俺なんかのために君が泣くから【ユート視点】
散々泣き喚いた挙句に気絶してしまったルルを抱えながら、ユートは未だ止む気配のない雨が降る天を仰いだ。
今、この胸に渦巻く複雑な感情は到底言葉では表しきれない。
それでも敢えて名前を付けるのならば、これはそう、きっと――歓喜だった。
理不尽に剣を持たされ、戦うことを強制された日々が不意にユートの脳裏を駆け巡る。
生物を殺すことへの忌避感。拭いきれない罪悪感と恐怖心。それでも仲間がいたからギリギリのところで折れずにやってこれた。この世界を救うという偉業だって命懸けで果たすことができた。
しかし悲願を達成した自分を待っていたのは、希望に満ちた明るい未来などではなく、信じていた仲間たちからの裏切りに他ならなかった。
だから一度はこの世界そのものを恨み、憎み、そしてすべてに失望し、絶望した。
助かってしまったからには自死こそ選ばなかったが、正直、いつ死んでもいいと思っていた。
それなのに、この子は――ルルは。
もはや何者でもなくなった、この世界にとって価値を持たないユートのことを、大切なひとだと言ってくれた。傍に居ることを望んでくれた。
そしてユートが一番欲しかったものを、惜しみなく与えてくれた。
『私、ユートのことが好きだから……もし叶うなら、私が、ユートの帰る場所になりたい』
ずっと、帰りたいと思っていた。ここではない場所へ。本来の自分があるべき場所へ。
叶わないと知りつつも求めずにはいられなかった。その未練が、おそらく自分の命をこの世界に留まらせていたのだろう。そうでなければ、きっとあの時、あの場所で。ユートの命運は尽きていたはずだ。
(だが、俺は生きている……そして今日、生きる意味を見つけた)
泥で汚れてしまった彼女の頬をそっと拭いながら、ユートは眩しいものを見るように目を細める。
こんなにボロボロになるまで自分を捜し求めてくれた。その事実が熱く胸を焦がす。
彼女は光だ。自分にとっての光。
深く暗い森の中にもたらされた、唯一無二の道標。
先ほどまでは自分が傷つくことを恐れ、彼女を信じきらないことで心の均衡を保とうとしていた。だがもう決して彼女のことだけは疑わない。仮にいつか騙されたとしても悔いはない。今は素直にそう思える。
――ただ、望むことはひとつだけ。
彼女だけは喪いたくない。
喪ったら、きっと自分は正気ではいられない。
「ルル……ルル」
可愛らしい小鳥のようなその名前を呼びながら、ユートは少しだけ、泣いた。
こんなどうしようもない自分を必要としてくれている彼女のことが心の底から愛おしかった。胸が張り裂けてしまいそうなほどに。狂おしいほどに。
(……もう、絶対に泣かせたりはしない。俺の持てるすべての力で、ルルを守る)
それが自分の生きる意味であると、ユートは居もしない神にではなく、己自身と彼女に誓った。
それからルルの身体を優しく左腕だけで抱き直すと、ユートはその場でゆっくり立ち上がる。
先ほどから雨脚は強くなる一方だ。ルルの体調のことを考えると早く家に帰らなければならない。
だが、その前にユートには確実に済ませておかなければならないことがあった。
「――クラウソラス」
空いた右手をかざしながら、ユートがその名を呼ぶ。
すると次の瞬間には太陽のように光り輝く黄金の剣が己の右手にしっかりと握られていた。
ユートはその現象に何ら疑問を持つこともなく、ただ出現した剣へ問う。
「相手の位置は補足しているな?」
『うん! いつでも跳べるよ!』
「分かった――跳べ、クラウソラス」
刹那、ユートの視界が黄金に染まる。そうして瞬きの間に世界が一変し、気づけば真っ暗な森の中だったはずの景色は、町外れの薄暗い廃屋の室内へと塗り替えられていた。
「ッ!? ひっ……!?!?」
さらに、ユートの眼前には廃屋の中で息を潜めていたであろう魔族の姿がある。見た目はユートと然程変わらない年齢の男の魔族だ。だが実年齢はユートの何倍も上だろう。
遠目から見れば魔族も人も見た目に大きな違いはない。が、決定的に違う部分はある。それは皮膚の一部を覆う魔力を帯びた鱗の存在だ。ちなみに肌を覆う鱗の面積が広ければ広いほど魔力量が多い。つまり魔族として強大な力を持っているということになる。
はたしてユートが今対峙している魔族の強さだが――
(……中の下ってところか)
これならば腕の中のルルを起こすこともなく簡単に片を付けることができるだろう。
そう判断して、ユートは手にした剣を魔族の男の喉元へと突きつける。すると突然の事態に相手は恐怖で顔を引き攣らせながら、
「な……なぜ、なぜ貴様が……勇者がここに居るッ!?」
と叫んだ。どうやらユートのことを知っている魔族らしい。
直接戦った記憶はないので、おそらく一方的にこちらの情報を把握していたのだろう。
ユートは久々に呼ばれた称号に対して特に思うところはなく、むしろある種の懐かしさすら覚えた。
だがあの頃とはもう何もかもが違っている。
「今はもう勇者じゃねぇけどな――焼き尽くせ、クラウソラス」
言って、ユートは瞬時に相手の懐へと低い姿勢で踏み込むと、一切の躊躇もなくその身体を黄金の炎を纏った剣でもって横薙ぎに切り裂いた。
相手も咄嗟に防御魔法を張っていたようだが、そんなものはこの剣の前には無力。
防御を破壊した勢いでそのまま胴体をも真っ二つにする。結果、魔族の男は反撃もできずに呆気なく絶命した。
『流石はご主人さま! お見事!!』
「煩い」
ユートは脳内に響く声を軽く咎めながら、魔族の死体を見つめた。その身体は端から灰のように脆く崩れていく。そしてあっという間に人の原型を失くしてしまった。
後に遺ったのは大量の灰と、魔獣のものとは比べ物にならないサイズの魔石。正確には魔核というが、ユートの目から見れば巨大な宝石にしか映らない。
「……他に反応はないな?」
『うん! この近くに魔族の反応はないよ! 大丈夫!』
元気よく答える声を聞きながら、ユートはひとまずやるべきことは終わったと判断する。
この魔核も放置で構わないだろう。ルルの話ではこの魔族を討伐するための精鋭部隊とやらが近々町へやってくるという。ならば魔族捜索の過程でこの魔核も発見してくれるはずだ。
(俺がやったとバレるのは面倒だからな……)
もう表舞台に立つつもりは一切ない。これからはルルと二人、静かに穏やかに日々を過ごしていければそれでいい。そのためならば、どんな犠牲を払うことも厭いはしない。
「――家へ帰るぞ」
ユートが腕の中で変わらず眠るルルの顔を優しく見つめながらそう宣言すると、再びその視界は金色に包まれたのだった。