プロローグ
2024年最初の連載、よろしくお願いいたします!
「あのさ、ルル」
「うん?」
「先に言っとくけど、ルルが死んだら世界を滅ぼして俺も死ぬから」
そう口にしながら穏やかに笑う青年の瞳は、どこまでも黒く、しかし透き通っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
早朝のことである。
十六歳になったばかりの少女ルルは、謎の遠吠えで強制的に起床することとなった。
アオーン、という少し悲しげな動物の鳴き声に寝ぼけ眼をこすりながら首を傾げる。ルルが一人で住むこの森の奥の一軒家は周囲を獣除けの結界で覆っているため、野生動物は滅多に近寄ってこない。にもかかわらず声はすぐ近くから聞こえた気がしたのだ。
なんだか胸騒ぎがして、ルルはベッドから降りると手早く身支度を済ませる。そして外套を羽織り外の様子を確かめようと玄関扉へ手をかけた。
しかし何故か扉は開ききらず中途半端な位置で止まる。不思議に思って視線を足元に下げた瞬間、
「ひぇ!?」
ルルは小さく悲鳴を上げた。
視界に飛び込んできたのは――仰向けに倒れているまだ年若い男性。
服装からして冒険者のようで、どうやら彼の身体に玄関扉が突っかかったらしい。あまりのことにしばし固まっていたルルだが、ハッと我に返ると急いで半開きの玄関から外に出た。そして横たわる青年の傍らにしゃがみ込む。
「だ、だだだ大丈夫ですかー!? というか生きてますかー!?!?」
大声で話しかけながら青年の口元に手を当てると、微かに呼吸しているのが分かった。死体ではなかったことに心底ホッとする。
「って、こうしちゃいられない! 早く手当てしないと!!」
ルルは倒れたまま意識のない青年をひとまず自室に運び込もうと、彼の腕を自分の肩に回しながら必死に持ち上げようとする。と、ちょうどその時、不意に強い視線を感じてルルは咄嗟に周囲へと目線を走らせた。
「あっ」
目が合ったのは、黄金の毛並みを持つ立派な体格の美しい狼だった。
狼は十数メートルほど離れた場所からルルと青年をジッと見据えている。普通なら大型の肉食獣を前に恐怖で身が竦むところだが、この時に限っては何故かそんな心持ちにならなかった。本当になんとなくだが、狼はこちらを襲ってこないだろうという妙な確信があったのだ。そして、朝に聞いた遠吠えの主がこの狼であろうことも容易に想像がついた。
よくよく観察すれば狼はルルではなく青年のほうを熱心に見ているような気がする。もしかしたら青年が飼い慣らした狼なのかもしれない。
ルルは青年を渾身の力で引っ張り上げながら、微動だにしない狼へ向けて一方的に声を上げた。
「この人のことは任せて! 悪いようにはしないから!!」
言葉が通じるはずもない狼は当然ながら何も返さない。だけどその瞳がわずかに揺れたような気がして。ルルは狼のためにも青年を助けなければと思い、自然と気合いが入った。
それからルルは青年を自室のベッドに寝かせ、てきぱきと外套を脱がせた。幸いにも目立った外傷はなく高熱に魘されている感じでもない。ただただ青白い顔で深い眠りに就いている様子から、
「やっぱり魔力切れだよね、これ」
そう当たりをつけた。
魔力切れは文字通り、自身の魔力を使いすぎたことで起こる昏睡状態を指す。症状が軽ければ眠ることで魔力が自然回復し、やがて自発的に目が覚めるはずだ。
だが青年の症状は明らかに重症の部類だった。魔力の自然回復を待っている間に体力の方が限界を迎える可能性も十分にありえる。
先ほど狼に(一方的ではあるが)約束してしまった手前、このまま安易に放置するのは気が引ける。結果、ルルは家の最奥にある部屋から魔力補給用の飲み薬を持ってきた。
しかしいざ飲ませようとしても相手は意識がないため全く上手くいかない。
非常に困った挙句――ええいこれは人命救助だ!とルルは腹を決めた。
グイっと薬液を口に含んだルルは勢いに任せて青年の唇に自分のそれを隙間なく重ねる。
この際、ファーストキスだとかそういうことは頭の隅へと追いやることにした。今はただただ、目の前の青年を救うことだけを考えるべきだ。
幸いにも青年は吐き出すことなく薬を嚥下した。すると目に見えて顔色が良くなり呼吸も穏やかになっていく。それでルルもようやく安堵の息がつけた。
それからしばしの間、気の抜けたルルはベッドで泥のように眠る青年をぼんやりと眺めた。
この地方では珍しい黒髪を持つその青年は長い前髪で大半が隠れているものの、改めて見分すれば、かなり整った顔立ちをしている。
年はおそらくルルよりも上で二十歳くらい。身長もルルに比べて二十センチは高く、服の上からでも鍛えられているのがハッキリと分かる。やはり冒険者と思われるが、それにしては手荷物をほとんど持っていないのが引っかかった。どこかに落としてきたのだろうか。
(嫌な感じはしないし、犯罪者ではないと思いたいけど……訳ありかなぁ?)
ルルが住むこの森は国の最南端にあり隣国との国境にもそこそこ近いが、魔獣の生息区域から外れているため冒険者の狩場としてはほとんど旨みがない。
大陸中を恐怖に陥れた魔王も亡き今、冒険者の主な仕事は交易関連の護衛や魔獣の討伐のはず。
それならこの青年は何が目的でこの森を訪れ、そして行き倒れていたのか――
「まぁ、目が覚めたら聞けばいっか!」
ルルはそこで思考を切り上げ、朝食の準備に取り掛かることにした。
朝から予想外の重労働にお腹もすっかりペコペコだ。
(どうせならスープを多めに作っておこうかな? それともミルク粥のほうがいいかな?)
食糧庫の中の材料を思い返しながら、ルルは家の中をちょこまかと動き回る。
この家に自分以外の存在があるのは実に二年半ぶりだ。だからだろうか。ルルはどこか浮足立っていた。
まるで停滞していた時が再び動き出すような感覚に胸がソワソワしてしまう。
「早く起きないかなぁ」
せっかく縁あって助けたのだから、どうせなら仲良くなれるといいなぁ――ルルはそんな子供みたいなことを考えながら竈に火を入れると、手際よく食事の支度を始めたのだった。