話をしました【1】
「……ユート、ちょっと話があるんだけど、良いかな?」
夕食の後、ルルは熟考の末にユートにそう話しかけた。後片付けを率先して手伝っていたユートは、手元の食器類を手際よく拭きあげながら「もちろん」と頷いた。
「場所は俺の部屋でも良い?」
「? ……それは別に構わないけど、どうして?」
このままダイニングで向かい合って話をするつもりだったルルが首を傾げても、ユートは少し困ったように笑うだけで。どこか釈然としないものを感じつつも、ユートがそうしたいのならとルルは素直に彼の背を追った。
ユートに割り当てられている部屋には相変わらず物が少ない。もともとおばあちゃんが亡くなってからは空き室にしていたからだが、最低限のベッドとクローゼット、それと書き物用の机と椅子が窓際に設置されているくらいのものだ。
改めて部屋を見回していたルルへ、先にベッドの縁に座ったユートが自分の膝を叩いて言う。
「ルル、こっち来て」
「……いや、それはちょっと」
暗に膝の上に座れと示されても対応に困る。だがユートはこれに関しては譲る気はないらしく、
「……大事な話なんだろ? なら、なおさらこっち来て」
と真剣な顔を向けてくる。
「本当にルルが嫌なら諦めるけど」
「うっ、別にそこまで嫌ってわけじゃないんだけど……っ」
「なら早く」
いいように丸め込まれている自覚はありつつも、ルルは結局折れた。ユートに近づくとそのまま腕を引かれ、彼の膝の上にぽすりと背中を預ける状態で収まる。互いの体温が伝わる距離だ。どうしても意識がそちらへと向いてしまう。だが、距離を取りたいルルに反してユートはこちらの腹に両腕を回すとがっちりと抱き込んだ。首筋にユートの吐息を感じて、また体温が上がった気がした。
「ルル」
ユートが呼ぶ。話始めていいよの合図だと受け取り、ルルは一度深呼吸をしてから口を開いた。
「あのね、今日……魔族の件で調査に来た辺境領の騎士隊の人たちが家を訪ねてきたの」
ルルは簡単にユートが不在時にやって来たイルゼたちとのやり取りを説明する。彼は途中で相槌を挟むこともなく黙って聞いていた。それでも真面目に耳を傾けてくれているのは分かったので、ルルも淡々と続ける。
「それで帰り際に、イルゼさんっていう女性騎士のひとが突然ユートの外見について黒髪黒目かどうか確認してきて……」
そこでルルは一度言葉を切った。そして顔だけ振り返ってユートの表情を窺う。すると彼はこちらの視線に気づいて柔らかく目を細めた。
「どうした? 話、続けていいよ」
「あ、うん……」
てっきりもっと動揺するかと思っていたが、ユートは平然としている。少し毒気を抜かれたルルだが、むしろ本番はここからだと気合いを入れ直した。
「イルゼさんが言うには、彼女の知人がユートを捜してるかもしれないって」
「知人? そいつの名前は聞いた?」
「ううん。聞き返そうと思った時には他のひとたちの方に行っちゃったから……ごめんね」
「いやルルが謝ることじゃないけど。でもそうか、知人ね……」
ユートはルルの後頭部に顎をのせながら何かを思案するように小さく息を吐く。
「ユートは、その、自分を捜すひとに心当たりってあるの?」
「んー……まぁ、ちょっとは。まぁ誰だったとしても二度と会いたくはないかな」
「誰だったとしても?」
「うん。正直、ここに来る前のことは完全に忘れたいぐらいなんだよ。それこそ、誰が会いに来たところで『どの面下げて来てんだよ』って感じだし」
ユートは軽い口調でそう言った。しかし内心は決して穏やかではないだろう。
ルルは勇気を出して再びユートの方に顔を向ける。そして超至近距離から彼を見上げた。
「ユート……私ね、ユートのことがもっと知りたい」
こちらの唐突な要望に彼は僅かに瞠目した。
しかしすぐに表情を取り繕うと、優しい声音で囁くように言う。
「それは、どうして?」
「……今日、ユートのことを色々と聞かれた時、私はほとんど答えられなかった。それで思い知ったの。私はユートのこと、全然知らないんだって。それで――凄く悔しいなって思った」
「悔しい?」
驚くように聞き返してきたユートにルルはこくりと頷く。
「今まではユートの過去を掘り返すのは良くないことだって思ってた。でも気づいたの。何も知らないままじゃ、いざという時にユートのこと、守ってあげられないって」
今日のことだってそうだ。事前にユートの過去について理解していたら、イルゼの質問にももっと適切な対応を取れたかもしれない。少なくとも軽率に情報を与えてしまうようなことは避けられたはずだ。
「ユートが困ってる時に何もできないのは嫌なの。もし何か背負っているものがあるのなら少しでも軽くしてあげたい。ひとりじゃないんだよって、安心してほしい。だから――」
瞬間、言葉を遮るようにユートは自分の腕に収めているルルの身体をより一層、強く抱きしめた。息苦しいほどの抱擁。だけどルルはその強引さを拒絶しなかった。むしろ背中に感じる熱を享受するように、自分のすべてを渡すように目を閉じる。
「俺はね、ルル」
どこか泣きそうな声が降ってくる。
「過去のことなんて本当にもう、どうでもいいんだ。今更傷ついたり悲しんだりしない。けど、俺にも怖くて堪らないことがある」
「うん……教えて。ユートは何が怖いの?」
「ルルに嫌われたくない」
「……わたし?」
ルルは思わず閉じていた目を開けてユートを仰ごうとした。
しかし彼は顔を見られたくないのか、ルルの首筋に額を預けたまま言葉を続ける。
「俺の過去を知ってもしルルが俺から離れたくなったりしたら……もう生きていけない。本当にルル以外はもう何もかもどうでもいい。ルルさえいればいい」
「ユート? ちょっと待って、落ち着いて」
「ルルが好きだ。ルル以外要らない」
「っ……!!」
あまりにも熱烈な言葉の濁流に呑まれてルルは呼吸すら忘れそうになる。
年上の男のひとなのに。自分を求め縋って来るユートはまるで小さな子供のようだと思った。それを肯定するかのように、ユートが自嘲気味に言う。
「卑怯だよな。今だって、ルルが逃げられないようにこうして俺の部屋に引き込んで、無理やり抱きしめてて……自分でもおかしいって分かってるんだよ。でも、そうでもしないと不安で仕方がないんだ」
「……」
「本当にごめん……けど、ルルだけはどうしても失いたくないんだ……」
そこまで言って、ユートは沈黙した。その身体は微かに震えていて。とても可哀想で。
ルルはルルで非常に混乱していたが、とにかく怯える彼を安心させてあげたくて言葉を選ぶ。
「……私は、どこにもいかないよ?」
そして宥めるように自分の腹に回された彼の大きな手の甲をそっと撫でた。
「あのさ、もしかしてユートって犯罪者なの?」
「……えっ、いや違うけど……」
「なぁんだ。じゃあそんなに怖がらなくても大丈夫だよ。ユートの過去は知らないけど、この数か月一緒に暮らしてきて、私はユートが優しいひとだってことは良く知ってる。だから嫌ったりしないよ」
そう言葉にすることでルル自身も自分の考えをまとめていく。
話の流れから想像するに、ユートは自分の過去をルルに知られたくないのだろう。その理由はルルに嫌われるかもしれないという不安から。だから一番可能性がありそうなもの――すなわちユートが犯罪者で誰かに追われているという想定をしてみたが、どうやらそうではないらしい。
もし仮にユートが犯罪者だったなら罪を償わせなければならないと思った。
しかしそれでも見捨てる気は最初からなかった。その理由を改めて考えてみて――
(ああ……私、ユートのことすごく信じてるんだなぁ)
ストン、と心が納得した。
彼にどんな過去があろうがきっと嫌いになんかならないし、なれない。
それが分かったからか、こんな状況なのにルルはどこか晴れやかな気持ちになった。
「そんなに不安ならもう一回約束しよ? ずっと一緒にいるって」
「……ルル」
「だから怖がらずに教えて。私が知らないユートのこと」
そこでユートがそろりとルルの首元から顔を上げた。
彼はしばし躊躇した様子を見せていたが、やがて観念したように口を開けた。
「――信じられないかもしれないけど」
「うん」
「俺、ちょっと前まで勇者だったんだ」




