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11話 二律背反の心

 部屋には静寂が鎮座していた。部屋の主であるロザリンデはベッドの上で眠りについている。

 ライナスがそっとベッドに近づいても起きる気配はない。

 

 ロザリンデが突然パニック症状を起こしてから、丸一日が経った。彼女は未だに眠りから覚めていない。

 

『トラウマが蘇ったのでしょう。元々慢性的な貧血もありましたし、ここ数日の出来事で疲弊していたのも重なったと思われます。危険な状況ではありませんので、どうかご安心ください。体調が回復したら、時期に目を覚ますでしょう』

 

 医師はそう診断した。ロザリンデはよく眠っているせいか、昨日に比べれば顔色はいい。

 ライナスは目の前で眠る女をじっと見つめた。

 

 ロザリンデ・グレイディ。革命の機運が高まる中、生まれた貴族の神の子。民衆の反乱に怯えるばかりだった貴族の救い手。

 

 ロザリンデは傲慢な娘だった。傷つけられないよう大事に屋敷に囲われ、望むものはなんでも与えられた。わがままも癇癪も咎める者はおらず、感情のままに暴れることが許された。

 

 ロザリンデの理不尽な言動に振り回されてきた者は、ライナス以外にも大勢いる。彼女は傲慢で、身勝手で、人を傷つけることに一切の罪悪感を抱かない悪女だ。

 だが――。

 

 ロザリンデは哀れな娘だった。逃げ出さないよう厳重に箱庭に捕えられ、平民ですら持っている自由を奪われた。異常な環境が当たり前のものだと教え込まれ、外の世界を望むことを許されなかった。

 

 ロザリンデは庭を散策するのが好きだった。頭上に広がる澄んだ空を見上げ、渡り鳥の囀りに耳を傾け、国の至る所で咲き乱れるという花の匂いを楽しんだ。庭を歩く彼女の瞳は常に羨望に煌めいてた。

 

 それは初めてロザリンデを見かけた時も同じだった。ライナスが何よりも魅入ったのは彼女の美しいその容貌ではなく、輝きに満ちたその瞳だ。

 彼女は外の世界を渇望しているのだと、ライナスは一目で分かった。

 

 ロザリンデの傲慢な態度にはうんざりすることが多かった。ライナスのコンプレックスである出自をあげつらうのは本当に腹が立ったし、不快だった。何度言い返してやろうと思ったことか。

 けれど、ライナスを見かけた瞬間、それまで不機嫌そうだった彼女の顔が楽しそうにほころぶのが、ライナスにはどうしようもなく嬉しかった。

 ロザリンデがそんな顔を見せるのは、彼女の兄ジョルジュと自分だけだったから。彼女にとってある意味特別な存在ではないかとうぬぼれた。

 わざと彼女の目に止まりたくて、意味もなく庭の付近をうろついたこともあったくらいだ。

 

 ライナスは、ロザリンデのために何かしたかった。彼女のためなら何でもしようと思った。

 だから、希少な青い花を手に入れ、彼女にひと時の外出をさせようとした。どれだけ苦労し、危険なことであっても、ロザリンデがそれを望むのなら、必ずやり遂げようと決意していた。

 なのに。

 

『こんな快適なところから、誰が出たいと思うの? それに、あなたのような薄汚い男に連れ出してもらいたいなんて思わないわ』

 

 嘲りに満ちた彼女の声。非情な瞳が愚かなライナスを睥睨していた。


 思い出した瞬間、当時の怒りが蘇る。沸々と煮えたぎるようなこの激情こそが、四年間ライナスを突き動かしてきた原動力だった。

 

 ライナスはロザリンデの首に触れた。細い首だ。騎士団の中でも一二を争う実力を持つライナスなら、容易くへし折ることができるだろう。

 そう考えながら、ぼんやりと己の手を眺めていたその時だった。

 

「……っ、ごめ……な、さい。ごめんな、さ……」

 

 ロザリンデの形の良い眉が歪み、白い肌に涙が伝う。ロザリンデはかつて経験した拷問の記憶に苛まれ、泣いていた。

 

 ライナスは取り出した白いハンカチでロザリンデの涙を拭う。青い花の刺繍が施されたハンカチが次から次へと流れ落ちる涙で濡れていく。


「ロザリンデ」

  

 ようやくロザリンデの涙が止まり、彼女の表情から苦痛の色がなくなった頃、ライナスは彼女の名を呼んだ。

 深く寝入っているロザリンデは答えない。尊いと崇められる赤い瞳は閉じられたままだ。

 

 この数年で、ロザリンデは大きく変わってしまった。

 傲慢さはなりをひそめ、清貧な修道女のように慎ましくなった。乱暴な扱いをされても不満を見せず、殺されるというのに一切抵抗しなかった。あの箱庭にいた時のように、それを当たり前のことだと受け入れた。

 

『――罪には罰を。私は死罪相応のことを、あなたにしてしまいました。だから、ここで私があなたに殺されるのも当然だと理解しています。どうぞ、お好きなようになさってください』

 

 そう語り、ライナスを見上げるロザリンデの瞳は輝いていた。庭を眺め、自由を求めていた時と同じように。ライナスに、外に連れ出してほしいと望んだ時のように。

 

 ライナスはロザリンデの頬に触れた。柔らかく温かい感触は彼女がまだ生きていることを伝えてくる。

 

「ロザリンデ。俺はーー」

 

 ーーお前に復讐したかった。

 ーーあなたを救いたかった。

 

 相反するふたつの感情を抱えたライナスは、そのまましばらくロザリンデを見つめ続けた。

 

 

 

 

 

「遅くなって申し訳ございません。ロザリンデ様の様子はお変わりありませんか?」

 

 部屋の扉をそっと開け、シャンタルが室内に入ってきた。彼女はロザリンデが倒れてからはつきっきりで看病にあたっており、決してそばを離れようとしなかった。

 ライナスがロザリンデの元を訪れたため、ライナスにロザリンデのことを頼み、一時的に席を外していた。

 彼女が手にしているトレイには、水の入った桶と手拭きが乗っている。これからロザリンデの世話をするのだろう。

 

「まだ目を覚さない。……今は落ち着いたが、悪夢にうなされていた」

「……そうですか。あの方が囚われていた時にひどい扱いを受けていたことはわかっていたのですが、実際にそれを垣間見ると……」

 

 シャンタルは辛そうに唇を噛み締めた。池でロザリンデがパニック症状を起こした時のことを思い出しているのだろう。

 彼女はロザリンデの様子に、強いショックを受けていた。

 

 ライナスにとっても、あの光景は衝撃的なものだった。自室から遠目で目撃した時も異常が起こったことはわかったが、彼女の元に駆けつけ間近でその様子を見て、言葉を失った。

 

 ロザリンデの顔はひどく青ざめ、全身が震えていた。声をかけても返事はなく、息をすることも苦しいのか、ひゅうひゅうと音を立てて呼吸をしていた。かと思うと、ライナスが駆けつけてまもなく彼女は意識を失った。

 

 ライナスはすぐさまロザリンデを抱えて、彼女を部屋へと運んだ。シャンタルが連れてきた医師が診察をしている間、ライナスは呆然としていた。

 

 ロザリンデがバーニスによってひどい目に遭わされていたことは知っていた。ギャリーが侍女の証言を教えてくれたし、変貌したロザリンデからもそれは察することができた。

 

 だが、いざ目の前で、ロザリンデがどれほど痛めつけられたのか突きつけられると、ひどく動揺した。彼女の苦しむ様子が頭から離れず、落ち着かない。胸が締め付けられたように苦しい。


 ロザリンデの心の傷は深い。あれほど傷ついた彼女は、果たして以前ように戻るのだろうか。

 

「ライナス様? 大丈夫ですか……?」

 

 シャンタルの声に、ライナスはハッとする。心配そうな彼女の視線を追って、自分が強く拳を握りしめていたことに気がついた。

 

「いや、何でもない。……それより、出かけてくると、アントナンに伝えてくれ」

「今からですか? 承知しましたが……行き先を伺ってもよろしいですか?」

「教会の牢だ」

 

 それだけ言うと、ライナスの目的を理解したシャンタルはアントナンに伝えておくと返事をした。察しの良い侍女にロザリンデを任せ、部屋を後にする。

 

 ライナスは簡単に身支度を済ませると、急いで屋敷を出て牢獄に向かった。

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