15話 バーニスの嘘
「具合はどうだ?」
「問題ありません」
「倒れる前に比べて違和感などはないか? 痛みとか痺れとか、そういったものは?」
「ありません」
「飯などは食べられそうか?」
「はい。大丈夫です」
尋問のような会話が繰り広げられる。以前にも似たようなことはあったのか、他にもトラウマが発動するようなものはあるのかなど、次から次と質問された。
ライナスは淡々とロザリンデの状況確認をしていたが、やがて質問が尽きたのか、ぴたりと口を閉ざした。
謝るチャンスだと思い、ロザリンデはライナスの名を呼んだ。
すると、ライナスの眉間にかすかに皺がよった。何か失礼なことでもしただろうかと、ロザリンデは戸惑う。
「すみません。質問が終わったと思ったのですが……」
「いや、気にするな。……そちらから話しかけられると思わなかっただけだ。それで、どうした?」
ライナスは怒ってはいないようだ。ほっとしたロザリンデは背筋を伸ばして、彼を見据えた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「……お前に迷惑をかけられるのは慣れている。今更、たった一つ負担になるようなことが増えたくらい、どうでもいい」
「あと……もしかしてなのですが、私が倒れた時に駆けつけてくれましたか?」
意識を失う直前、誰かがロザリンデの名を呼んだことを覚えていた。同時に、倒れる己の体を支えてくれる腕があったことも。
あれは、ライナスだったのではないかと、ロザリンデは思った。
「ああ……ちょうど近くを通りかかったからな。お前につけた護衛もいたが、俺の方が早く運べたからそうしただけだ」
「運んだのもライナスだったんですか?」
「……ああ」
「そうだったんですね。てっきり護衛が運んでくれたのだと思っていました。運んでくれてありがとうございます、ライナス」
礼を言うロザリンデを一瞥したライナスは、小さく頷いてふいと視線を逸らした。彼が何か言おうと口を開いた時、扉が軽くノックされる。
ライナスは邪魔をされたことに若干不機嫌そうな顔をしたが、入ってくるようにと指示を出した。
「お待たせしました。ハーブティをお持ちしました」
ティーセットなどを乗せた台車を押して入ってきたシャンタルがテキパキと給仕を始める。
「俺はいらない。長居をするつもりはないからな」
「まあ。せっかく用意しましたのに、わがままをおっしゃらないでください。アントナンは屋敷の仕事がありますから、しばらく給仕はできませんよ」
ライナスの言葉を軽く流し、シャンタルはふたり分のお茶を淹れ、ロザリンデとライナスに渡す。
「ありがとうございます」
「……強引だな、お前は」
シャンタルはふたりの反応に笑みを返すと、アントナンの手伝いをしなければいけないからといそいそと退室した。
「シャンタルさん、お忙しいんですね」
「あれは変におせっかいなだけだ」
少し疲れたようにつぶやき、ライナスはお茶を口にする。癖の強いお茶だが、ライナスは気にせず飲んでいる。
「……なんだ?」
訝しげにライナスに見られ、ロザリンデは彼を不躾に眺めていたことに気がつく。
「すみません。その、もうこのハーブティが苦手じゃなくなったんだなと思って」
子供の頃、ライナスと時折お茶会をしていたことがあったが、最初のお茶会で彼はこのハーブティを飲んだ途端、思いっきり顔を顰めた。その反応はあのお茶を苦手だという令嬢たちと同じだった。
「あの時は……普段飲まない系統の茶に驚いただけだ。初めて飲んだからな。お前が勝手に苦手だと決めつけただけだろう。望みの反応が見れなかったからと俺のカップを取り上げて、その後の茶会では二度と出さなかったからな」
「そうだったんですね。てっきり口に合わなかったのだと思ってました」
今も飲むほど気に入っていたのなら、このハーブティを出し続ければ良かったと後悔する。ライナスまであのお茶に良い反応をしなかったことが気に入らなくて、もう絶対に出してあげないと彼には普通のお茶を出していたのだ。
「でも、意外でした。このハーブティを気にいる人って滅多にいませんから。お兄様も、私とのお茶会の時は飲んでくれていたみたいですけど、常飲はされていなかったようですし」
「あの男はたまに飲んでいたぞ。お前との茶会に備えてな。時折飲んで慣れておかないと顔に出てしまうとかで。……俺はそれによく付き合わされた」
ぼやくライナスの顔には嫌悪の色はなかった。彼は過去を懐かしむように目を細める。
兄ジョルジュには何人か護衛がいたが、その中でもライナスには特に信を置いていたようだった。兄は当時、貴族の中心的な立場にいたグレイディ家の当主だった。彼の忠臣として仕えることは、男爵家であったライナスにとって大きな意味があったはずだ。
ロザリンデには恨みはあっても、兄には臣下として忠誠を誓っていたのだろう。
ライナスは兄の死をどう思ったのだろうか。
「お兄様は……」
言いかけて、口を閉ざす。兄の死を持ち出すことはライナスにとってはつらい記憶を思い出させることになるのではないだろうか。
バーニスは、兄の最後は惨たらしいものだったと言っていたから。
俯くロザリンデに何を思ったのか、ライナスはため息をついた。
「ジョルジュは行方不明のままだ」
「え……?」
「あの革命で姿を眩ましたヤツの消息が気になったんだろう? 探してはいるが、未だに見つかっていない」
「どういうことですか? お兄様は、逃げきれず民衆に捕えられて亡くなったのでは……?」
怒り狂った民衆に殺されたのだと、ロザリンデはバーニスから嫌というほど聞かされていた。侍女長もそれを否定せず、ロザリンデのせいだと告げた。
新たな情報を受け止めきれていないロザリンデに、ライナスも不可解な表情を浮かべる。
ロザリンデはバーニスから伝え聞いたことを話した。詳細を語る勇気はなく、おおまかに伝えたが、ライナスは把握したようだ。
頷くその顔は、ひどく険しかった。
「……そうか。そうやって、あいつはお前を追い詰めたのか」
ライナスは吐き捨てるように呟くと、ロザリンデを見据える。
「ジョルジュ・グレイディはあの革命で死んでいない。この王都の外れでお前と共にいるのが目撃されたのを最後に、消息が途絶えた。他国で奴と思しき人間の目撃情報もあったが、続報はない」
「それじゃあ、暴行されたというのは……」
「バーニス・エバンズの嘘だろう。その方が、お前を屈服させやすいからな。お前と違って、あの男の髪や目の色は凡庸だ。庶民の服を着れば民衆の目を誤魔化すこともできたのだろう。少なくとも、ジョルジュ・グレイディとしては発見されていない。見つかれば、必ず騒ぎになるからな」
兄は生きているかもしれない。少なくとも、バーニスが語ったように凄惨な暴力の末に亡くなったわけではない。
ロザリンデは大きく息を吐いた。じんと目の奥が熱くなる。
ずっと、自分のせいで兄が亡くなったと思っていた。相応しくない自分が神の子として生まれてきたせいで、招いた悲劇だと。
安否はまだわからないが、希望ができた。
「俺の知っているジョルジュは、そうそうのたれ死ぬようなやつではない。頭脳明晰で口がよく回り、驚くほど人の懐に入っていくのが上手い人間だった。剣の腕も俺ほどとはいかなくとも他の護衛の奴らには引けを取らなかった。遺体が見つかってない以上、どこかで生きてるだろう」
「ええ。……私もそう思います」
一口ハーブティを飲む。懐かしい味と香りがロザリンデの心を安らげてくれる。先ほどまでの落ち込んだ気持ちが晴れていくようだった。
昔もそうだったと、ロザリンデはふと思い出す。大神官長が来たり、他家の令嬢を招いたりした後は必ずと言っていいほど、ライナスとお茶をしていた。
溜まった鬱憤を彼にぶつけたかったのだろう。そして、お茶会の後は必ずロザリンデは機嫌を取り戻していた。
当時はその理由を深くは考えなかったけれど、今ならわかる。
ロザリンデは、ライナスが好きだったのだ。
物心ついた頃から周囲の人間はみんなロザリンデにへりくだっていた。ロザリンデがどんな癇癪を起こそうと、彼らはそれを受け入れ、嫌悪や呆れなどの負の感情を見せなかった。使用人も、屋敷に招く令嬢たちも。
ロザリンデの側にいても問題ないと判断された者たちのみが選ばれていたのだから、当然といえば当然だろう。
ロザリンデにとって、そんな環境は息苦しかった。ロザリンデがどれだけ暴れても、淡々とした対応を返されるのは不快だった。
普通の令嬢ならば、多少の不満や不快感を示されるだろう。ロザリンデのわがままが許されるのは神の子だからだ。
贅沢な悩みであっても、どれほどあがいても自分は神の子であると突きつけられるのは苦痛だった。
だから、ライナスと出会った時、ロザリンデは歓喜したのだ。これまで出会った人間とは違い、素直にロザリンデに怒りの感情を見せてくれたから。
ひとりの人間として、接してくれたから。
ライナスのそばに居る時だけは神の子ではなく、ただのひとりの少女になれた気がした。
ライナスと一緒に飲むお茶は特別美味しかった。
今はどうなのだろうかと、ロザリンデはふと疑問に思う。
あれからふたりは大きく変わってしまった。ロザリンデは自分の罪を思い知り、平民となった。ライナスは地位を得て、ロザリンデに復讐の意志を持っている。
時が経てば想いも変わる。今の自分はライナスをどう思っているのだろう。
「今度はどうした?」
「いえ。……このハーブティ、しばらく飲めてなかったのでまた飲めて嬉しいです。ありがとうございます、ライナス」
「ふん。お前、これしか飲んでいなかったからな。他のを用意しても飲まないとジョルジュがぼやいてた。今も、好みは変わってないんだな」
「……はい。とても美味しいです」
頷いて、再びカップに口をつける。
癖のある香りと味がロザリンデの心を和ませてくれた。