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忍び恋ふ歌 心染む

「ぐはっ」

「ハッ、ざまーみやがれ!ザコ共が!」

 道に倒れ伏す男達を見下ろし、(しのぶ)は中指を立てて勝利を宣言する。一対一では敵わないからと複数がかりで襲われたのだが、彼の喧嘩の腕を(もっ)てすればそんな事は障害にすらならなかったようだ。

 表通りまで出て駅に向かいながら、忍はスマホで時間を確認する。このまま家に帰っても、待っているのは酒浸りの父親の怒号だけだ。真っ直ぐ帰る気にもなれないし、どこかブラつこうかと視線を横に投げた忍の目にあるものが映った。

「いいじゃん。カラオケでも行って、パーッと楽しく遊ぼうぜ!」

「からおけ、ですか?ええっと、申し訳ございません。(わたくし)、そのような場所は存じ上げず…」

「マジ?どんだけお嬢様だよ、ウケる!」

「うけ…?」

 明らかなナンパである。しかもかなり(たち)が悪い。道行く人がそうしているように見なかった振りをしてもいいが、どう考えてもあのままいけば犯罪が起こる予感しかない。

(仕方ねぇな)

 人助けなど気が乗らないが、後味の悪い思いをするのはごめんだと近づいていく。

「俺らが楽しい事教えてあげるからさ!一緒に行…」

「おい、そこまでにしとけよお前ら」

 下心の塊でできた手を掴むと、男達の表情がサッと変わる。

「お、お前…」

「二秒だけ待ってやるよ。その間に失せろ」

 いーち、とカウントを始めた途端慌てたように逃げていく二つの背中を見て鼻で笑う。自分で言うのも何だが、この町で一番敵に回してはいけない男という肩書きはこういう時に役に立つ。用は済んだとばかりにその場を立ち去ろうとすると、あの!と高い声が引き止めた。

「ありがとうございました。お話の内容がわからず、どうすれば良いのか困っていたのです」

 そう礼を言う彼女を見た忍は、固まった。

 (つや)やかな絹糸のような黒い髪。大きな瞳は、影ができるほど長い睫毛に縁取られている。スッと通った鼻筋も、形の良い唇も、全てのパーツが完璧に配置されていた。百人が百人とも美少女だと太鼓判を押すであろうその少女は、自身の言葉に何の反応も見せない忍に小首を傾げる。

「あの…?」

「!あ、いや、別に…お、お前もあんなベタなナンパに引っかかんなよ!」

「あ、はい、お手数をおかけして申し訳ございません」

 素直に頭を下げられ、忍はむず痒い気持ちが込み上げる。

「こ、この辺物騒だからあんまウロつくなよ!じゃあ…」

「あ、お待ちください陸奥様!」

 一瞬で熱くなった顔を隠すようにその場を立ち去ろうとしたが、少女の言葉に足が止まる。

「な、何で名前…」

「制服に刺繍がありましたので。"むつ"様、でよろしいでしょうか?」

「いや、まあ、合ってっけど」

「下のお名前は何と仰るのですか?」

「…忍」

 問われるまま答えると、まあ!と興奮気味に両手を合わせる。

「まるで百人一首ですね!」

「ひゃく…は?」

「お嬢様!」

 突然意味のわからない事を言われ戸惑っていると、少女の後ろからスーツ姿の男が血相を変えて走ってきた。

「車でお待ちくださいと申し上げたでしょう!」

「ごめんなさい。でも…」

「あなたに何かあったら私が責任を問われるのです!さあ行きますよ!」

「あ…」

 男は忍など視界にも入っていないとでもいった様子で少女を連れていってしまった。

「…何だったんだ」

 一人残された忍はポツリと呟く。去り際に振り返った少女の顔だけが、いつまでも彼の脳裏に焼きついていた。



「しーちゃ~ん。HR終わったぜ?」

「その呼び方やめろって言ってんだろ、(とおる)

 居眠りを妨げられ、不機嫌な顔を上げる。声をかけた本人は、悪気など皆無といった調子でまあまあと肩を叩いてくる。

「今日どうする?ゲーセン行かね?あ、オグ(せん)が職員室来いって怒ってたぜ」

「最後だけおかしいだろが」

 担任からの言伝をついでのように伝えるのはわざとだろう。呼び出しの理由は授業中の居眠りか、提出物の催促か、心当たりがあり過ぎて行く気にもならない。

 大きな欠伸を一つして立ち上がった忍に、徹は楽しそうに声をかけ続ける。

「で?どうすんの?行くの?」

「ゲーセンも職員室も行かねーよ。今日は帰って寝るわ」

「え~、つまんねぇじゃん」

 ブーブーと口を尖らせる友人を無視して校舎を出た忍は、校門の辺りがやけに騒がしい事に気づいた。

「何だあれ、めっちゃ人だかりできてんじゃん」

 徹も興味津々といった様子で足を止める中、黒い学ランを着たむさ苦しい男共の陰からチラリと覗いた薄紫色を見つけた忍の目は驚きで大きく見開かれ、ダッと体が勝手に走り出す。

「その制服、泉女(いずじょ)のでしょ?こんなトコで何してんの?」

「俺らと遊ばね?」

「あの、お誘いは嬉しいのですが、(わたくし)人を待っておりまして…」

「まさか彼氏?そんな奴放っといて、俺達とイイ事しようぜ」

「どけ、テメーら」

 ザワザワと騒がしかった空気は、ドスの効いた一声でシンと静まり返った。モーゼが海を割るように学ランの男子生徒達は両端に分かれて道を開ける。その先にいた忍の姿を見た少女は、パッと表情を明るくした。

「陸奥様…」

「ちょっと来い」

 有無を言わさず手を引き、学校を後にする。残された生徒達は、ポカンと顔を見合わせるしかなかった。



「お・ま・え・な~!」

 何考えてんだ!と怒鳴られ、少女は華奢な首をキュッと竦める。

「あんな所にお前みたいなのが一人でいたらどうなるかぐらいわかるだろ!」

「も、申し訳ございません。ですが、どうしてもお会い致したくお待ちしておりました」

「待ってた?俺を?」

 はい、と黒い瞳が忍を見上げる。

「先日は碌にお礼を申し上げる事もできませんでしたので。改めて、一宮(いちのみや)染乃(その)と申します。あの時はありがとうございました。こちらは心ばかりですが、お礼の品です。お口に合うと良いのですが」

 そう言って差し出したのは、いかにも高級老舗ですと言わんばかりの重厚感溢れるデザインの紙袋。中を覗くとどうやら和菓子のようだが、確実にスーパーに売っている物よりゼロが二つは多い気がする。

「あ、和菓子はお好みではありませんでしたか?」

「いや、そういう問題じゃねぇっていうか、いや、うん…サンキュ」

 色々と説明するのが面倒になった忍は、大人しく紙袋を受け取る。

「うわー、めっちゃ高そう。しーちゃん、俺もそれ食っていい?」

「勝手にしろ…って、何でいんだよ⁉」

 いつの間にか隣にいた徹に、染乃共々驚く。

「へへへ~、何か面白そうな予感がしてさ。こっそりついてきちゃった」

 無邪気にピースサインを作ると、徹は染乃に話しかけた。

「どうも~、しーちゃんの親友の皆元(みなもと)徹でーっす。染乃ちゃんだっけ?めっちゃ可愛いね!しーちゃんとはどういう関係?あ、NINE(ないん)交換しない?」

「ちょっと黙れテメー」

 社交性が人並外れているのが皆元徹という男の長所であり、短所でもある。息もつかせぬ勢いで自分のペースに巻き込んでいく彼の頭を鷲掴み、無理やり会話を中断させる。

「いいじゃん、しーちゃんばっかズルいって。出会いのない男子校の貴重な女子との接点よ?チャンスの神様はハゲてってから、しっかり頭掴んでねーと逃げちまうんだぜ」

「そう言ってこないだも合コン行ってたのはどこの誰だよ」

 無駄に整った顔でさも格言を言ったような雰囲気を醸し出す友人に呆れていると、染乃がクスクスと笑みを漏らした。それを二人でキョトンと見つめると、あっと口元を手で覆う。

「失礼致しました。お二人のやりとりがとても楽しげだったので、つい。お名前も縁が深いですし」

「名前?あ、一文字だから?」

「フフ、そうですね。それからチャンスの神様ですが、正確には前髪しかないので背中を見せられる前にそれを掴まなければならない、というのが正しいお話です」

「へー、流石泉女のお嬢様!めっちゃ頭いいね!」

「もうお前マジで黙れ」

 めっちゃ頭悪そうな返しをする徹に忍は恥ずかしくなる。染乃の着ている薄紫色のワンピースは、隣町にある有名なお嬢様学校清泉(いずみ)女子高等学校の制服である。通う生徒はもれなく名家の子女か大企業の社長令嬢ばかり。通学の時間帯には、黒塗りの高級車が学校周辺を固めるのがちょっとした名物でもある。名家のめの字も縁のない忍には彼女がどれほどのお嬢様なのか見当もつかないが、少なくともここまでの様子を見るに相当な世間知らずである事だけはわかった。

 NINEはやっていないという染乃に対し、ちゃっかり電話番号を交換する徹の頭を(はた)きながらも流れで自身も彼女の連絡先を手に入れられた事を喜んでいる自分に、忍は何とも言えない気持ちを覚えるのだった。



 ヴ、とスマホが揺れるなり忍はガバッとベッドに横たわっていた体を起こす。

【こんばんは。今日はにわか雨が降りましたが、帰り道は大丈夫でしたか?】

 飾り気のない丁寧な文面に、即座に返事を返す。

【徹とゲーセンであまやどりしたからへーき】

【ゲーセン…前にお話しされていた遊び場ですね。楽しい時間を過ごせましたか?】

【まあ、フツー】

【羨ましいです。けれど、(わたくし)もいい事がありました】

【何?】

【雨が上がった後、部屋の窓からとても綺麗な夕陽が見えたのです。庭の杉の葉が雨の水蒸気で煙って、秋になったのだなと実感致しました】

【秋好きなの?】

【そうですね。澄んだ青空も気持ちいいですが、夕暮れを見て感じる物悲しさが好きです】

「ものがなしさ…」

 彼女からのメッセージは読めない単語、意味のわからない単語が多い。しかし、忍はそれを一つ一つコピーペーストで検索をかけてまでやりとりを続けていた。こういう時、自分の脳味噌のスペックの低さにイライラする。教養はあればあるほど面白いのだというのは何かとうるさい担任の口癖だが、大変不本意ながら今それを実感していた。

 染乃はやはり規格外の深窓の令嬢だった。家が和歌の先生をしているとかでとても厳しく、帰ってからもやれ茶道の稽古だの礼儀作法の勉強だのと分刻みのスケジュールを過ごしていた。唯一、寝る前の三十分だけが自由時間だそうで、こうしてショートメッセージでの交流が毎日続いている。

 話していてわかったのだが、忍と徹の名前の縁が深いというのは徹と漢字違いの同姓同名の人間が詠んだ歌に自分の名前が入っているからだそうだ。源氏物語とかいう話の主人公のモデルにもなった人物らしく、主人公の光源氏は恋多き男だと聞いて心から納得したのも記憶に新しい。

 散々言ったお陰で"陸奥様"から"陸奥さん"へと呼び方を改めてもらう事はできたが、休日も予定が溢れ返っているので会う事はできないのがもどかしい。それでも、こうして律儀に毎日連絡をくれる彼女との限られた時間は、自分にとって何よりも楽しみである事に違いはなかった。



「えっ、じゃあまだデートもしてねぇの?」

 紙パックのジュースのストローから口を離し、徹は驚いた顔で言った。不満げに悪いかと凄めば、悪かねぇけどさーと視線を前へ戻す。

「俺はてっきり、もう告るぐらいの事はしてると思ってた」

「手の早ぇテメーと一緒にすんな」

「しーちゃん硬派だもんな~」

「しーちゃんやめろ」

「失礼、陸奥忍様でいらっしゃいますか?」

 声をかけられて振り向くと、スーツ姿の若い男が立っていた。見覚えがある。初めて染乃と会った時、彼女を連れていった人物だ。

「そうだけど、何か用?」

「大変恐縮ですが、少々お時間よろしいでしょうか。染乃お嬢様の事で大切なお話をさせて頂きたいのですが」

「!」

 ドキリと心臓が嫌な鼓動を打つ。一瞬頭を過った彼女の顔は、何故だか哀しそうだった。

「───単刀直入に申し上げます」

 近くの公園へ場所を移すなり、男は眼鏡を押し上げて言った。

「今後一切、染乃お嬢様と連絡を取る事はやめて頂きます」

 やっぱりかと心の中でため息をつく一方で、頼みですらいない唐突な宣言に忍は眉間に皺を寄せる。

「何でテメーにそんな事言われなきゃなんねぇんだよ」

「ここ最近のお嬢様の様子が気になり、旦那様の許可でお嬢様のスマートフォンを拝見しました。一宮家は遡れば公家の家系、皇族に和歌の御指南もなさる歴史ある名家です。染乃お嬢様は代々でも有数の才能をお持ちでいらっしゃり、ゆくゆくは然るべきお相手と結婚もする。困るんですよ、あなたのような方と交流があると周囲に知られたら」

 侮蔑を込めた眼差しが忍を射抜く。

「父親はアルコール中毒でまともに働いておらず、母親は幼少期に蒸発。当の本人も、名前を書けば入れるような高校で尚問題児と言われるような不良ぶり。全て調べさせて頂きましたよ。そんなあなたでもわかるように言いましょう」

 迷惑なんですよ、あなたはお嬢様の人生に邪魔でしかないんです。

 わかっていた事だった。それでも、こうしてハッキリ言葉にされるとどんな拳よりも痛いと思ってしまった。



 その夜、忍はぼんやりとスマホに残った染乃と交わしたメッセージを眺めていた。飾り気のない文面。けれども、彼女の柔らかな人柄が十分に表れた言葉の連なり。どこか優雅なそれらは、確かに言葉を操る人間に相応しい。

 わかっていた。自分とは違う世界の人間だと。わかった上で惹かれていった。

 時刻は九時半を少し過ぎた頃。いつもならメッセージが届く時間だ。もう来ないと頭では理解しながらも未練がましく画面を見つめていると、突然着信音が鳴った。メッセージではなく電話、表示されている名前はまさに想っていた少女のもの。忍は戸惑ったが、意を決して通話ボタンをタップした。

「…もしもし」

《あ、その…こんばんは。夜分に失礼致します》

 少し緊張した声が鼓膜を震わせる。

「どうしたんだよ」

《あの、本日は京極が大変な無礼をしたと…本当に申し訳ございません》

 知らぬ名前が出てきたが、あの眼鏡の男の事だというのはわかった。そういえば名乗りもしなかったなと思い返すが、名乗る価値もないと思ったのだろうと自嘲した。

「気にしてねぇよ。ホントの事だしな」

《あの、陸奥さん…(わたくし)…》

「もう連絡すんなって言われてんだろ?俺も怒られたくねーし、これ以上話す事もねぇよ」

 気遣いと見せかけた八つ当たりに、小さく息を飲む気配を感じる。

《…そう、ですね。では、最後に一つだけ》

「?」

《みちのくの しのぶもぢずり (たれ)ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに》

「何を…」

《とても楽しかったです。どうぞ息災なくお過ごしください》

 それだけ言うと、電話は切れてしまった。

「…何なんだよ」

 真っ暗になった画面に、零れるような悪態だけが落ちた。



「そっかー、なかなかストレートに言われたね~」

 翌日の放課後、忍は徹に一連の流れを話した。事の次第を把握した彼の声は軽いが、今はその方が有り難かった。

「おい、陸奥」

 嗄れた声に呼ばれ前を見ると、ひょろりと背の高い男性教師が腕を組んで立っていた。その顔を見るなり、忍はゲッと顔を引き攣らせる。

「オグ先…」

「散々呼び出しを無視しおって、今日という今日は逃がさんからな」

 泣きっ面に蜂とはこの事である。担任に首根っこを掴まれ、職員室へ連行されかけたところへ徹が助け舟を出した。

「まーまー、オグ先。今日は勘弁してやってよ。こいつ失恋して凹んでんだって」

「おまっ、余計な事言うな!」

「失恋~?」

「あ、そうだ!あれオグ先に聞きゃいいじゃん!古文担当なんだし!」

 名案を思いついたとでも言いたげなその顔を殴りたい。何が悲しくて教師に恋愛相談をせねばならないのか。

「ほら、何だっけ?みちのくの…あと忘れた!何かの歌なんだってさ」

「お前らは…この間まさに授業したところだろうが」

 呆れたように息を吐きながらされた解説を聞いた忍は、大きく目を瞠った。



「おかえりなさいませ、染乃様」

 迎えの車の側で頭を下げる京極に頷きを返す。ドアを開けてもらい中へ入ろうとすると、誰かに手を掴まれた。驚いた染乃は、相手の顔を見て声を上げた。

「陸奥さん⁉」

「よお」

 息を切らせてこちらを見るのは、昨夜別れを告げた少年だった。

「ど、どうして…」

「いいから来い」

 強引に手を引かれるのは二度目だ。京極の呼び止める声を背に、染乃も状況が読み込めないまま忍に引きずられていった。

「───ふざけんなよ!」

 こうして怒鳴られるのも二度目である。キュッと首を竦めた染乃は、恐る恐るなぜここにと問うた。

「何でじゃねぇよ!あの歌!」

「え?」

─そりゃ百人一首の歌だ。陸奥(みちのく)…今の東北で織った"忍摺り"っていう衣の模様みたいに乱れる私の心はあなたのせいですよと恨み言を詠んでてな

()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか、ひにくのつもりかよ!」

 そう詰られ、染乃は切なげに顔を歪める。

「ですが、これ以上話す事はない、と。だから、(わたくし)は…」

「和歌ってのは人の気持ちがわかってねーと詠めねぇんだろ⁉だったら俺みたいな単細胞の本音くらい見抜けよ!」

「!」

「そこまでだ」

 威厳のある声が二人の間に入る。

「お、お父様!どうして…」

「前の予定が変わったのでな。お前と一緒に帰ろうと来ていた」

 和服姿の厳格そうな男が、忍をジッと見つめる。

(くだん)の相手か。学校まで押し掛けるとは随分不躾な男だ」

「先にウチに来たのはこいつだぜ。そういうの、ブーメランが刺さってるって言うんじゃねぇの?」

 忍の返しに、染乃の父は小さく目を見開く。

「…京極から報告は受けている。染乃」

「は、はい」

「お前はこの男を伴侶としたいのか?」

「「え(/は)?」」

 突拍子もない質問に、忍達の間抜けな声が綺麗に重なる。染乃の父は忍にも視線を向け、低い声で尋ねた。

「陸奥、と言ったか。染乃に見合う男になる覚悟はあるか?」

「は、え、なん…」

「私から提案がある。飲むかどうかはお前次第だ」

 そして染乃の父が語った話に、忍は度肝を抜かれたのだった。



「いや~、これぞまさに逆シンデレラストーリーだよね~。まさかしーちゃんが染乃ちゃんの家の養子になるなんてさ~」

「正しくは分家の、です。(わたくし)の家に入ってしまっては、結婚できませんから」

「親父さん、よく許したよね~」

(わたくし)は跡取りではないので、相手は必ずしも家格の釣り合う方である必要はなかったのです。父はああ見えて(わたくし)に甘いですから、可能な限りで望む相手と、と」

「成程ね~」

「つーか、何でお前がここにいんだよ!」

 古いが、広く立派な日本家屋の一室。仲良く染乃と談笑する徹に、忍は指を指してツッコむ。

「やだな~。見事に恋を実らせたどころか、婚約まで進んじゃった親友の花婿修行を応援しに来たに決まってんじゃん」

「邪魔しに来たの間違いだろうが。帰れ」

 染乃の父が提案したのは、無論養子入りだけではなかった。家格に拘らないとはいえ、最低限の世間の目もある。そこで、忍は毎日放課後になると一宮家で和歌を始めとする様々な教養を専門の指導係をつけてもらい教わっていた。忍の頑張り次第では、実の父親の生活も面倒を見るというまさに夢物語のような展開。学校での勉強が可愛く思えるほど過酷な内容に頭を抱える忍の隣で、染乃が嬉しそうに微笑む。

「染乃ちゃん、幸せそうだね~」

「はい。平兼盛の気持ちがわかった気が致します」

「ごめん、全然わかんない」

「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思うと 人の問ふまで」

「っ…」

 紅葉のように染まった忍の顔を見るに、少しは勉強の成果が出ているらしい。バカップルぶりを披露している事だけは雰囲気から悟った徹は、ご馳走様~と饅頭を口に放り込んだ。

 数年後、あるニュースが世間を賑わせた。その人生の大出世ぶりから"令和の藤原道長"と称された青年は、妻となった女性と生涯仲睦まじく歌を詠み合ったという。

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