色々なものと対峙することになりました【4】
ルルが目を開けると、そこは全く見たこともない風景だった。
百人以上が入れそうなほどの広い室内の中心にルルたちは立っていた。部屋は大理石の床に深紅のカーペットが敷かれ、見上げれば天井もうんと高く開放感がある。昼間だというのに部屋中を等間隔で囲うランプの光に照らされた室内装飾も煌びやかで目に痛いほどだ。
そんな豪奢な部屋の最奥は一段高くなっており、中央には見たこともないほどの巨大な椅子が置かれている。
そしてそこに腰かけるのは、四十を過ぎたほどの小柄な男性。
彼の服装――正確にはその頭上に輝く王冠を目にした瞬間、ルルは相手の素性を理解した。
「お久しぶりですね、陛下」
自分の頭上からユートの皮肉混じりな声が響く。
するとそこで止まっていた時が動き出したように、室内は騒然となった。
どうやらルルたちは国王と臣下たちとの謁見中に突如乱入してしまったらしい。高位貴族や文官と思われる人の一部は腰を抜かすようにへたり込み、彼らを庇うように警護に当たっていたと思われる騎士たちがこちらを囲むように矛を向けてくる。
騎士たちの鋭い視線にルルは思わずユートの胸元で縮こまる。すると自分を抱き寄せる手が肩のあたりを宥めるように優しく撫でてきた。そっと見上げれば、こちらを安心させるように微笑むユートの視線とぶつかる。
「大丈夫。ルルには指一本触れさせないから」
言って、ユートは聖剣クラウソラスを乱雑に横へ凪いだ――瞬間、こちらを取り囲んでいた騎士たちが黄金の奔流に呑まれて後方へ軽々と吹き飛ばされてしまう。
あっという間の出来事にルルは瞬きすらも忘れて見入った。
「俺と彼女に剣を向ける奴は死を覚悟しろ」
あちこちで上がる呻き声を縫ってユートがそう宣言すると、玉座で呆然としていた陛下がハッと我に返ったような顔をして立ち上がった。
「おお、勇者よ! 其方やはり無事であったか!!」
「陛下もご健勝のようで何よりです。とりあえずこちらに今のところ争う意思はありませんので、騎士たちを下がらせてもらえますか」
要望の体裁をとっていたが実質的にはほぼ命令に等しいユートの言葉に困惑の表情を浮かべながらも、再び玉座に腰を下ろした陛下はとある騎士の男性へと目配せをする。どうやらこの場の警護責任者らしく、彼は部下たちに「壁際まで下がれ」と指示をしながら自身は玉座の真横に陣取った。
そこでルルたちと共に転移してきていたラボリオがその場で膝をつき、神妙に声を上げた。
「――国王陛下、緊急事態につき許可なく御前に罷り越したこと陳謝いたします。ですが一刻も早く奏上したき事柄がございます」
「お主は確か勇者一行の者であったな……この状況、お主が勇者を発見したということか?」
「然様でございます」
「して、奏上したい件とはなんなのだ? 勇者の帰還は喜ばしいことだが、このような騒ぎを徒に起こさねばならぬほどの事柄とは――」
「俺を殺そうとした奴を告発しに来たんですよ」
二人の会話に割り込む形でユートがそう口にすれば、その場にいたほとんどの人間が顔色を大きく変えた。無理もない。魔王を斃した世界的英雄を殺そうとした人間がいるなど、国民や他国に知られれば重大な国の過失となる。
「……よもや冗談では済まされぬぞ、勇者よ」
「わざわざ冗談を言いに来るほど俺も暇ではないです。そもそも俺や聖剣を捜してるという話を聞いたので直接文句を言いに来たんですよ。用件が終わればすぐに帰りますし、二度と王都に足を踏み入れる気もありません」
「っ!? そ、それとこれとは別の話ではないか? 其方が無事王都に帰還したのだ。我々としてもその功績に見合った地位や褒賞を授けることに異論はない。その代わり、其方には王都に留まり、この地を末永く守護する象徴となって欲しいのだが――」
「お断りします。魔王の脅威は取り除いたんだからそれで義理は十分果たしたでしょう」
取り付く島もないユートの態度に陛下がその表情を苦悶に歪める。
王家としては当然、勇者を手元に置いておきたいだろう。魔王の脅威が去った今は平和な世の中だが、共通敵が居なくなったことで今度は国同士の争いが新たに始まる可能性は十分にある。
その際にこの国に勇者がいるということは、外交上での切り札となりうるのだから。
「……話が逸れてしまったな。今の話はひとまず置いておくとして、其方を無謀にも殺害しようとした者について聞かせてくれまいか」
あからさまに話題を変えた陛下に対し、ユートは特に気にした素振りも見せず淡々と答える。
「実行犯は勇者パーティの俺以外の奴ら四人です。そして首謀者は――」
その時、ユートの声をかき消すように後方にある唯一の大扉が勢いよく開かれた。
「陛下!! ご無事ですか!!!!」
数十名ほどの騎士が室内に突入してくる中、その先頭にいた人物が声を張り上げる。
青銀の長髪を後ろに縛った見目麗しい騎士の男。
剣を構えた彼はユートの姿を視認した瞬間、その表情を分かりやすく引き攣らせた。
「なっ……なぜ、貴様がここに!?」
「ちょうど良かった。呼ぶ手間が省けたな」
ユートは鼻で嗤うと、乱入者たちを無視して陛下に向き直る。
「俺を殺そうとしたのはそこにいるクピドです」
「なんと!? それは誠か!?」
「馬鹿なッ!! 陛下、私はそのようなことは決して!! む、無実です!!!」
激しく狼狽するクピドに対して、ユートは涼しい顔のままだ。
その態度の差からか、疑念、恐れ、困惑、軽蔑――数多の視線が清廉と謳われた銀の騎士へと一斉に注がれる。そこで彼は自分の旗色の悪さを一瞬で理解したのだろう。
一呼吸ののちに表情を悲壮感漂うものに変化させると、切々と陛下に己が無実を訴え始める。
「っ……陛下! どうか信じてください! 私は既に王家とも縁づいた身! ですので我が愛しのスリア姫に誓って申し上げます! ……実は勇者様は帰還途中から精神に異常をきたしていたのです! 故郷たる異界に帰りたいと彼が常々仰っていたことは陛下もご存知でしょう!? 魔王討伐という偉業を達成した直後から彼は錯乱しているのです! 何の前触れもなく城内に現れたことが何よりの証拠!」
あまりにも苦しい言い分だったが、一部の人間には響いたようで俄かに場が騒めき出す。
先ほどの登場の仕方に問題があったこともあり、ユートに疑念の目を向ける者も現れ始める中、
「――恐れながら申し上げます! 勇者様を殺害しようとしたのは我らパーティ四人に間違いございません!」
ラボリオの力強い声が室内に木霊する。
そこで難しい顔をした陛下はラボリオをまっすぐに見据えた。
「其方の今の言は、自身も勇者殺害に関与していると自白するものだが?」
「仰る通りでございます。私は許されざる罪を犯しました。裁きを受ける覚悟はとうに出来ております――ですが、その地獄には必ずそこなクピドにも付き合っていただかねばなりません」
「ラボリオ、貴様ァ!」
「お前が全ての元凶なのだ。勇者様がこうして表舞台に現れた以上もはや言い逃れは出来まい。観念することだ」
「っっ……こんな、こんなこと! 僕は決して認めない! 僕は無実なんだ!!! 勇者も、貴様も、みんなして僕を嵌めようとしているんだ!!」
みっともなく喚くクピドの目は血走っており、とてもではないが清廉とは程遠い。
彼は周囲に助けを求めるように視線を巡らせるが、ほとんどの者は目を合わせようとはしなかった。今までの彼の立場ではきっとそれは有り得ないことだろう。
次期侯爵家当主にして麗しの姫君を娶った国一番の果報者――その約束された人生が、今この瞬間、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。粉々に。
「くそっ……くそぉ!! なぜ、なぜ貴様が生きてるんだ……生きてさえいなければ、僕は……ッ」
もはや味方がいないことを悟ると、クピドはひと際強い憎しみの視線をユートへと向けた。
だが同時にその腕に抱かれていたルルの存在に気づき、目を大きく見開く。
「なんだ、その女は」
「っ!」
ルルが本能的に怯えたのが伝わったらしく、ユートが無言で抱きしめる手に力を込めてくれる。
するとそれで何かを察したらしいクピドがニヤリと口元に笑みを浮かべたかと思えば、脇目も振らずこちらへと突進してきた。あまりにも唐突な強襲にルルはおろか他の騎士たちすら反応出来ない。直線距離にして十メートルもないのだ、瞬きの間にその刃はルルたちの身に届く――はずだった。
「――やらせると思うか?」
温度のない声と共に振り下ろされる黄金の剣は、クピドの右腕を剣ごと両断――否、蒸発させた。
「いぎゃあああああああああ!?!?!?!」
断末魔のような大音声が玉座の間に響き渡る。
その場で頽れたクピドは先を喪った右肩を左手で押さえながら地べたに這いつくばる。不思議なことに傷口から血は一切出ていなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように、黄金の光はクピドの右腕をこの世から消し去ったのだ。
ユートはルルの頭を抱えると自分の胸に押し付けながら「見なくていいよ」と優しく言う。
正直、ルルはとても恐ろしかった。
ユートが直接的に人を害する瞬間を初めて目の当たりにした。
その迷いのなさが、容赦のなさが、彼の歩んできた過酷さの上に存在していることをようやく自覚する。
(ユートは……本当に勇者なんだ)
果たして自分のような矮小な存在がこの人を本当の意味で支えていけるのだろうか。
そんな疑念と葛藤が胸中に渦巻く中、未だに苦鳴を上げ続けるクピドの声に交じって、
「――お父様? これはいったい何の騒ぎですの?」
場違いな甘ったるい声がルルの耳朶を唐突に打った。




