、ここでもサポート気質の彼はこれを固辞し、自分が誰より信頼する祐吾が主将になるという条件で副主将を務めた。

 そして迎えた最後の冬。順調にトーナメントを勝ち進んだ準決勝での事だった。

「礼央、大丈夫か?」

「へーきへーき。ちょっと捻っただけだって」

「動かないで、テーピングしてんだから」

 試合中、礼央がアクシデントで左足首を捻挫した。とりあえず応急処置で誤魔化したが、3Pシュートが武器の彼にとって両足にかける力に違いが生まれる事は致命的だった。

「決勝は礼央抜きでいく」

 監督が下した決断はチームにとってとても厳しいもので、その場の空気は重苦しかった。

「ワリー、みんな!俺は客席から応援してっからよ!絶対優勝してくれ!」

 そう言って、礼央はいつもの明るさで皆を鼓舞した。そのお陰で部員達が奮い立つ中、彼の目が腫れている事に気づいたのは怜と祐吾だけだった。

「───ここで試合終了ー‼最後の最後に決めました、風間祐吾!一点を追う展開で、親友の無念を晴らすかのような華麗な3Pシュート!聖フランツ学園、悲願の全国制覇です‼」

 ワァッとベンチを含めた部員達が祐吾に駆け寄る。涙と笑顔でいっぱいのチームメイトに囲まれ、自身も嬉しそうな顔で最初に目をやったのは礼央のいる客席だった。同じように上を見上げた怜は、すぐに後悔した。

 コートにいる面々に負けず劣らず歓喜の色に染まっている彼らの一番端。そこに立っていた礼央は嬉しそうな、けれど深く傷ついたような顔をしていた。

 ずっと側で見ていた怜にはわかった。

─俺、鬼崎礼央!苗字はいかついけど、超フレンドリーだから安心してよ!

─…風間祐吾、よろしく

─ブッ、ウケる!俺よりよっぽど鬼みたいな仏頂面じゃん!

 入部当初から常に切磋琢磨し合い、共に頂点を目指した仲間であり親友でもある彼と同じ場所で喜びを分かち合えなかった事。

─あいつ何なんだよ!自分はできるからって、もっと言い方ってもんがあんだろ!

─まーまー、そう怒るなって。祐ちゃんだって、チームのためを思って言ってんだからさ!

 いつもなら自分を頼りにする部員達が、不器用で誰に対しても言葉が足りず、誤解されがちな祐吾を英雄だと讃えている事。

─やっぱ礼央はウチの絶対的エースだよな

─フッ、俺に惚れんなよ?

 とどめは、その親友が英雄と呼ばれる所以となったのが死に物狂いで磨き上げた自分の代名詞とも言える武器によるものであるという事実。想い人だけでなく、プレーも、仲間の信頼も、自分の青春の全てを持っていってしまった祐吾を祝福しきれない、そんな自分も許せない、そんな顔。

 悲願だった全国制覇。しかし怜と祐吾、そして礼央にとってその思い出は苦く苦しいものとなった。



「おかえり、お姉ちゃん」

 三年間の高校生活を終えた日。卒業式の後に行われた部の送別会から帰った怜に、妹の(よう)が声をかけた。

「送別会、楽しかった?」

「あー、まあね。それなりに?」

「何それー」

 他人事みたいじゃん、と笑う妹に曖昧に笑って誤魔化す。実際、彼女にとって今日の会は他人事も同然だった。

 ウインターカップ以来、部員達は手のひらを返したように祐吾と親しく関わるようになった。一方で、大事な時にチームに貢献できなかった礼央は事あるごとにからかわれた。彼はそれを笑って受け入れ、そのせいであの冬の出来事は部員達の間で鉄板の話題となった。エースの称号は完全に祐吾のものになり、プレー面でも精神面でも部を支え続けた礼央はただの道化となり果てた。

 あの試合から、祐吾と礼央の関係性は確実に変わった。会話はするものの、怜から見れば祐吾は明らかに礼央に対して遠慮の色が見えた。彼も彼で、負い目のようなものがあるらしかった。

「ねー、そういえばさ。聞いて聞いて!」

 何かを思い出したのか、謡がやや興奮した様子で話し始める。

「私達、お姉ちゃん達が帰った後三年生の教室の掃除してたんだけどさ!」

「ああ、恒例だもんね」

「そうそう。でね!私が担当したクラスに、すっごい事あったの!」

「すっごい事?」

 怪訝そうにする姉に、謡は百聞は一見に如かずと言わんばかりにスマホを見せる。

 そこに映っていたのは、何の変哲もない教室の机。けれど、その隅に書かれた文字を見た怜は言葉を失った。

【ずっと好きでした。最後まで戦いたかった】

「…謡、あんたが担当したのって何組?」

「え?えーっとね、三組!ね⁉すごくない⁉これって告白だよね⁉"戦いたかった"って、誰かと三角関係だったって事かな⁉…って、お姉ちゃん?」

 無邪気にはしゃいでいた謡だが、目の前の姉の姿に困惑した顔をする。

「…っ」

 堪えられなかった。この字の主がわかってしまったから。何度も見てきたのだ、間違える筈がない。だって、謡が掃除をした三組には()()がいるのだから。

(何泣いてんの。わかってたじゃない。あいつがずっと、誰を見てたかなんて)

 恐らく、決別の意味を込めた行動だったのだろう。自分は踏み込むのが怖くて、土俵に上がる事すらしなかった。泣く資格などない。けれども、涙は止まってくれなかった。

 みっともなく泣き崩れる姉に何かを察したのか、謡がそれ以上何かを言う事はなかった。


 礼央とは腐れ縁が続き、同じ大学に進学した。学部は違ったが、怜のサークルの先輩が礼央と同じ学部だった関係で何となく昼食や空きコマの時間を共にする事が多かった。

 祐吾は別の大学へ行ってしまったが、礼央が変わらず連絡を取っていたのでこちらも同じく何となく三人ないし()()も含めた四人で遊ぶ事もあった。誘いをかけるのはいつも礼央で、やはり祐吾は彼によそよそしかった。

 付き合うきっかけは些細な事だった。

「うわぁ、(さみ)ぃ。体も心も、ついでに懐も(さみ)ぃ。世間はクリスマスでカップルだらけ、お一人様の肩身が狭いぜ」

 大学二年の年の暮れ。恨みがましくぼやく礼央に、怜は呆れたように返した。

「ついこないだ、後輩の告白を断ってたくせに何言ってんの」

「だってさー、よく知りもしねぇ相手だぜ?ほいほいOKすんのも逆に失礼じゃん?」

「チャラい割に意外と身持ちが固いのがお一人様の原因だって、そろそろ気づけば?」

「あいたぁ~、そこ突かれると何も言えねぇ」

 ちゃらけた態度で笑う礼央に、怜はため息をつく。同時に、彼に相手ができない事を喜んでいる自分に辟易した。

(どんだけ引きずれば気が済むのよ。ホントにバカみたい)

 そんな半ば自棄にも似たものの延長だったのだと、怜は後に振り返る。

「じゃあさ」

 高校時代と同じように。

「私にしとかない?」

 さも情けをかけたかのような告白で彼の隣にいる権利を勝ち取り、上辺だけの愛を貰う事で彼の幸せを願えない自分に罰を与えるような真似をしてしまったのだと。

「一緒にいて気楽な相手と付き合うっていうのも一つの手だと思うけど」

「…プッ、自分で言うか?」

 でも悪くねーな、と無邪気に歯を見せる彼の笑顔を真っすぐに見る事はできなかった。



「いやぁ、結婚式って初めて行ったけど感動したなぁ!」

 式に披露宴、そして二次会を終えて帰宅してすぐに、礼央は赤らんだ顔を緩ませて言った。

「ちょっと、酔い過ぎ。もう夜遅いんだから声抑えてよ、近所迷惑でしょ」

 ほら水、とコップを渡すとヘラヘラした顔のままサンキュと受け取り、一気に飲み干す。

「やー、ホント、二人とも幸せそうだったなぁ」

 しみじみと呟く彼のスーツの上着をハンガーに掛けながら、怜は式での祐吾達の顔を思い出す。

 青く澄み渡る空に鳴り響く教会の鐘の音。ライスシャワーが降り注ぐ中、陽の光に反射する真っ白なウエディングドレス。そのドレスよりも綺麗に幸せそうに笑う姿。それを見て思った。

「確かに、あんなに愛される奥さんは幸せだよね」

「なー」

「…結局さ」

 弱いくせに次々とグラスを空けていた礼央に呆れていたが、自分も思いの外酔っていたらしい。

「最後まで好きだったよね、礼央は」

 けして言うまいと思っていた一言は、いとも簡単に口から零れた。

「へ?」

 背中越しに間抜けた声が聞こえ、ハッと口を押さえる。

「っごめん!明日のパン買ってなかった!ちょっとコンビニ行ってくる!」

「あ、おい、怜っ…」

 引き止める声を振り切り、怜は勢いで部屋を出た。エレベーターには乗らず、階段で一階まで下りる。そのまましばらく走っていた足は次第に速度が落ちていき、そして止まった。

「ハァッ、ハァッ、ハッ…」

 息切れした呼吸が寒空に白く漂う。

「ハァ、ハァ、は…っは、ホント、バカみたい…」

 自嘲の声がポツリと落ちる。諦められないでいるのはどちらだ。素直になれず、余裕ぶって、大人の振りをして、そうして拗らせすぎたせいで、もう涙すら出ない。

「さむ…」

 コートを着てこなかった体にキンと冷えた空気が沁みる。少しでも暖かくしようと、ギュッと体を抱き締めて蹲った。



「───それで俺を頼ってくれたのは嬉しいが、その…傷口に塩を塗りつけているだけだと思うのは俺だけか?」

「大丈夫、塩どころか辛子味噌浴びてる気分だから」

 新婚旅行の土産を渡したいと祐吾から連絡を貰い、勢いで泣きついた数日前の自分に項垂れる。

 普段あまり行かない町の有名コーヒーチェーン店。その隅の席で相談に乗ってくれている彼は、妻となった彼女に了承を得て来てくれている(それに関しては彼らしい律義さだと感心したし、個人的に彼女にも謝罪のメッセージを送っておいた)。礼央には内緒で会いたいと言った自分のわがままに付き合ってくれた祐吾は、気遣わしげにこちらを見ながらコーヒーのカップを持ったり置いたりしている。

 それを見て、怜は深く息を吐いて言った。

「ごめん、幸せ絶頂期によりによって過去を蒸し返すような事言って」

「いや、怜には借りがあるし、返さないとフェアじゃない」

「そういうとこよ、不器用イケメン」

 言葉が足りないだけで礼央と同じくらい友人想いな彼の対応を受け、さらに自分の器の小ささに落ち込む。

「礼央とはそれから話してないのか?」

「師も走る月って便利よね。ちょうどお互い繁忙期に入って残業が続いて、必要最低限の会話しかしてないわ」

 今日も家を出る際、眠たげに見送ってくれた顔を思い出しながらカフェオレのカップを傾ける。

「俺は…」

 少しの沈黙の後、祐吾がカップに視線を落としたまま口を開いた。

「あいつが怪我して、一緒に試合に出られなくて、それでもお前はチームに必要なんだって、そう伝えたくてあのシュートを打った。けど、結果的にそれがあいつを傷つけた。俺はいつもあいつに助けられてたのに、俺は恩を返すどころかあいつから何もかも奪ってしまった。それがずっと後ろめたかった」

 でも、と祐吾の目が真っすぐに怜を捉える。

「礼央は、何も変わらずにいてくれた。それはお前が一緒にいたからだ」

「え?」

 思ってもみない言葉に、怜は小さく目を見開く。

「怜だけが俺への態度を変えなかったから、あいつもあいつのままでいてくれた。卒業してからも、二人じゃ気まずいからと気を遣って一緒にいてくれたお前のお陰なんだ。だから、その…か、感謝してるし、お前達には幸せになってほしいと思ってる」

 目の前にいるのは、本当にあの祐吾なんだろうか。自分の胸の内を晒すのが特に苦手な彼がこうして懸命に話してくれている事が、怜は嬉しかった。

 あーあ、と思いっきり天井を仰ぐ。クルクルと回るファンを見つめ、ゆっくりと何かを決意したように瞬きをする。

「何か、やっと前に進む決心ついたわ」

「いいのか?」

「うん。ちゃんとこれからも友達でいられるように、円満に別れてくる」

 そしたらさ、と仰いだままの顔から詰まった声が聞こえた。

「そしたら、また泣いていい?」

「…借りは返すって言っただろ」

 不器用な返事に、小さくありがとうと返した。



「なー、怜」

 それからしばらく仕事に忙殺されていたある朝。先に家を出ようとしていた怜は、ヒールを履きながら礼央を振り返った。

「何?」

「今年のイブさ、俺行きたいとこあんだけど一緒に来てくんね?」

「いいけど」

「よっしゃ、決まりな!」

 そう言ってニカッと笑っていたのが先週の事。

「ここって…」

「なっつかしーなー!ほらほら、入ろうぜ!」

 テンション高く手を引かれ、怜は十年ぶりに母校の門をくぐった。

「ちょ、勝手に入ったらまずいんじゃ…」

「だいじょーぶ!監督に許可取ってっから!」

 ニコニコと入校許可証を首から提げられ、向かった先は体育館。怜達にとっては、教室よりも長い時間を過ごした場所だ。

「いやぁ、変わんねぇな~!お、ボールあんじゃん!」

 片付け忘れたらしいオレンジ色のそれを人差し指の上で回転させる姿を見ていると、あの頃の光景が容易に甦る。

 毎日残ってシュート練習をしていた礼央に付き合っていたあの日々も、今ならいい思い出だと思えるのは終わらせる覚悟を持てたからだろうか。

「なー、怜。勝負しねぇ?」

「勝負?」

「3P一本、入ったら俺の勝ち、入らなかったらお前の勝ちだ」

「私が勝ったら何してくれるわけ?」

「別れる」

「は?」

「んで、俺が勝ったら…」

 こちらを振り向いた顔は、いつもより大人びて見えた。

「結婚してよ」

「え…」

「じゃ、いくぜー」

「ちょ…」

 二人の未来を決める重要な話だというのに、礼央は怜が止める間もなくシュートを放った。ブランクなど一切感じさせない綺麗な放物線を描いたそれは、ゴールリングに触れる事もなく見事に決まった。

 何度か弾み、やがて自分の足元へと転がってきたボールを掴むと、礼央はポカンとしている怜の前に立ち静かに微笑んだ。

「俺の勝ち」

「何、で…」

「無二の親友からタレコミがあったんだよ」

─気持ちはちゃんと言葉にしないと伝わらない。お前が教えてくれた事だぞ

「ったくお前もさー、もっと信用してくれっての。何で俺がお前とずっと一緒にいたと思ってんの?」

 好きだからに決まってんじゃん。

 さらりと言われた一言に、怜の目には涙が溜まっていく。

「だ、って…」

「そりゃ、最初は忘れられなかったぜ?ぶっちゃけ、お前と付き合ってても全くあの子の事考えなかったかって言われたら嘘になる。でも、お前はそんな俺を丸ごと好きでいてくれたじゃん。俺と祐ちゃんが親友でい続けられたのも、お前が当たり前のようにいてくれたからだろ。そういうの全部ひっくるめて、今の俺がいるんだよ。俺にはお前が必要なの」

 だからさ、と礼央は斜めがけていたポーチから小さな箱を取り出す。パカリと開けたそこには、キラキラと雪の結晶のようなダイヤモンドが輝いていた。

天野(あまの)怜さん、俺と結婚してください」

「っ…」

「まだ別れを切り出されてねーから、試合継続中だろ?今度は俺にブザービーター決めさせてよ、ってな」

「フッ…バッカじゃないの」

 泣きながら笑う怜を礼央はギュッと抱き締める。

 やっと互いに素直になれた二人。そんな彼らを祝福するように、外では雪がふわふわと舞っていた。

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