「メタモルフォーゼの縁側」
腐女子高校生を芦田愛菜が演じるエモ映画、「メタモルフォーゼの縁側」を観た。
良いものを見た、という感慨がとにかく深く残る作品だった。
個人的な感想をここに書き残しておきたい。
漫画を描くことは、楽しいが、億劫でもある。
自分の考えを形にしていくことは、寝る間も惜しめるほど夢中になれる。
その労力と時間は膨大で、大変な作業である。
自分の存在を認識してもらうために、伝わる形式に変換させるのである。
漫画が出来上がったら、今度は伝えることが億劫になる。
なぜなら、他者と繋がることになるからだ。
好意的な反応がくるか、否定的な反応がくるか、ビクビクしなければならない。
自分のアウトプットが他者に受け入れられるかどうか、そこに賭けが生じる。
否定的な反応を想定する癖がついてしまうと、次第に人との関わりを避けるようになるだろう。
他者との繋がりなんて要らないとさえ、思い込もうとする。
大勢に受け入れられるものが正しいと考え、自分のアウトプットできるものがそうでなかったとき、自ら沈黙する。
伝えることから逃げると、今度は形にする必要がなくなってしまう。
すると、自分が消えてしまうのである。
つまり、答えはひとつ。
「拙くても伝えること」だ。
恥ずかしさや痛みは、間違っているから感じるのではない。
正しいことをしている、しかし拙い、だから感じることである。
感じたくなくて逃げることはこの先もずっとあるだろう。
しかし、ときどき思い出すべきである。
そうすれば、おまけの感情に惑わされないで、正しいことができるはずだ。
きっと真っ直ぐ、生きられるはずである。




