日記、わかりにくい私
3連休最終日、デパートへ行った。
私は少し寝不足で疲れていた。
ゲームセンターに併設された有料のプレイスペースがあって、子どもがそこを見つけて行きたいとせがんだ。
私ははなからそのつもりだったので、快諾し、子どもを受付まで連れて行った。
そこは、利用時間が1時間で区切られていて、係員に聞くと、今からでは20分しか遊べないので、次の枠を予約してはどうかと言われた。
私は、口頭で提示される情報を理解するのに精一杯で、たしかにそうだと思い、よく考えず12時からの枠を予約した。(料金はいくらなのか、延長した場合どうなるのかなど気になり、目で、わかりやすい料金表などがないか終始探していたが、結局見当たらなかった。)
少し待つんだって。
そう言ってその場から離れようとするも、子どもにとって、それは大きすぎる「お預け」だった。
子どもは、なぜ今すぐ遊べないのだ、と泣き叫んだ。
プレイスペースの周りにあるゲーム機で時間を潰そう、ジュースを飲もうか、ご飯を食べようか、と言っても全く釣られなかった。
目を真っ赤にして涙を流し、しまいには呼吸までおかしくなってしまった。
開場時刻になり、遊び場の中へ入る。
涙目のまま、一目散にボールプールに飛び込んだ。
初めは若干ぐずりをぶり返したが、すぐにみるみるご機嫌になった。
私も、子どもが笑顔になってやっと気持ちが落ち着いた。
泣き叫んでいる我が子をあやしている時は、どうしてこうなった、どうすればよかった、などと考え続けていた。
私のミスはどこだったか、これからどうすればよいか、など延々と考えて、これは寝不足のせいでイライラしていると変に理性的になろうとしたり、開場時間になって遊び始めても、きっと空腹で途中退場するに違いない、ならば初めから20分だけ遊べば良かったのかもしれない、なんてことまで考えていた。
私はこうも失敗に弱い。
たかがその程度の間違いも認められない。
俯瞰で見れば、そんな性格であること自体が大損なのである。
それでも、目の前の小さな失敗に気を取られ続けてしまう。
また、他者との境界が曖昧だ。
依存的でもあるだろう。
自分は自分、人は人として相対することができず、子どもの感情が臍の緒のように繋がって、直接流れ込んでくるようだった。
だから、子どもが笑顔だと私も笑顔。疲れも感じないし、前向きになれた。
悪いときは、共倒れになってしまう。どうすればよかったか、今も考えている。




