自分の取説の在処は
BLEACHという漫画の中で、人の心はどこにあるか、という命題への答えに、人と人の間にある、と言っている節がある。
自分の心臓でも、脳でもなく、人と人の間に発生するものだという、なんともロマンチックなシーンだ。
心は脳である、と精神科医が言っていた。
脳というタンパク質の塊、つまり臓器である。
だから病気にもなるし、ホルモンの影響も受けるし、生まれつき強い弱いもあるし、疲れれば炎症を起こす。
一方で、身体の調子が悪ければ心も調子が悪くなるとも言っていた。
心は脳であり、脳は身体だということだ。
こういったことが、30年も生きていると、情報として蓄積されていく。
どちらも一理ある。
だんだんと、様々なことの分別がつくようになり、自分の中に世界観が出来上がっていく。
つまり、相対的な側面と絶対的な側面について言及しているのであり、どちらも「心」というものを正確に捉えているのである。
理解度、解像度が上がるのは、たとえば自分のことについてもそうで、自分がどんなタイプなのか、こういうタイプはどう生きたらいいのか、というようなことが、歳をとるとほんの少しだけよくわかってくる。
自分のことは自分が一番よく知っているという気がしてしまうが、それは「自分が何を考えているかは自分にしかわからない」くらいのことで、自分は何者か、みたいな大きな問いの答えを知っているわけではないのである。
わかりにくい例えだが、引いたトランプの数字が自分にしか見えないからといって、それを知っていることが、自分を知っていることにはならないだろう。
それは単に「ハートのAを持っている自分」を知っているだけであり、自分が何者かは、もっと複雑で膨大な情報なのだ。
自分は人間という生物の1サンプルであることを弁えると生きやすくなる。
人間はたくさんいる、他にも似たような人がいる。
同じような生きづらさを抱えた人が、自分と同じように悩んだ結果に掴み取ったライフハックを、有償か無償か、公開していたりする。
これを少しずつ摂取していくことが、自分の取説をつくっていく作業になる。
自分に合うか合わないかは試してみないとわからない。
偉人の言っていること、好きな人の言っていることが、たまさか合うこともあるだろうし、しかし大抵の場合、自分には分不相応だったり、そもそも正確に意味を理解できていなかったりする。
自分と似たタイプの人の言っていることの方が適合率は高いが、それでも自分は1サンプルだから、完全には一致しない。
そもそも、自分と似たタイプとは何か、どこが似ていてどこは違うのか、分別がつかなければならない。
どれも一朝一夕には不可能であったと、振り返って思う。
早ければよかったかというと、そうでもない。
そりゃあ、相対的に成長が早ければそれに越したことはなかったが、絶対的には、その成長スピードを実現できるポテンシャルがなかったから、今があるのだ。
そしていまだに、何もわかっていないし、もがいている。




