色々なものと対峙することになりました【2】
ラボリオとイルゼを家の中に招き入れ、ルルはすぐさま治療に取り掛かることにした。
とりあえずダイニングの椅子にラボリオを座らせ、急ぎ部屋の奥に向かう。
幸いにもこの家は薬には事欠かない。常備しているものの中から消毒用と止血用の塗布液、そして鎮痛剤や造血を促す栄養剤などの飲み薬を取り出してきたルルはテキパキと処置をしていく。薬が効いたのかほどなく出血は止まったので、安静にしていれば大事には至らないだろう。
最後に丁寧に患部を覆うよう包帯を巻いたところで、
「ありがとうございます、ルル殿」
ラボリオが小さくお礼を言ってきた。
そこへ横でルルの治療を見守っていたイルゼも口を挟む。
「私からもお礼を。最悪、町まで薬を取りに行くべきか迷ってましたが……これほど的確な処置をしていただけるとは感服しました」
「いえいえ、このくらいの手当なら薬があれば誰でもできますから。ああ、薬は先代が遺したものですので効能は保証しますよ」
「それは既に実感しております。痛みもだいぶマシになりました」
そう言って穏やかに笑うラボリオの顔色もだいぶ改善している。ただ目元は赤いままだった。これに関しては先ほど泣いたことが原因だろう。
「ルル、お疲れさま」
その時、お茶の用意で席を外していたユートが厨房から人数分のカップと共に戻って来た。ちなみにルルの足元にはいつの間にか姿を現していたクラウがぴったりと寄り添っており、部外者二人への監視体制は万全である。
「ユートもありがとう。治療は終わったけど……このままお話する?」
「ああ。さっさと出てってもらいたいし」
素っ気なく言ったユートにラボリオの眉が自然と下がる。だが流石にそれに対して同情する気は起きなかった。今こうして顔を合わせているだけでも十分にユートは譲歩している。
「私も同席してて大丈夫?」
もしかしたら聞かれたくない話もあるかもしれないと思い、ルルはユートへお伺いを立てる。すると彼はラボリオの向かい側にあるダイニングの椅子に腰かけ、そのまま手招きをしてきた。その指示に従えば、当然とばかりにユートの膝の上に座らせられる。どうやらこの状態で話を一緒に聞けということだろう。
人前ということもあり気恥ずかしさはあるが、ルルは抵抗しなかった。今はユートがしたいようにさせるべきだと考えたのだ。
一方、そんなこちらのやり取りを見ていたラボリオが驚愕の表情をしていることに気づき、ルルは思わず声を掛ける。
「あの、どうかしましたか?」
「い、いえっ……なんでもありません」
ラボリオは軽く咳払いをした後、改めて視線をユートへとまっすぐに向けた。
「ユート様、この度は本当に――」
「別に謝罪とかは必要ないから。用件だけ手短に話せよ」
「っ……承知いたしました。しかし用件をお話しするにあたって、まず説明させていただかねばならぬことがございます」
「説明? なんのだ」
「……我々が貴殿を裏切り、殺害しようとした経緯についてです」
そこでユートは僅かに無表情を崩した。どこか興味深そうに目を細める。
「聞かせてもらおうか」
そうしてラボリオは語り始めた――勇者殺害の日の顛末を。
すべての発端は魔王討伐の旅の最中から国内外問わず流れていた噂話。
魔王を討伐した暁にはスリア姫が勇者に下賜されるのではという言説に起因する。
これはあながち間違った噂ではなかった。勇者という戦力を魔王討伐後も国内に残していく手段として、実際に検討されていた案ではあったのだ。
しかしそれが実現することを恐れ、どうしても阻止したい人物が皮肉にも勇者パーティの中に存在した。
その男の名はクピド。
国内でも知らぬ者は居ない侯爵家の嫡男であり、騎士としても非常に優秀な彼は――スリア姫に恋焦がれていた。
そもそも彼が侯爵家嫡男でありながら危険極まりない魔王討伐の旅に志願した理由はただひとつ。
褒賞として愛しいスリア姫の下賜を願う。それが動機のすべてだった。
だから旅の当初、まだ不安定であった勇者ユートの世話を一番焼いていたのもクピドだった。
同じ近接戦闘型というのもあり、彼は勇者の剣の指南も積極的に請け負っていたし、年齢の近い同性としても相談役を買って出ていた。すべては魔王討伐を迅速に果たすために。勇者の成長は目的を達成するには必要不可欠だったから。
しかし傍目にはその行動が年若い少年を気遣う出来た兄貴分のように映っていた。
だからその時が来るまで誰も気づかなかったのだ。
まさか勇者を一番気にかけていた清廉な騎士が、あろうことか勇者の食事に毒を盛るなんてことは。
突如として苦しみ出した勇者に対し、もちろんパーティメンバーは治療に当たろうとした。だがクピドはそれを止めた。己の持つ侯爵家という権力を使って。
全部で五人いた勇者パーティの他の三人はラボリオも含めて全員が平民の出身だった。
もちろん能力的には非常に優れていたが、所詮は喪われても替えの利く存在である。侯爵家に目をつけられたら、いくら魔王討伐を成し遂げた人材だとしても容易に消されてしまいかねない。
ラボリオ以外の二人は早々にクピドの命に従った。
しかしラボリオだけは最後まで抵抗を試みた。勇者は魔王を斃し世界を救った英雄だ。このような場所で死なせていい存在ではない。それに何より、この三年もの間、寝食を共にしてきた大切な仲間である。そんな勇者を裏切るなど、人として決してあってはならないことだった。
だが、そんなラボリオの訴えをクピドは一蹴して嗤った。
『では、貴様の出身である孤児院や騎士団の同期、近隣住民も含めて侯爵家が直々に地獄を味わわせてやろう。貴様が勇者を助けるというのならば僕は決して容赦はしない。さぁ選ぶがいい。勇者か、それ以外の貴様の大事な人々か――』
そのようなやり取りをしているうちにも、勇者はどんどんと弱っていった。毒が全身に回り、回復魔法や解毒薬を持っていないラボリオにはそもそも処置が出来るような状況でもなくなった。
すべては言い訳だった。だが、ラボリオは折れた。心が折れてしまったのだ。
そんなラボリオの機微を察したクピドは更なる非情な命令を下した。
『ちょうどいい。ラボリオ、貴様が止めを刺すんだ。剣で突き刺すでも首を刎ねるでも何でもいい。最期の引導は貴様自身が渡してやれ。それが勇者に対するせめてもの餞というものだ』
絶望の中、ラボリオは勇者を担ぎ上げた。剣で刺すことはできない。首を絞めることもできない。ラボリオにできたことは――崖から突き落とすこと、それだけだった。
ほぼ意識のない勇者の身体は酷く重くて、ラボリオはせめて勇者と一緒に己も死ぬべきかと考えた。だが自分が安易に死んでもクピドがラボリオの周囲に危害を加えないという保証はない。
それに自分がここで死んでしまったら、勇者を弔う人間は完全に居なくなってしまう。
やはりすべては言い訳だった。けれどラボリオは決断した。
必ず自分は地獄へ落ちる。しかしそれは今ではないと。
そしてラボリオは勇者ユート・カタセを崖の下に葬った。
後日、必ず戻ってきてその亡骸を丁重に弔うことを胸に誓いながら。
その後、勇者が森で大型魔獣に襲われ不幸にも崖下へ転落したという作り話と共に、クピド率いる勇者パーティは王城へと帰還した。すぐに捜索隊が組織され、該当区域はくまなく捜査されたが――勇者の遺体はおろか、遺品の一つも発見できなかった。
「――ひと月ほど捜索は続きましたが、やがて打ち切られました。そして不慮の事故による勇者の死亡が公表され、クピドは当初の目論見通りにスリア姫の下賜を願い、それは承認されたという次第です」
誰もが黙ったまま、ラボリオの話に耳を傾けていた。
そんな中、ルルの内心は怒りや悲しみで満ち溢れていた。あまりにもクピドの身勝手な所業が許せなくて。そしてそれ以上に、何の罪もないユートが受けた仕打ちがやるせなくて。
一方、ユートは冷静にラボリオの話を聞きながらも時折、何故かクラウの方へと視線を向けていた。
「……此度の件の褒賞で私は騎士団の副団長への昇進を言い渡されました。初めは辞退するつもりでしたが、貴殿を捜索するにあたっては組織的な情報網が必要かと考え、厚顔と知りつつ拝命しました」
「――どうしてそこまで俺の行方を捜そうと思ったんだ。森で死体が見つからなかったのなら、魔獣とかに食われたと思う方が自然だろう」
「貴殿が生存している可能性は非常に高いと認識しておりました」
「根拠は?」
「宝物庫に聖剣クラウソラスが返還されていないからです」
聖剣クラウソラスの言葉に、ルルは思わず目線を金色狼へと向けた。
そして先ほど玄関先であった一幕を思い返す。
「あのさユート……もしかしてクラウが、その……聖剣なの?」
「……黙っててごめん」
「いやそれは別に良いんだけど……こんなに賢い狼が聖剣だなんてなんか不思議……」
「クゥン」
ルルとユートの足元に鼻先を寄せながら、クラウが小さく甘えたように鳴く。可愛い。
「じゃあ最初からクラウは私の言葉も理解してたんだね」
「ああ。ちなみに俺にはこの駄犬の言葉が頭の中で聞こえてるんだが……どうやらラボリオの言ってることは事実らしい」
先ほどから彼が頻繁にクラウと視線を交わしていたのは、それを確認するためだったようだ。
「やはりそちらの狼が聖剣なのですか……! しかし、旅の道中では姿をお見かけしたことはなかったかと思いますが」
「旅の時は常に帯剣してたからな。狼の状態と剣の状態は両立できないんだと」
ともあれ、剣の状態で勇者殺害の状況を一部始終見ていたクラウがラボリオの話に嘘はないと証言したのならば、それが真実ということだろう。
「話を戻すが、つまり俺が死んでないってことは国の上層部には筒抜けってことか?」
ユートが煩わしそうに言えば、ラボリオが神妙な顔つきで頷いた。
「はい。私が必ずお伝えしなければと考えていたのはその点です。聖剣クラウソラスは国宝であり奇跡すら可能とする唯一無二の代物。契約者亡き後は自動的に宝物庫に戻るとされるその剣が未だに所在不明ということで、国は秘密裏に聖剣の――ユート様の行方を捜索しおります。そしてその陣頭指揮を執っているのが」
「クピドってわけか。分かりやすいな」
ユートは鼻で嗤うと、クラウに訊いた。
「お前、とっとと宝物庫に返れば?」
「ヒャイン!? クゥンクゥン……!」
ブルブルと首を振りながら悲しげな声を出すクラウにユートはため息を吐く。
「死ぬまで契約は有効らしい。つまり俺が死ぬまでは傍を離れられないんだと」
「然様でございますか」
「さて、どうするべきかな……」
ユートはぬいぐるみのようにルルを腕の中でぎゅっと抱えながら、心底面倒くさそうにぼやいた。




