19話 急変
「ライナス様は、いつロザリンデ様に告白するんですか?」
休日、いつものようにロザリンデの部屋でお茶をして戻ってきたライナスに、アントナンは尋ねた。
「お前はいきなり何を言うんだ」
「最近、ロザリンデ様といい感じじゃないですか。シャンタルの話ではロザリンデ様とのお茶会で終始デレデレしていると聞いていますが」
「していない。あいつの誇張を信じるな」
ライナスはため息をついて、椅子に座った。
「ですが、きちんとライナス様の気持ちは伝えておいた方がいいのではないでしょうか? ロザリンデ様、ライナス様に復讐されるのではないかと誤解したままかもしれませんよ」
「……誤解じゃないだろう。俺は元々あいつを殺すつもりで探していたんだ」
「まだそんな意地張っているんですか? この四年間、ずっとそんなこと言ってましたけど、誰ひとり信じちゃいませんよ。ライナス様の気持ちなんて全員に筒抜けなんですから、隠しても意味ないですって。気づいていないのはロザリンデ様くらいでしょう。そろそろ素直になってもいいんじゃないんですか?」
アントナンの呆れたような様子に、ライナスは苦笑をこぼす。本当に、ライナスは意地を張ってなどいないからだ。
ロザリンデの態度次第では本当に彼女を殺すつもりだった。
彼女があの時のように傲慢だったら。あの時のような目でライナスを見ていたら。
ライナスの剣が切り裂いたのは、ロザリンデの髪ではなく首だっただろう。
そうならなくて良かったとライナスは心から思う。
もし殺すことになっていたら、と考えるだけで血の気が引く。
ライナスは今もロザリンデが生きていることに感謝する。だが、ひとつ気になることがあった。
「……シャンタルが言っていたのか?」
「何をですか?」
「ロザリンデが……そのうち俺に復讐されるんじゃないかと言っていたとか、そんなそぶりを見せていたとか、そういうことをお前に話したのか?」
「いえ、特には言っていませんでしたけど……そんなに気になるなら、はっきりロザリン様に気持ちを伝えればいいじゃないですか。いっそ、プロポーズでもしたらどうです?」
ライナスは言葉に詰まった。
ロザリンデをドレスブルクに連れて行くと決めていた時から、婚姻を考えなかったわけではない。だが、自分と彼女の関係ではそぐわないと思ったのだ。
そもそも、復讐してやると啖呵を切った手前、結婚は申し込み難かった。
なにより、ロザリンデには選択肢がない。
ライナスに贖罪しなければならないと強く思い込んでいるロザリンデは、ライナスからの求婚を迷いなく受け入れるだろう。彼女の本当の気持ちに関係なく。
それは嫌だった。望まぬ枷をロザリンデにつけてしまうのは、彼女から自由を奪う教会の連中と変わらないではないか。
ライナスが今一番願っていることは、ロザリンデが誰にはばかることもなく、憧れていた外の世界を自由に歩けるようになることだ。それ以外は望まない。
望めば、きっとまた惨めな気持ちになるだけだ。
「プロポーズはしない。……俺はロザリンデにそんな関係を求めない」
アントナンは何か言いたそうにしていたが、ライナスはあえて明るい声で話題を変えた。
「だいたい、お前たちみたいに付き合った状態でプロポーズするのとはわけが違うんだ。簡単に言うな」
「いや、僕だって相当勇気いりましたよ? 僕はただの平民ですし、彼女は貴族の血が流れるご令嬢です。愛しあっていても結婚できるとは限りませんから」
シャンタルは男爵家の娘だ。男爵位なら、平民との結婚自体は珍しくはない。だが、結婚相手は大抵財を成している者だ。
ただの平民であったアントナンはシャンタルの両親から結婚を反対されていた。そんな状況でシャンタルが了承してくれるのか、不安で仕方なかったらしい。
シャンタルから了承をもらって、彼女の両親の無理難題をクリアして、どうにか結婚にこぎつけた。
恋人のために懸命に努力をしたアントナンを見ていると、かつての自分を思い出す。
ロザリンデのためなら、ライナスはなんでもできた。どんなことでも耐えられた。
いいや、とライナスは自嘲する。どんなことでもは無理だったと。
ロザリンデに騙され、捕らえられた時のことを思い出す。あの嘲笑を、あの瞳を向けられるのは、ライナスには耐えられなかった。
もし、憎悪の感情を一切見せず、使用人時代のような恭しい態度でロザリンデを保護していたとしても、彼女にプロポーズをすることはできなかっただろう。
断られたら、きっとライナスには耐えられない。
「ライナス様? どうしました?」
「……いや。お前の言う通りだと思ってな」
ライナスは沈黙していたのを適当に誤魔化す。気持ちを切り替えるべく、アントナンに茶を入れるよう頼むと、報告書を取り出した。
これまでの情報から異端者の隠れ家を推測できないかと読み直す。
「もうこうなったら、強行突破で逃亡してもいい気がしますけど」
給仕をしながら、アントナンが言う。
「ロザリンデ様の体調も回復されていますし、既にいつでも逃げられるように手筈は整えてます。異端者に気づかれる前に逃げ切ることは可能かと思いますが」
「確かにそうだが……念には念を入れて置きたい。もしものことがあってはならないからな」
万一ロザリンデが捕まれば、悔やんでも悔やみきれない。
ロザリンデが幸せに暮らせるようにアルクレアを脱してドレスブルクに向かおうとしているのに、彼女が不幸になっては意味がない。
異端者を掃討できないことに苛立ちはあるが、四年間ロザリンデを探し続けていた時の苦痛に比べれば、なんてことはなかった。
「ですが、ロザリンデ様の捜索と並行していたとはいえ、もう四年も時間をかけているのに壊滅できていません。このままだとずっとこの屋敷にいることになってしまいます。それではロザリンデ様は不自由なままでしょう」
「……そうだな」
再会したばかりの頃のロザリンデはいつも思い詰めたような表情をしており、ライナスを見る度に体を強張らせていた。
だが、最近ロザリンデは笑顔を見せるようになった。ライナスにも軽口を叩くようになっており、口調さえのぞけば、かつての頃と同じように過ごせていた。
ロザリンデの笑顔を見る度に、ライナスは非力だった男爵子息だった頃のことを思い出す。
外の世界に連れ出すことができたら、彼女はいつもこのように無邪気な笑顔を見せてくれるのではないか。自分の手でそれが出来たらと願っていた。
あの頃はただの夢想でしかなかったが、今はそれを叶えることができる立場と力を手に入れている。
この四年、ロザリンデはグレイディ家にいた頃とは比べ物にならないほど辛い日々を送っていた。早く彼女に自由を謳歌して欲しい。ライナスの臆病心で、いつまでも箱庭に閉じ込めているのは良くないのではないかとの考えがよぎる。
異端者に気取られる前に逃げ出せる可能性の方が高い。それなら、今すぐにでも逃げるべきか。
決意が固まりかけたその時、にわかに当たりが騒がしくなった。
何かを壊す音や怒号が聞こえ、ライナスは即座に近くに置いていた剣を握った。
「襲撃か」
「そのようです。ご主人様、僕が盾になりますので、その隙にーー」
「いや、奴らの狙いは俺だろう。逃げたところで、執拗に追われるだけだ」
複数の足音がこちらに向かってきていた。この場から離れようとしても、必ず鉢合わせするだろう。窓から飛び降りる手もあるが、どのみち見つかって追われてしまう。この人数では振り払うのも難しい。
ロザリンデは自室にいるはずだ。シャンタルはこの騒動に気づいてまず彼女を逃がそうとするだろうが、すぐに無理だと悟るだろう。
だから、なるべく襲撃者を刺激せずに穏当に済まそうとしてくれるはずだ。
想定していたのは少人数での襲撃だった。異端者は動ける人間がもうほとんどいなかったから。警備の数を増やしていれば対処できるはずだった。
だが、今こうして屋敷を襲撃している者達は数十人いると思われる。
迂闊だった。警戒するべきは、異端者だけではなかったのに。
ライナスが舌打ちをしたのと同時に、扉が開かれた。
「副団長ーーいや、ライナス・オブライエン」
室内に男達がなだれ込む。武装した男達は皆、騎士服を身につけており、見覚えの顔だ。教会騎士団の上層部の人間だ。
その中のひとりが、ライナスに進み出る。
「お前を、神の子殺害容疑で身柄を連行する」