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18話 二度目の贈り物

 ライナスは呆けたようにロザリンデを無言で見上げている。その顔には疲労の色が濃く、あまり休めていないことが伺えた。

 

「すみません。立入禁止だと言われたのに、勝手に入ってしまって」

「……ああ。いや、別に構わない」

 

 ライナスの声には覇気がない。これほど疲れてきっている彼が、自室ではなくここを選んだのには何か理由があるのではないだろうか。誰にも構われず、ひとりきりでゆっくり休みたかったのかもしれない。

 やはり、自分がここに立ち入るのは迷惑にしかならないだろうとロザリンデは慌てて口を開いた。

 

「ライナスがこちらに向かって行くのが見えたので、どうしたのかと心配になって来たんですが、花を見に来てたんですね。こんなに綺麗な花なら、見てるだけで癒されますものね。仕事が忙しいと聞いていますが、ちゃんと休んでください。……お邪魔をしてしまって、すみません」

「ーー待て」

 

 そのまま立ち去ろうとしたロザリンデの腕を、ライナスが掴んだ。

 驚くロザリンデに構わず、ライナスはじっとロザリンデを見つめる。

 

「お前はここが嫌ではないのか?」

「え……?」

「ここというか……この花が。見るのも嫌だっただろう?」

 

 ライナスが言っているのは周囲に咲き誇っている奇跡の花のことだろう。

 ロザリンデは一時期、この花を毛嫌いしていた時があった。期待していた花が手に入らず、癇癪を起こした。

 

 その青い花は山奥の冷えた川付近でしか咲かないとされていた。肥沃の地に植えようと花は咲かず、咲いている花も地上に持ち帰ればすぐさま萎れた。限られた場所でしか生きていけない花だった。


 けれど、数百年に一度の異常気象が起こった年、その花は地上でも咲き続けた。蒔いた種は芽吹き、美しく咲き誇った。

 翌年も、その翌年も、花は地上で咲くようになった。

 

 それゆえ、人々はその花を奇跡の花と呼んだ。

 

 だから、ロザリンデはその青い花が好きだった。不可能を可能にした花に憧れた。

 ロザリンデにとって、思い入れのある花だった。

 

「ーー美しい花ですね」

 

 青い花をモチーフにした刺繍を見て、ライナスがそう言ってくれたのが嬉しかった。使用人たちはロザリンデの顔色を伺っておべっかを言うばかりで、花そのものを見て、愛でる人はいなかったから。

 ライナスだけはこの花の良さを理解してくれたのだと。

 

 ライナスは今までもそうだった。よく話していた頃、彼はロザリンデの言葉に素直な感情を見せた。兄以外で唯一、自分に向き合ってくれる人だった。

 ライナスはロザリンデに様々な話をしてくれた。剣のこと、家のこと、母方の故国のこと、ロザリンデが興味を示したことを嫌がりもせず、教えてくれた。

 兄と同等、いや、それ以上に心を許せた存在だった。ライナスはロザリンデの初恋の人だったから。

 

 だからこそ、あの時ライナスがあの奇跡の花を差し出したことが許せなかったのかもしれない。


 青い花を手に入れられると聞いた時、ロザリンデは心から喜んだ。なかなか手に入れられず諦めていた奇跡の花をこの目で見ることができる。まるで自分の身に奇跡が起こったようで、嬉しかった。

 なのに、花はロザリンデの期待を嘲笑うように届かなかった。希望を持っても無駄なのだと言われたような気になった。


 一度は希望を持ち、夢が叶わず諦めた。

 そんな時に、よりにもよってライナスがあの花を持って来たから。どうして彼がロザリンデの心を更に傷つけようとするのかと、ひどく裏切られた気になった。

 

 今思えば身勝手で恥ずかしいわがままだ。駄々をこねていただけに過ぎない。

 贈り物をしてくれたライナスを傷つけた過去を思い出し罪悪感にかられこそするが、花自体には嫌悪の感情は持っていない。

 むしろ、綺麗で好ましいと思う。奇跡の花という逸話を知る前から、一目見て気に入ったくらいだ。

 

「いえ。私はこの花が好きです。……ライナス、あの時はあなたの贈り物を壊してしまって、すみませんでした。お恥ずかしいことに私は感情を抑えることもできない子供で、ただあなたに八つ当たりしてしまったんです」

「……そうか。ならーー」

 

 ライナスは近くに咲いていた青い花を一輪摘んだ。

 そして、そっとロザリンデに差し出す。

 

「この花が嫌いではないなら……もらってくれるか?」

 

 ロザリンデは驚いてライナスを見返す。

 彼の瞳にあるのは、からかいでもあざけりでもない。あの時と同じ、真摯な想いだった。

 

「ええ。いただきます。……ありがとうございます、ライナス」

 

 ロザリンデが青い花を受け取ると、ライナスは破顔した。幸せそうな彼の笑顔に、ロザリンデは目を奪われた。

 

 頰が熱くなる。それを隠すように俯き、青い花に触れる。

 優しい甘い香りが鼻腔をくすぐった。 


 

 その日を境に、ライナスの態度が和らいだ。

 刺々しい雰囲気や言葉はなくなり、以前の時のように穏やかに会話ができるようになった。

 

「だいぶ、顔色が良くなってきましたね」

 

 朝の日課になりつつあるライナスとのお茶会で、ロザリンデは彼の顔を見てつぶやいた。

 

「ああ。夜には屋敷に帰って休んでいるからだろう。……そうじゃないと、誰かが心配だとうるさいからな」

「だって、ライナス、今にも倒れそうだったんですよ? アントナンさんやシャンタルさんもすごく心配していましたし」


 温室で話をした翌朝、ライナスはロザリンデの部屋にやってきた。少しマシになったとはいえ、体調不良なことは明らかだった。

 ロザリンデは再度無理はしないでほしいと懇願した。ライナスの返事は軽かったが、それ以来、無茶な勤務はしていないようだ。

 

「それは悪かった。どうも仕事に熱が入ると加減がわからなくなってしまうんだ。なかなか成果が出なくて、焦りすぎていたのもあった」

 

 ライナスは今、異端者の捜索をしている。彼らに常に狙われてきたロザリンデは捜索の結果を知りたいと思ったが、機密事項もあるだろうし、居候の身で聞くのも憚られた。

 

「……下っ端どもは捕らえてかなり数が減っている。幹部の行方はなかなか見つからないが、この屋敷の警備は強化している。たとえ異端者が襲撃してきたとしても、この敷地には立ち入ることはできないだろう。お前に危害が加えられることはない」

「そう、ですか……。それなら良かったです」

 

 ロザリンデは笑顔で返す。きっと、ライナスにはロザリンデが異端者を警戒していることなどお見通しだったのだろう。

 

「だが、シャンタルか護衛は常にそばにつけておけ。いつ何が起こるかわからないからな。……では、俺はそろそろ行く」

「はい。お気をつけて」

 

 花瓶を抱えて部屋に戻ってきたシャンタルと入れ違うように、ライナスは出て行った。


「ライナスはいつも慌ただしいですね。もっとゆっくりしていけばいいのに。ロザリンデ様と過ごしているところを余程見られたくないんでしょうね。……まあ、好きな人にデレデレしてる姿なんて、親戚に見られたいものではないのは理解できますが」


 シャンタルはため息をついた。身元を隠す必要がなくなったからか、シャンタルは以前よりも打ち解けた姿を見せてくれるようになった。

 

「でも、素直になったのは良いことだと思います。最近はあまりロザリンデ様にも冷たい態度はとりませんし」

「そうですね。ライナスはとても優しくしてくれます」

 

 同意しながら、ロザリンデはシャンタルが置いたばかりの花瓶に視線を向ける。そこに挿されている青い花は、先ほどライナスがくれたものだ。

 彼は時折、こうしてロザリンデに花を贈ってくれるようになった。

 

「良い傾向です。それに、ロザリンデ様も随分変わられました」

「私もですか?」

「ええ。以前と比べて笑顔も増えましたし、お話もよくされるようになりました」


 自覚のなかったロザリンデは、思わず自分の顔に触れた。

 言われてみれば、最近は笑うことが増えた気がする。

 ここにはバーニスのようにロザリンデを責め苛む者はおらず、シャンタルをはじめとする屋敷の人間はロザリンデを気遣ってくれているからだろう。

 

 それに、ライナスともたくさん話をできるようになった。

 約束をしたわけでもないのに、毎朝彼が顔を見せにきてくれることがロザリンデにはとても嬉しかった。いつまでもこうした穏やかな日々が続いて欲しいとロザリンデは願わずにはいられない。

 

 けれど、いつか終わりが来るだろう。

 ライナスは復讐のためにロザリンデの面倒を見てくれているのだから。かつてのロザリンデに戻ったと彼が判断したら、断罪されるのだろう。

 

 覚悟はしていたことだ。そもそもロザリンデはライナスに復讐されることを望んでいた。

 しかし、一度幸せを知ってしまうと、手放すことが寂しく感じるのも事実だ。

 

 それも含めて、ロザリンデへの罰になるのだろう。

 

 ロザリンデはハーブティーを飲んだ。ひとりで飲むお茶はどこか味気なく感じた。

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