プロローグ・絶望の海
(死んでも良い)
心の底から、そう思った。
父を殺され、母を犯され、売られて船へと乗せられて――。
どことも知れぬ海上で、王子レグルスは絶望していた。塩辛い水の真ん中でひどい嵐に襲われた時も(今の自分の身の上のようだ)とぼんやり思っただけだった。
死んでも良いと……死んだ方が幸せだと、蜂の巣をつついたような船上で、一人しみじみ思っていた。
海が荒れる、暴れる、狂う。地獄さながらに渦を巻く波のただなかに、幼い王子は細い体を投げ出された。潮の味が口にあふれる、息苦しさに咽喉が詰まる。
(ああ、死ねるんだ……)
そのほおにかすかな笑みさえ浮かべ、王子は意識を手放した。
さやさやと、ささやき交わす声がする。
肌に砂のざらつきを感じ、王子はゆっくり目をあけた。体がべとつく。百年眠った後のように、意識に霞がかかっている。だるい体を持ち上げると、あたりにいた人間たちが、異国の言葉でどよめいた。
「ここは……」
自国の言葉のつぶやきに、誰も答えてくれはしない。波の音にふり向けば、背後にはあの嵐が嘘のように、穏やかな海が広がっている。どうやらレグルスは、どことも知れぬ浜辺に打ち上げられたらしい。
少し荒んだ雰囲気の男が近づいてきて、王子のあごをくいとつかんだ。犬の品評をするような目でつけつけと眺め回し、目もとを歪めてにいっと笑う。
「うむ、こいつは綺麗な異人だな……『竜子様』のお付きの者に良いかもしれん」
男の吐いた言葉の意味は、もちろんまるきり分からない。だが分からないなりに『男が自分を品物扱いしている』ということは、そのふるまいで了解できる。
……海の潮気が、胸に食いつく想いがする。洗えもしない、清められない。
「――おいガキ、俺について来い。竜子様の宮に行って、良い値でお前を売ってやるよ!」
幼い王子は、砂地に湿った身を起こした。見知らぬ男の身ぶり手ぶりにしたがって、おとなしく後についてゆく。
もう、もうどうなろうと。
生きようが死のうが、どうでも良い――。
心のうちでつぶやく言葉が、自分のものではないようで。……人と海とに弄られ続けたこの身には、逆らう気力も体力もないと、他人事みたいに考えた。