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10話 憧憬

 調書を読み終えたライナスはため息をついた。

 

「成果は芳しくないようですね……」

 

 執事であるアントナンがお茶を差し出す。彼の言葉に頷いたライナスは、お茶を数口飲んで再び調書に目を落とした。

 

 シャンタルに屋敷の管理の仕事をしろとせっつかれ、ロザリンデの部屋を退室したものの、屋敷のことはアントナンだけで事足りていた。元々この屋敷はロザリンデを一時的に保護するためのものであり、使用人たちは全員昔からの知り合いなので、管理も大して大変ではないからだ。

 ライナスは、その存在を疎んじたシャンタルに体よく追い出されたのだ。

 

 手持ち無沙汰で自室に戻った時に、ロザリンデの捜索と並行して行っていた『異端者の調査』についての報告が上がった。休みであっても、以前と変わらず、報告は屋敷に持ってくるよう命じていた。

 

「末端の奴らは捕まえたようだがな。幹部の足取りは掴めないままだ。どうやら、あいつらもバーニスに目をつけてたらしい。先をこされずに済んでよかったが……」

「昨日の一件でロザリンデ様の死亡の報は瞬く間に国中に広まるでしょう。ですが、屋敷の警備を更に強化しておきましょう。シャンタルにもよく言っておきます」

「頼む。異端者どもを壊滅状態に追い混んでおかないと、動くに動けないからな」

 

 信仰心の強いアルクレアには異端者と呼ばれる者たちがいる。神ではなく、悪魔を崇拝する反国教派だ。

 彼らも神の子を特別視する。だが、それは儀式に必要な生贄としてだ。自らの歪んだ欲望を叶えるための駒に過ぎない。

 

 神の子が教会か屋敷で大事に囲まれるのは、異端者の存在が大きい。いつの時代にも異端者は現れ、神の子を常に狙っている。


 現在、この国にいる神の子はふたり。ひとりは教会に厳重に保護され、手が出せない。そのため、ロザリンデを狙った。

 彼らは常にこの国を悪魔崇拝の国に変えたいと願っている。その願いを叶えるためなら、何を犠牲にしたって構わないと思っている。

 

『ロザリンデは稀なる運命を辿る神の子。教会に囚われていない彼女には特別な力があり、たとえ生存していなくともその血肉は素晴らしい力を秘めている。我らは必ずそれを手に入れる』

 

 調書に書かれた異端者の妄言は、ライナスの予想した通りのものだった。この四年、彼らのロザリンデへの執着は嫌というほど実感していた。

 ロザリンデ死去の知らせが流れようが、彼らは彼女を諦めないだろう。

 

 あらゆる墓地を捜索し、ロザリンデに関わる者たちを調べ上げるだろう。

 ライナスはロザリンデ捜索の責任者。そして、先日バーニス邸にも突入し、ロザリンデの死亡報告をあげた人間でもある。彼らに目をつけられているに違いない。

 

 だから、下手に動けない。ロザリンデの体調が回復次第ここから立ち去りたいところだが、間違いなく異端者に怪しまれるだろう。


「本当に面倒なやつらだな……」

 

 最終目標を達成するにはどれだけ時間がかかるのか。ライナスは先の長さにうんざりしながら、庭を見下ろした。そして、ある一点で目をとめた。

 

「あれは……」

 

 ロザリンデがシャンタルと共に庭を歩いている。すぐ後ろには、護衛としてつけている女騎士の姿があった。


「ああ……今日はいい天気ですから、良い散歩日和でしょう。シャンタル、ロザリンデ様を案内するんだと張り切っていましたよ」


 アントナンの言葉通り、シャンタルは嬉々としてロザリンデに庭を案内しているようだった。


「少し張り切り過ぎじゃないでしょうか? ロザリンデ様、困ってないといいんですけど……」

「いいや、ロザリンデは楽しんでるだろう。……あいつは、庭を散策するのが趣味だったからな」


 ロザリンデはシャンタルの話に耳を傾けながら、花々に目を向けていた。

 彫刻のように美しい顔が、わずかに綻ぶ。再会してから別人のように変わってしまったロザリンデの、久しぶりに見る笑顔だった。


 あの頃と変わらない姿だと、ライナスは目を細める。


 ライナスがまだグレイディ家に仕えていた頃、ロザリンデが庭を歩くのを見かけることが多かった。

 様々な花の色に目を輝かせ、華やかな香りを楽しみ、鳥の声に耳をすませる。

 その時のロザリンデは、理不尽な人生を強要される怒りや憂いを忘れてただ無邪気に楽しむ年相応の少女だった。

 ライナスは、そんなロザリンデを見ているのが好きだった。

 

「……ライナス様もご一緒されたらいかがですか?」


 アントナンが微笑ましそうなものを見るような目でライナスを見ていた。

 ライナスは綻んでしまっていた口元を慌てて引き締め、アントナンを睨みつける。


「俺はお前の妻に屋敷の管理をしていろと追い出されたからな。今のこのこ出ていったらどんな嫌味を言われるか」

「シャンタルがそこまで言うのなら、ライナス様が何かやらかしたんでしょう?」

「俺はおかしなことはしていない。ただ……」


 ただ、事実を言っただけだ。ロザリンデが神の子になるべきではなかったのは、事実だったから。あんな窮屈で退屈な箱庭に閉じ込められる人生など、ロザリンデには似合わないだろう。

 けれど、あの時彼女との間に落ちた沈黙の気まずさは尾を引いていた。

 ロザリンデに何を話しかければ良かったかわからなかったから、シャンタルの発言はむしろありがたかったくらいだ。


「おや。池のほうに行かれるのですね」


 この屋敷に池がある。グレイディ家のものよりも小さくはあるが、見て楽しむ分には問題ないだろう。

 ロザリンデはほとりでぼんやりと水面を見ていることも多かった。植物ほど興味を持たなかったのか、滞在時間は短かったが。


 ロザリンデが池に近づく。きらめく水面を覗き込んだ。


 ――その瞬間、ロザリンデは苦しそうに胸を押さえてその場にうずくまった。






 医師の診察で少しの散策なら問題ないと判断されたロザリンデは、シャンタルと護衛を伴って庭へと降りた。


「綺麗……」 

 

 ロザリンデは目の前に広がる光景に心を弾ませる。どこを見渡しても手入れの施された花々で彩られている。

 

 甘い香りに誘われるように、ロザリンデは近くの花に近づいた。淡い黄色の綺麗な花だ。記憶を探ってみるが、ロザリンデには見覚えのない花だった。


「ドレスブルクの花です。数年前、私たちがこちらに来る時に持ってきた種を植えて育てたのです」

 

 傍に控えていたシャンタルがそっと教えてくれる。

 

「この庭には他にもドレスブルクの花があります。よろしければご案内しましょうか? 庭師と相談しながら作り上げたんです」

「そうなんですか? ぜひお願いします」

 

 シャンタルに案内されながら、ロザリンデは庭を散策する。こうして散歩を楽しむのはいつ以来だろうか。伯爵令嬢であった頃は、花を愛でるのが日課だった。

 庭を歩き、花々に触れていると、胸の中にある苛立ちや不安が消えていくような気がしたから。

 

「とても小さくてかわいい花ですね」

「ええ。ドレスブルクでは幸福をもたらす花として人気があるんです。気に入られたのでしたら、後でお部屋にも飾りましょう」

  

 あの頃もこうして護衛を伴って歩いていたが、誰かと談笑しながらは初めてだったため、とても新鮮に思えた。


「ロザリンデ様。この庭には小さいですが、池もあります。そちらにもご案内しましょう」

 

 池を眺めることが好きだったロザリンデは、頷いてシャンタルの後をついていく。穏やかな水面もロザリンデの心を和ませてくれると信じて。

 

 だが、池を見た瞬間、ロザリンデはその場に崩れ落ちた。


「ロザリンデ樣!?」


 苦しい息の中、シャンタルが自分を呼ぶ声がぼんやりと聞こえた。

 応えようとしたが、ひどい息切れと割れるような頭痛で指ひとつ動かせない。


『まだ口答えする気!? 本当に生意気ね……!』

『もっと罰が必要だわ! 侍女長、もう一度沈めなさい!』

『神は民衆のために自ら川に飛び込んだというのに、神の子であるあなたが嫌がるなんて、わがままね!』


 水音とともに、バーニスの声が脳裏に過る。


 これは過去の記憶だ。きっと、自分はバーニスに池に沈められたことがあるのだろうとロザリンデは悟った。


「あなた! 今すぐに医師をここに呼んできてちょうだい!」


 シャンタルが護衛に指示を出している。

 

 今までにもトラウマを思い出してパニック症状を起こすことはあったが、時間が経てば落ち着いていた。今回のように症状が強くでたのは初めてだが、同じように時間が解決してくれるはずだ。

 ロザリンデはそんな心配しなくても大丈夫だと告げたかったが、声が出ない。めまいがひどくなり、目がかすみ始める。


「――ロザリンデ!」


 意識が揺らぐ寸前、ロザリンデは切迫した誰かの声を聞いた。

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