町へ買い出しに来ました【3】
「女乱暴に扱ってんじゃねぇよ」
ユートはカルトスの顔面を鷲掴みにしたまま淡々と、しかしいつもよりどことなく低い声で言う。対してカルトスの方は拘束から逃れようと必死に藻掻いているが、ユートの腕や手はびくともしなかった。
「ぐっ……は、放せっ……! 放せよぉ!!」
そんなカルトスの悲痛な叫びでようやく我に返ったルルは、未だに自分を引き寄せたままでいるユートのもう片方の腕をぺちぺち叩きながら声を上げた。
「ユート! お願い放してあげて!!」
瞬間、カルトスの拘束はあっさりと解かれた。そのまま彼はカウンターの向かい側で尻もちをつく。ルルは咄嗟にカルトスに駆け寄ろうとしたが、それは叶わなかった。なぜからユートの片腕はまだルルを庇うように回されたままだったので。
「ユ、ユート……?」
「ん? ああ……悪い、痛かったか?」
ルルの窺うような視線に何か勘違いしたのか、ユートは素直に謝罪を口にしてからルルを抱き寄せていた腕を下ろす。先ほどから彼らしくない反応が次々と返ってきて、ルルは内心ではかなり混乱していた。状況的にルルを助けようとしてくれたのは分かる。やり方は少し乱暴だったが、その気持ち自体はありがたい。ただ――
(いちいち行動が心臓に悪い……!)
ルルはあまり男性との接触に慣れていない。そのため、他意はないと分かっていても抱き寄せられたことにドギマギしてしまった。カルトスに肩を掴まれた時は痛みと不快感しかなかったのに。この違いは何なのだろうか。
そんなことを考えている間に、カウンターの向こうでカルトスがのっそりと立ち上がる。顔を顰めながら頭を軽く振る彼にルルはハッとしながら慌てて声をかけた。
「ご、ごめんねカルトス! 大丈夫!? 怪我ない!?」
「……くそっ! おいルル! なんなんだよこの野郎はよぉ!」
カルトスの剣幕を前にルルはなんとなくさらに火に油を注ぐような気はしたが、嘘を吐くわけにもいかなかったので素直に答える。
「……その、彼がさっき話してた私と一緒に住んでる人で――」
「ユートだ」
ルルは驚いて目を丸くした。ユートの方から自発的に名乗るとは思ってなかったのだ。
さらに彼はそのままカウンターの方へと歩み寄り、カルトスと正面から対峙する。どちらも背は同年代の男性に比べて高い方だが、それでもユートの方が全体的に体格が良い。町の肉屋と冒険者ではそもそも鍛え方が違うのだろう。
カルトスもその差を感じ取ったのか、一瞬明らかに怯んだ。しかし彼はチラリとルルに視線を向けた後で表情を改めると、
「テメェ、さっさとルルの家から出ていけ!」
何故かカルトス自身には何も関係ないはずのことを言い出した。
ルルは咄嗟に口を挟む。
「なんでカルトスにそんなこと言われなきゃなんないのよ! 関係ないでしょ!」
「はぁ!? 関係ないわけねぇだろ! つかお前は黙ってろ! オレは今この野郎と喋ってんだ!」
「なにそれ勝手すぎない!? ユート、別に付き合う必要はないからね!?」
もはや買い物どころの騒ぎではない。ルルは一刻も早くその場から立ち去りたかった。肉はまたカルトスの母が店番の時に買いにくればいいのだから。
そう思ってユートの外套を引っ張ろうとした時、
「俺が」
今まで黙っていたユートがおもむろに口を開いた。
「こいつの家を出ていくかどうかは俺とこいつの問題だ。お前がしゃしゃり出てくる話じゃない。それともお前、こいつの彼氏なのか?」
「は……はあぁ!? ばっ馬鹿言ってんじゃねぇよオレとルルはまだそんなんじゃ」
「なんだ、お前の片思いか。まぁそんなことだろうと思ったが」
「っ!! ……テメェ、言わせておけば好き勝手ほざきやがって!!」
「そうやって都合が悪くなると怒鳴るような奴はこいつに相応しくない」
「なんだと!?」
「たとえばお前さっきこいつの肩揺さぶっただろ。アレやられる方はそれなりに痛いの分かっててやってたのか? それともただ単に頭が足りなかっただけか? どっちにしろ、好きな女相手にああいう態度取ってる時点でお前は男としては最低だって自覚しろよ」
ユートの指摘にカルトスはかなり動揺したのか二の句を告げずにいた。その瞳は彷徨うように揺れている。ルルは少しだけ考えた後、敢えて場にそぐわない明るい声を上げた。
「ごめんねカルトス! 今日はもう帰るから注文も取りやめるわ」
「っ……ルル、お前」
「また近いうちに来るから。今はお互い頭冷やそうよ、ね?」
「…………分かった」
バツが悪そうに頭を掻きながら背中を丸め、俯きがちにぽつりと返すカルトス。素直に謝れない彼は昔から自分が悪いと自覚があるとこういう態度を取る。それが分かっているからこそ、ルルはもう何も言わなかった。代わりにルルは無表情のままこちらを見下ろすユートに向かってへらりと笑う。
「帰ろっか」
「ああ」
そうして二人して肉屋を出る。ただ買い物に来ただけなのに異常に疲れた。早く家に帰ってあったかいお茶が飲みたい。
「……ねぇユート」
「なんだ」
「さっきはありがとね。カルトスから庇ってくれて」
「……別に、俺がなんとなく気に食わなかっただけだから」
「うん。あ、でも暴力はダメだよ? ユートが悪者になっちゃうからね」
「…………そうだな、気をつける」
ユートが妙に神妙な面持ちで言うので、ルルは逆に安心した。
この町は狭い。悪目立ちする余所者には厳しいところもあるため、余計な諍いは避けるのが無難だ。幸い今日のことは肉屋の中での出来事だったので周囲に知られることはないだろう。カルトスも吹聴するようなことはしないはずだ。
(……それにしても)
ルルは大量の荷物を抱えても文句ひとつ言わず黙々と隣を歩くユートを見つめながら、
(ユートってあんなにいっぱい喋れたんだ……)
カルトス相手に舌戦を繰り広げていたユートを思い出す。
正直、カルトスがルルのことを好きだという彼の推測自体は的外れではあったが、そのほかの部分は正論だった。これを機にカルトスの粗野な行動が少しでも改善すればルルとしてもありがたい。
しかしそれとは別にルルとしては少し不満に思うことがある。
(それなら私とももっとお話ししてくれたらいいのになぁ)
実はちょっとだけカルトスが羨ましかった。ユートと仲良くなりたいルルはもっと彼と話がしたい。くだらない話でも、真剣な話でも、なんでも。
(でも距離詰めすぎると逃げられちゃいそうだしなぁ……)
今朝の前髪の一件のことを考えるとどうしても二の足を踏んでしまう。
それでも少しずつ歩み寄っていけたら嬉しい。そう考えると焦りは禁物だろう。
(……とりあえず、今日はユートのために美味しい夕食を作ってあげよう)
なんだかんだと朝から自分に付き合ってくれた彼を労うべく、ルルは夕食の献立を頭の中で組み始めた。