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1話 断罪を告げる鐘

 朝の礼拝の時間を告げる鐘が鳴り響く。修道服を身に纏い、白銀の髪を結わえたロザリンデはやわらかな絨毯が敷かれた床に跪き、祈りを捧げた。

 

 荘厳なその響きは信徒たちの身を清め、己の罪を心から悔いている者に免罪を与えてくれると言われている。そう思えるほど、鐘の音は神聖さを帯びていた。

 けれど、ロザリンデは何年祈りを捧げようとも自分が許されることはないと知っている。それだけの罪を犯した自覚があった。

 

「いつまでぼんやりしているのです。食事の時間ですよ」

 

 いつの間にか室内に入ってきた侍女長が、ロザリンデを睥睨する。

 冷たい視線に謝罪の言葉を返し、ロザリンデは席についた。侍女長がテーブルに手際よく食事を並べていく。

 

 祈りの言葉を捧げ、ロザリンデは食事に手を付けた。湯気の立つスープを喉に流し込み、柔らかなパンを咀嚼する。罪人には贅沢な食事。味わうよりもひたすら感謝の言葉を心の中で唱え続ける。

 

 食事が終わると、侍女長が食器を下げる。しっかり鍵を閉めることを忘れずに部屋を後にした彼女はすぐに戻ってきた。金髪の艶やかな女性――バーニスを伴って。

 

 バーニスの姿を見た瞬間、ロザリンデの体が強張った。今日もまたあの苦痛の時間が始まるのだ。

 

「体調に問題はなさそうね。さ、腕を出しなさい」

「……はい、バーニス様」

 

 袖をまくり上げたロザリンデの白い右腕には無数の赤い傷がついていた。すべて、バーニスにつけられたものだ。


「まだこちらの傷は治ってないのね。反対の腕にしましょう」


 バーニスはロザリンデの左腕を切りつけると、流れ出た血を採取した。痛みに呻くロザリンデを気にすることなく、瓶に溜まった血をうっとりと眺めたバーニスは上機嫌に笑う。

 

「ふふ。この間も肌の美しさを褒められたの。さすが、『神の子』の血ね。どんな美容法よりも効果があるわ。これからも良い血を保つことを心がけなさい。あなたがこうしてのうのうと生きていられるのは私のおかげなんだから。罪深いあなたを匿うどころか贖罪の機会も与えてあげるなんて、私はなんて慈悲深いのかしら」


 バーニスがロザリンデを一瞥する。

 はっとしたロザリンデは慌てて頭を下げた。


「ありがとうございます、バーニス様。おかげで役目を果たせなかった神の子でありながらも、こうして生き長らえております」

「ふふふ。そうよね。本当なら、あなたはあの革命で殺されてるはずだったもの。あなたの兄のように」

「……はい」


 三年前、この国――アルクレアでは長年の圧政に怒った民により、革命が起きた。貴族たちは処刑されるか海外へ逃亡した。既にこの国に貴族はいない。

 ロザリンデはかつて、グレイディ伯爵家の令嬢だった。滅ぼしたはずの貴族が隠れ住んでいることがバレれば、民はすぐさま捕らえに来るだろう。


「あなたが自分の立場をわきまえ、殊勝に過ごすのなら、これからも面倒を見てあげるわ」

 

 バーニスは言いたいことだけいうと、さっさと退室した。侍女長が慣れた手つきでロザリンデの治療をする。

 

「ありがとうございました」

 

 侍女長に礼を言うと、彼女は頷いて部屋を出た。ひとり残されたロザリンデはふらつきながらベッドへと向かう。

 

 血を抜かれた直後はめまいがひどいため、休むようにしていた。侍女長が昼食を運んでくるまでの間、体を休ませ、昼食後に散歩をする。


「今日はいつ雨が降るかわかりませんから、短めにしましょう。いいですね?」

「はい、侍女長様」


 侍女長に監視されながら行う散歩は、足を止めることもよそ見をすることも許されない。以前は多少足を止めても見過ごされてきた。だが、先日鳥の鳴き声につられたロザリンデが近づくことを禁じられた塀にうっかり近づいてからは、厳しくなった。


『塀には決して近づくなと言ったでしょう!?』


 バーニスの叱責が耳に蘇り、ロザリンデは体を震わせた。

 

「ロザリンデ」


 足を止めたロザリンデに、侍女長の鋭い声が飛ぶ。


「次にあなたが不審な行動をしたら、また『躾』しなければなりませんよ」

「……っ! も、申し訳ございません」


 革命で追い詰められていたロザリンデを匿ったバーニスは、我がままだったロザリンデに『躾』を行った。


 どのようなことが行われたのか、ロザリンデは覚えていない。だが、自分が罪深い存在であることと、バーニスに決して逆らってはいけないことだけは、ロザリンデの心に刻み込まれていた

 

「ここから出ようだなんて考えてはなりません。この離れは厳重に隔離されてますから、逃亡など不可能です」


 ロザリンデが閉じ込められているのはバーニスの屋敷の離れだ。彼女はロザリンデの逃亡とその存在が外に知られることを恐れ、離れを塀で囲った。

 塀に誰も近づかないよう厳命し、ロザリンデの世話も侍女長ひとりに任せ、秘密を知る者を最小限にしていた。


「あなたは神の子として、バーニス様にその血を捧げ続ければいいのです。わかりましたね?」

「はい」

「……純血の神の子の血が永劫の美をもたらすなどおとぎ話だと思いましたが、あなどれないものですね。あなたが来てから、バーニス様はより美しくなり、事業も成功されています」


 ロザリンデはこの国で尊ばれる、白銀の髪に赤い目を持つ『神の子』だ。特別な力はなく、ただの象徴でしかないが、国教が崇める神と同じ色を持つ稀有な存在。守り、慈しむべき存在だ。

 

 一方で、その血を己の欲望のために手に入れようとする者もいる。バーニスもそのうちのひとりだ。


「もう戻りましょう。雨雲が出てきました」


 部屋に戻ると、夕食まで自由時間だ。とは言っても、ロザリンデにすることはない。この部屋には本も刺繍もなく、鉄格子のはめられた窓から外を眺めることくらいしかできない。


 部屋の中でじっとしている時間はロザリンデにとって苦痛だった。暇は向き合いたくない過去の罪を否応が無しに思い出させてくる。


 ロザリンデはグレイディ伯爵家の二番目の子として生を受けた。名門貴族の初めての娘であり、神の子として生まれたロザリンデは大層可愛がられた。

 ロザリンデはこの世で最も特別な存在であり、グレイディ家のみならず、貴族を救う稀有な存在なのだと、幼い頃から大切にされていた。


 侍女の静止を無視して走り回って転べば、すぐさま医者を呼ばれ、慰めに大好きなお菓子を与えられた。反対にロザリンデの怪我を防げなかった使用人たちは父から激しい叱責を受け、時には折檻を受けることもあった。

 お茶会を開けば、皆が神の子だとロザリンデを褒め称え、彼女のすべてを肯定する。茶も菓子もすべてロザリンデの好みのものを揃えられた。


 幼いロザリンデは自分が神のようなつもりになってた。 

 気に入らない使用人がいれば、解雇させた。生意気な令嬢がいれば、お茶会からつまみだし、二度と呼ぶことはなかった。暴言や暴力は日常茶飯事だ。

 横暴だった。傲慢だった。多くの人間に迷惑をかけ、数え切れないほどの罪を犯した。


『――なら、お前には報いを受けさせてやる。傲慢でわがままなお前に相応しい報いを』


 記憶の中で、額から血を流した青年が告げた。金色の髪は乱れ、緑の瞳には憎しみが浮かんでいる。

 ロザリンデが自らの手で犯した中で一番重い罪の記憶だ。

 

 手を合わせ、早く礼拝の時間が来てほしいと願う。鐘の音で許される罪ではないが、それでもあの清涼な音を聞きたかった。


 だが、そんなロザリンデの耳に届いたのは静謐さとは程遠い、物々しい足音だった。

 

「ロザリンデ! 今すぐにここから逃げるのです!」


 乱暴に扉を開けた侍女長はロザリンデの頭にショールを被せると、その腕を掴んだ。わけもわからないまま、ロザリンデは引きずられるように部屋を出た。


 外に出ると、辺りが騒々しかった。複数の足音、男のものと思われる怒声。金切声はバーニスのものだろうか。

 普段静寂の中で過ごしているロザリンデは溢れる音に怖気付く。


「何が……何が、起こっているのですか?」

「説明は後です! 早くこっちに!」


 侍女長は、足をもつれさせるロザリンデに構わず、塀の前までやってくる。何やらいじっていたかと思うと、塀の一部が開いた。隠し扉だ。

 扉をくぐり、侍女長は辺りを警戒しながら先を進む。明らかに誰かから逃げようとしていた。だが、かなりの数の人間がロザリンデ達を見つけ出そうとしているのに、逃げ切れるのだろうか。

 

 ロザリンデは懸命に侍女長について行こうとしたが、慢性的な貧血で体力が持たず、その場にうずくまってしまう。

 肩で息をするロザリンデに、侍女長は立ち上がるように叱咤する。だが、ロザリンデにはもう立ち上がる力はなかった。


「もう、ここまでなのね……」


 低く呟く侍女長の声の後、何かごそごそと探る音がした。

 ロザリンデが顔をあげると、侍女長は薬の瓶を手にしていた。


「それは、なんですか……?」


 ロザリンデと目が合うと、険しい顔をしていた侍女長の瞳が戸惑うように揺れる。唇を噛み締め、少しの沈黙の後、彼女は吐き捨てるように告げた。

 

「私は……もう、知りません。バーニス様もあなたも、どうなろうと」


 とうとう侍女長はロザリンデを見捨て、逃げていった。

 ひとり置いて行かれたロザリンデは空を仰ぐ。辺りからはまだ荒々しい怒声や破壊音が聞こえ、ロザリンデは恐怖に身をすくませた。似たような状況を、ロザリンデは経験したことがあった。

 

 三年前、革命が起こり、家族と共に外国へ亡命しようと怒れる民衆から身を隠していた時とそっくりだ。彼らは処刑を免れ、逃亡を目論む貴族を罰しようとしていた。

 その怒りは凄まじく、神の子であるロザリンデすらも八つ裂きにしそうな勢いがあった。


「私の存在がバレてしまったのね」


 だから、侍女長はあれほど焦り、ロザリンデを連れて逃げようとしたのだろう。

 

 ロザリンデはもう動けない。見つかるのも時間の問題だ。

 俯くロザリンデの耳が近づく足音を捉えた。顔をあげる前に、ショールを乱暴に剥ぎ取られる。


「あ……っ!」

「……当たりだ。その髪……お前、ロザリンデ・グレイディだな?」


 ショールを奪った男は顔を確認するように、ロザリンデの顎を持ち上げる。

 男の顔を正面から見て、ロザリンデは目を見開いた。


「あ、あなた……」


 言葉のでないロザリンデに、その男――ライナスは緑の目を細めた。淡い金髪が風にそよぐ。


「久しぶりだな、ロザリンデ。俺のことを覚えててくれたようで嬉しいよ。約束通り、お前に復讐しに来てやった」


 鐘の音が鳴り響く。

 礼拝の時間を知らせる合図。罪深き信徒たちに許しを与えてくれる慈悲。

 けれど、もうひとつ重要な役割があったことをロザリンデは思い出す。

 

 この清浄な鐘は、罪人を処刑する時に鳴らされる断罪の調べでもあるのだと。

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