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色々なものと対峙することになりました【6】


「その顔、やはりご存じなかったみたいね? うふふっ」


 スリア姫は手にした扇で口元を覆いながらも、耐えきれないとばかりに嘲笑で肩を震わせた。

 そして呆然とするルルがよほど気に入ったのか彼女は目を輝かせながら話始める。


「聖剣は魔王を斃せる者をこの地に召喚させることができる唯一の宝なの。でも、選ばれるのはこの地の人間とは限らない。時には異界から召喚されることもあるのよ……そして当代の勇者ユート・カタセ様は間違いなく異界のお方。確かチキュウという異界のニホンという国が出身だったかしらね?」


 小鳥がさえずるような美しい声から紡がれるのは、まるで御伽噺のようだった。

 この世界とは別の場所。異界。チキュウ。ニホン。何もかもルルにとっては未知のものだ。

 しかし不思議と納得する部分があった。

 以前にユートが口にした故郷について。帰りたいと彼は言っていた。しかしもう帰れないとも。

 ルルはてっきり魔族によって滅ぼされたのだとばかり思っていた。魔王軍侵攻からの治世では、そういう人間は少なくなかったから。

 しかし実際は――


(こことは違う世界だから、帰れなかった……?)


 全身から血の気が引いていくのが分かった。思わず足元がふらつくのを、咄嗟に背後のユートが支えてくれる。温かく力強い腕。瞬間、ルルはそこに寄りかかっている自分が無性に恥ずかしくなった。どんな顔をしてユートを見ればいいか分からない。だって、だってそうじゃないか。


(ユートは、帰りたいって言ってたのに……私達の世界を救うために、知らない場所に連れてこられたんだ)


 聖剣に選ばれて、何もかもが分からない状況で、戦うことを強要された。

 世界を救えるのは勇者だけだと懇願され、過酷な旅を三年以上も続けた。

 そしてようやく魔王を斃し、世界を救った挙句に仲間から裏切られた。


 ルルはグッと唇を噛みしめた。そうでもしないとみっともなく泣いてしまいそうだった。

 どうしてユートばかりがこんなにも過酷な運命を背負わねばならなかったのだろう。本当なら誰よりも幸せにならなければならないのに。ひどい、酷い、酷い、くやしい、悔しい、悔しい――


「ルル、ごめんな」


 ふいに、背後からユートの悲しそうな声が耳朶を打った。

 考えるより先に振り返ったルルの視界に、痛みに堪えるように表情を歪めたユートの姿が映る。


「黙ってて、ごめん。もしルルに拒絶されたらと思ったら、怖くて……言えなかった」


 どうしてユートが謝る必要があるのだろうか。彼は何一つ悪いことなんてしていない。謝るべきは自分たちの方だ。そう叫びたいのに声が出ない。それどころか自分の意思とは関係なく、目からは涙が止めどなく流れ落ちてしまう。情けない。恥ずかしい。なのにユートはそんなルルを責めることなく、優しい手つきで目元を拭ってくれる。


「ふふっ、やはり平民のつまらない女に勇者様のお相手など務まりませんわよね?」


 その場でただひとり楽しそうにしている姫君は、腰まである金の髪を軽く払いながらルルを冷笑の視線で射抜く。


「貴女だって本音を言えば気持ち悪いのではなくて? 異界育ちなんて得体が知れないでしょう? 恐ろしいでしょう? いいのよ? 素直になりなさいな。そもそも彼のような特殊な存在を受け入れられるのは、わたくしのような非凡な者だけなのだから」


 そこまで聞いてから、ルルは初めて姫に問い返した。


「……姫様は、姫様なら……ユートを幸せにできるのですか?」

「っ!? ルル、何を言って……っ」


 ユートが酷く焦ったようにルルの肩を掴む傍ら、姫君は鷹揚に頷いて見せる。


「もちろんですわ。これからも勇者様には我が国のために尽くしてもらうの。わたくしの夫として、英雄として、この地の平和の象徴として。その代わりに誰もが羨む贅沢な暮らしと、わたくしを妻として愛でる権利を得るのよ。どう? とても幸せなことでしょう?」


 ルルはそこで初めて姫君をまっすぐに見た。同性から見てもとても美しい方だ。目が眩んでしまいそうなほどの圧倒的な存在感。確かに勇者と並び立つに相応しいように思う。だけど。


「――私は、」


 ルルはユートの腕から強引に抜け出して、一人で立った。これだけは彼に支えられたまま言うべきではないと思ったから。


「確かにユートに相応しくないかもしれないです。でも……でもっ! 私はユートが好きなんです! 気持ち悪くなんてない、怖くなんてない……っ! それにユートは……ユートはもう勇者様なんかじゃない! 特別になんてならなくてもいい! ただ、ただ……幸せになってもらいたい!!」


 一度口火を切れば、感情が堰を切ったように溢れ出して止まらなかった。


「姫様、ユートは本当に帰れないんですか。帰る手段はないんですか? ユートはずっと帰りたがってたんです。誰よりも悲しんできたし、苦しんできたんです。もう、十分頑張ったんです……だから、だからユートを帰してあげたいんです。お願い、お願いですから……っ」


 本当は帰ってほしくなんかない。傍に居て欲しい。ユートが居なくなれば、またルルもひとりぼっちになってしまう。でも、それでも。


「もう、ユートから何も奪わないでよぉ……っ」


 彼には帰るべき場所が確かにあったのならば。

 こちらの世界の都合で奪ってきた彼の未来そのものを返してあげたかった。


 ルルは十六歳の、本当に平凡な、何もできないちっぽけな存在だ。

 自分を特別だなんて口が裂けても言えない。

 ただ、ひとつだけ誇れることがあるのならば――それはユートのためなら誰が相手だって戦えることだ。怖くないわけじゃない。英雄を元の世界に帰そうだなんて世界中から恨まれるかもしれない。そもそも今この場で不敬罪で殺されるかもしれない。


 それでも、ルルはユートのためなら世界を敵に回したっていいのだ。

 ルルだけは何があっても絶対にユートの味方でいる。そう決めたのだから。


「奪うだなんて心外だわ。そもそも貴女ごときがわたくしに楯突くなど許されるわけが――え?」


 姫君が煩わしそうにそう口にしていた最中、突如としてチリッという小さな音がした。

 そして次の瞬間には、絹糸のような金の髪が床にパラパラと舞い落ちる。


「ひっ……!? いやぁああああああああ!!!!!!!!」


 姫の左耳の真下辺りからバッサリと片側だけ、自慢の髪が消失していた。誰がそれを行なったのかは一目瞭然で、自ずと周囲の目が勇者へと向けられる。

 そんな彼は姫の様子を唖然と見つめる己が最愛を再び背後から抱き寄せると、その後頭部へ愛おしそうに頬ずりした。


「――ルル」


 この惨状を作り出した者とは到底思えないほどの甘い声が、ただ一人の少女へと向けられる。


「愛してるよ。もう、ルルが居ない世界になんて戻りたくないほどに」


 それを最後に、王城から勇者と平民の娘は姿を消した。

 後に残された者たちはしばし呆然としていたが、正気に戻った者から確信した。


 もう二度と、勇者がこの場所を訪れることはないのだと。

 そして自分たちの命運は、勇者と、勇者が愛するたった一人の少女が握ったということを。


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