歌声と機体、黒煙と街
私はこの手の作品を通ってこなかった。
ロボット作品の多くはこの要素を持つように思う。
なぜか高揚するものである。
ロマンがあり、人々の心に、何か鋭利な感動を深く突き刺す。
少し前まで、それは歌やロボット、あるいは戦争や焼け野原になった街といった、それぞれの要素に固有の面白さやインパクトがあるから、力があるのだと思っていた。
それ自体が人に刺さるトピックであり、アベンジャーズのように精鋭が集まることで、面白いと感じるのだと思っていた。
しかし、つい最近になって、トピック自体はどうでもいいというか、代替可能なのかもしれないと思うようになった。
大事なのは、現実感なのではないか。
それが現実であると感じられること。
もちろん虚構だとわかっている。
わかっていても構わない。
魅力的な物語は、その行く末をまるで現実の話であるかのように感じ、気になり、信じ、追いかけられる。
だから高揚し、感動し、一体感を得られる。
逆に、現実であっても、悲惨な物語とは距離を置くだろう。
戦争は遠い国のこと。
貧困は無関係な他者の話。
老人が苦境に立たされようが、寿命がくれば万事解決と冷笑する人もあるかもしれない。
露悪的に書いたが、何が言いたいかというと、それを現実だと思えるかどうかは、それが現実であるかどうかとは、少し違うということだ。
信じられるか。
そして、信じたいか。
これがすべての虚構に通ずるし、あろうことか現実にも通ずる。
それはそうで、現実とわざわざ呼ぶ事象は、すべて人間が観測したことなのである。
人間には見えていない領域の現象や事物もきっとあるだろう。
それすら、そこに想いを馳せた人間の頭の中にだけ「信じられる現実」としてのぼるのである。
面白い物語、社会、善悪、幸福や悲劇、生きるということ。
すべて今この瞬間に、信じたいから生まれるのであり、その総和が現実として煙のように立ち上るのである。
街は荒廃し、瓦礫の山と化していても、立ち上る砂煙に照射されたプロジェクターの映像を見て、人々は清潔で安心な都市を感じることもできる。
音楽や人の声、精密な構造物や複雑な理論、苦痛や死を想起させるイメージと言葉。
それらを、ショッキングになり過ぎないように「これは虚構である」というフィルターに通す。
引き算の結果、それは遠く靄がかかり、マイルドな口当たりに変貌する。
そうして、鼻を芳醇な香りが満足させ、心ゆくまでその物語に酔いしれることができるのかもしれない。




