色々なものと対峙することになりました【1】
ラボリオはルルが今まで見た中で最も体格のいい男性だった。おそらく二メートル近くあるのではないだろうか。だからルルの直感が告げる。
(この人が、ユートを崖から突き落とした……!)
かつてないほどに警戒心を抱きながらもルルは沈黙を守る。生憎とユートは不在。あまり余計な情報を与えたくはなかった。するとラボリオとルルを取り持つように、イルゼが一歩前へと出る。
「突然の訪問、お許しください。ですが彼の人間性は私が保証いたします。どうか話だけでもさせていただけませんか?」
「……イルゼさんとそちらの方は、どういうご関係なんですか?」
「彼は私の騎士学校時代の先輩にあたります。卒業後も定期的に交友を持っておりました」
そこで彼女が目配せをすると、ラボリオが紳士的に胸に手を当てて会釈をする。
「改めて自己紹介を。私は主に王都の守護を預かる王立騎士団で副団長を務めているラボリオと申します」
「……ルル、です」
「ルル殿、貴女が現在共に暮らしているという冒険者の青年の名はユート・カタセで間違いありませんか?」
カタセ、という耳慣れない響きの家名に僅かな違和感を持つ。平民であるルルが持っていないこともあり、ユートに家名を訊ねたことはなかった。この国で家名を名乗ることが許されるのは貴族やそれに準ずる資産を持つ富裕層に限られる。つまりユートの出身はそうした家柄ということだろうか。
「……私の口から貴方がたにお答えできることはありません。どうぞお引き取りを」
色々考えた結果、ルルは質問にも答えず彼らを家の中に招くことも止めた。イルゼのことを疑うわけではないが、ユートを裏切った相手を安易に家に入れるほど楽観的にはなれない。
しかしラボリオも手ぶらで帰るつもりはないのか、どこか焦れたような表情を向けてくる。
「そこをなんとかお願いできないだろうか。一目だけで良いんだ。彼の無事が確認できればそれで――」
「ラボリオ様、無理強いはしないとの約束でしょう?」
「っ……分かっている。しかしイルゼ、ようやくユート様の所在が掴めそうなのだ。このまま素直に引き下がることは私にはできない!」
二人の会話を聞きながらルルは困惑の色を深める。ラボリオの発言はどう考えてもユートを心配するものだ。その表情からも真剣みは伝わってくる。これが演技なのだとしたら大したものだ。
「……頼む、ルル殿! 私はどうしても彼に直接お伝えしなければならないんだ……っ!」
「っ!?」
「ラボリオ様!」
イルゼの制止も振り切り、焦燥感を募らせたラボリオがルルとの距離を詰めようとする。見上げるほどの大男が迫って来るのに本能的な恐怖を感じたルルは咄嗟に身体を縮こませて目を瞑った。だが、次の瞬間――
「ぐああッ!?!!」
唐突にラボリオの苦鳴が青空の下に響き渡った。
それに驚いて顔を上げたルルの視界に飛び込んできたのは、
「――クラウ!」
立派な体格をした金色の狼。それがラボリオの左肩に鋭く牙を突き立てている。彼はクラウを振り払おうと藻掻いているが、獲物に食らいついた狼は攻勢の手を緩めない。それどころかより深く牙を食い込ませようとしているようにも見えた。
「ラボリオ様ッ!!」
イルゼは帯剣していたサーベルを抜くと躊躇なく金色狼へと切りかかる。それを瞬時に察知したクラウはラボリオの背中を蹴ると軽やかに跳躍して斬撃を躱した。負傷の痛みからかラボリオがその場で膝をつく中、イルゼが彼を守るように前へと出る。対するクラウはイルゼには全く興味を示さず、ただラボリオにのみ唸り声をあげながら強い視線を向けていた。
ルルはあまりの事態に完全に言葉を失っていた。だが、直後に背後から伸びてきた腕にぎゅっと身体を抱き込まれてしまう。まったく背後に気配を感じなかったことで驚き固まるが、すぐに自分を抱き寄せたのが誰かを知った。
間違いない。この腕の感触や匂いは最愛のひとのものだ。
慌てて顔だけで振り返れば、やはり相手はユートだった。しかしその表情はいつになく険しい。彼は珍しくルルに視線を向けることなく、底冷えするような声を発した。
「――来い、クラウソラス」
刹那、ユートの右手に美しい黄金の光を放つ剣が現出した。同時に金色狼が忽然と姿を消している。
その事実から導き出される推測をルルが気にする暇もなく、ユートはルルを片腕で抱き留めながら黄金の剣先をラボリオへと向けた。そこへ剣を構えたイルゼが割って入ろうとするが、
「イルゼ、構わない」
何故か窮地に陥っているはずのラボリオがそう冷静に告げる。
彼は未だに出血を続ける自身の左肩を意にも介さない様子でその場に跪き首を垂れると、
「――ユート様。ああ、本当にユート様なのですね……っ!」
歓喜の声と共に涙を流し始めた。
これにはラボリオ以外の全員が困惑の表情を浮かべる。
「……ラボリオ」
「ぐすっ……ユート様、よくぞご無事で……っ」
「いやお前らが殺そうとしといてよく言うよ」
そこでハッとしたように顔を上げたラボリオは、グズグズの情けない顔のまま声を上げる。
「貴殿の怒りは御尤もです……望まれるのでしたらこの首、喜んで捧げましょう」
「ラボリオ様!?」「いらねぇ」
イルゼの悲鳴とユートの心底うんざりしたような声が重なる。
その後、ラボリオの一連の反応にユートは毒気を抜かれたのか、小さくため息を吐いた。
「俺がここに住んでることを口外しないなら見逃す。さっさとどっかに行ってくれ」
「っ……ユート様、それは――」
「お前らが何をどうしようと勝手だし興味もないが、俺とルルの邪魔をするようなら全員殺す」
その場を支配するような冷徹な声はユートの本気を示していた。
対してラボリオが苦しそうに表情を歪めながら言う。
「――ユート様の平穏に水を差してしまったこと、深く謝罪いたします。ですがどうしてもお伝えしなければならぬことがあり、こうして恥を忍んで馳せ参じました」
「……その伝えなきゃならないことってなんだ」
ユートが先を促したところで、イルゼが堪らず声を上げる。
「その前に治療を! せめて止血だけでもさせていただけないでしょうか!」
「イルゼ、私は構わないと言った」
「ですが、これ以上は命にかかわります!」
必死の形相で懇願するイルゼに、ルルは思わずユートへ視線を向ける。
ラボリオはユートにとっては仇のひとりだ。それを助ける義理はない。しかし怪我人を放置することは薬師であるおばあちゃんのもとで育ったルルにとっては胸が痛いことで。
そんなルルの思考を読み取ったのか、ユートは若干煩わしそうに眉を顰めたものの、
「……ルルが許可するなら」
間接的に治療の許可を出したのだった。




