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居心地のいい居心地の悪さ【ユート視点】


 期せずして森の中の小さな家での居候生活を始めてから十日と少し。

 今日は初めて森を出て町の空気に触れた。

 もうあれほど誰とも何ともかかわりたくないと思っていたのに、一度外に出てみれば案外順応するものなのだなとユートはどこか冷めた目で己を振り返る。


 それもこれも、やはりあの明るくてお人好しな少女が傍に居るからだろう。

 ルル。

 まるで小鳥みたいな名前だなとユートは思う。実際、ルルは小鳥みたいによく動き、よく喋る。見ていて飽きない存在。朗らかな彼女の傍はとても居心地がいい。だからこそ、今のユートからしてみれば酷く居心地が悪かった。


 夜も更けて久しい頃合い。

 家人に気づかれぬようひっそりと家を出たユートは、ぽっかりと浮かぶ月の明かりを頼りに家と森との結界の境界のギリギリ内側に立った。

 この家や彼女の薬草畑に張り巡らされている結界はかなり高度なもので、大抵の野生動物なら侵入を許さないほど強固なものだ。

 しかし、今からユートが呼ぼうとしている存在には幸か不幸か通用しない。


「――どうせ近くにいるんだろう? 出てこいよ」


 決して大きな声ではない、むしろ独り言のような小さなそれ。

 しかし次の瞬間にはユートの目の前に()()は存在していた。


 これのことを金色の毛並みを持つ美しい狼と彼女は評していた。

 しかしユートから言わせれば、


『ご、ご主人さま! ご主人さまがボクを呼んでくれた!! なんですかご主人さま! ボク何をすればいいですか!? なんでも言ってください!!』


 ただのやかましい駄犬である。

 ユートは己の脳内に響き渡る声に少々うんざりしながら、境界のすぐ外側でこちらの命令を待つ駄犬を見下ろした。


「単刀直入に訊くが、俺をここまで連れてきたのはお前だよな」

『そうです!』

「……なんでこの家だったんだ? そもそも、俺はこんなことをしろと命令した覚えはない」


 あの時――自分の命運が尽きかけていたあの瞬間。

 ユートが切に願ったのは『故郷に帰りたい』だった。

 もう戻れないと知りつつ、それでも願わずにはいられなかった。そしてそれが叶わないのであれば、いっそ安らかに死んでしまいたいと本気で思っていた。


 なのに気づけばこんな全く縁もゆかりもない場所に運ばれ、自分よりも幾分か年下の少女に拾われ、看病されていた。正直、最初はここが死後の世界で、彼女が天使かなにかではないかと疑ったぐらいだ。なにせ彼女の外見は金色の柔らかな長い髪に海のような深い蒼の瞳を持つ美少女だったので。


 しかしすぐに現実であることに気づき、当然のように警戒した。

 だがそんなこちらの疑念をひとつひとつ払拭するように、彼女は――ルルは、献身的にユートの世話を焼いた。むしろこちらが心配になるほどに。


 だから今の状況はユートが望んだものではない。

 そのはずなのに、彼女と過ごす時間を悪くないと思っている自分にユートはもう、気づいてしまっている。あれほどこの世界に失望したというのに、まだ心のどこかで信頼できる誰かを求めているのだ。学ばない自分にもほとほと嫌気が差す。


 なのでこれは一種の八つ当たりだった。余計なことをしやがってという類の。


 そんなユートの心境など絶対に知る由もない金色狼は、命令した覚えはないという言葉にしょんぼりと耳と尾を垂れさせる。その姿は狼というよりもやはり犬のようだ。


『ごめんなさい……ボク、間違えちゃった? でも、ご主人さまの願いを叶えるのに最適な選択をしたはずなんだけど……』

「どういう意味だ?」

『ボクはご主人さまの魔力を対価にして存在してるから。ご主人さまが望んだことしかできないよ』

「……なら、この状況は俺が望んだことだと?」

『うん! 本当は『帰りたい』を叶えてあげたかったの……でも、それはボクの力じゃ無理だったから、ボクが叶えられる範囲で一番ご主人さまの願いに近いことをしたよ!』

「それなら、俺は死にたいと願ったはずだが」

『確かにご主人さまは『安らかに死にたい』って願った。だからボクはこの世界でご主人さまが一番安らげる可能性が高いところに連れてきたんだよ! ご主人さまの残りの魔力、全部使って』

「……」


 ユートはそこで押し黙る。確かにあのまま死んでいたら安らいで死んだとはとても言えない状況だった。それは認めよう。しかし、だからと言って人の願望を拡大解釈しすぎなのではないかと、目の前の駄犬に理不尽な不満を抱いてしまう。

 だが今更なにを言っても仕方がない。ユートは腹に溜まった感情を吐き出すようにして大きく息を吐くと、気持ちを切り替えて再び駄犬に問う。


「つまりこの場所が俺にとっての安息の地って認識なわけだな」

『そのはずなんだけど……違った?』

「……どうだろうな」


 おそらく間違ってはいないだろう。しかしそれを声に出して認められるほど、ユートは心の整理がまだついていない。ただ、


「少なくともあのまま死ぬよりは遥かにマシではあるだろうな」


 そのことだけは確かだった。すると駄犬は途端に嬉しそうに尾をぶんぶんと振り始める。


『良かった! ボクもここ好きだよ! 特にルルからはすごくいい匂いがするの!』

「……匂いってなんだ」

『匂いは匂いだよ? ルルの匂いはあったかいんだ! ご主人さまは感じないの?』


 逆に問い返されて言葉に詰まる。

 なんとなくこの駄犬の言わんとすることが分かってしまったので。

 しかし肯定するのも癪なのでユートは別の方向に話を転換させる。


「そういえばお前、勝手に猪とか鹿とかアイツにやってるだろ」

『え、ダメだった!? 喜んでくれるかと思ったんだけど……』


 実際、ルルは喜んでいた。連日贈られたことには若干引いていたが、猪も鹿も二人の食卓を豊かにしてくれたのは確かである。しかしこの駄犬はそれを伝えるとまた遠慮なく獲物を狩っては届けに来るだろう。それはユートの望むところではない。


「……今後は必要なら俺がやる。その代わりお前は気づかれないようにアイツを監視してろ」

『ルルを監視? どうして?』


 キョトンと首を傾げる駄犬にユートは鋭い視線を向ける。


「俺はまだ完全にアイツを信用したわけじゃない。万が一にでも怪しい動きをしたらすぐに知らせろ」


 ユートがルルを疑っているうちは、彼女から一方的に裏切られることは絶対にない。

 一種の処世術のようなものだ。弱い自分を守るための。

 あんな思いは一度で十分――否、次を経験したら今度は確実に心が壊れてしまうだろう。

 だから先手を打つ。たとえそれが卑怯なことだと分かっていても。


『うーん……わかった』

「なんだ、不満か?」

『別にそういうわけじゃないけどぉ……』


 明らかに不服さを滲ませながら耳をぺしょりとさせる駄犬。その姿を睥睨しながら、ユートはさもどうでも良さそうな声音でこう付け加えた。


「……もしアイツが何か危ないことに巻き込まれた場合もすぐに知らせろ。なんなら俺の魔力を使って介入するのも許可する」


 アイツには借りがあるからな、とユートは必要のない言い訳をしながら駄犬に命じる。

 すると駄犬は一転してひどく嬉しそうな顔をしながら『はーい!』と元気よく返事をした。


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