第77話 思い出せば
シャーペンを持ち、動かしていた右手を止めた。
「ふぅ」
俺は机の上に開いていた問題集を閉じる。
スマホを見れば午後五時過ぎ。母さんと父さんもそろそろ仕事が終わる時間くらいか。
「どう、終わった?」
目の前に座る篠森が尋ねてきて、俺は頷きで返す。
「ああ」
篠森の方は元々残っていたのが俺よりも少なかったからか、先に終わっていた。
「悪いな、待たせて」
これでお互いに夏休みの課題は終わり。俺は問題集と筆箱を鞄の中に仕舞う。
「じゃあ」
篠森がリュックを手に取り。
「帰ろっか」
椅子から腰を上げた。
俺も立ち上がって図書館から出ようと歩き出す。
隣を歩く篠森に話しかける。
「……宿題、終わったな」
「うん」
と小さく声が聞こえる。
俺はそのまま話し続ける。
「明後日、ゲーム見にいくだろ?」
次に篠森と会うのは明後日の日曜日だ。
「買うかどうかはまだだけど」
それは見てから決めてもいいだろう。
安い訳ではなく、特に何かを買いたいと決めているわけでもないのだから。
予定の確認を終えると篠森との会話が途切れてしまう。
「…………」
数秒の沈黙。
「……あー」
もう直ぐ、夏休みも半分に差し掛かる。
今日で宿題は全て終わり、明後日にゲームを見に行く。夏祭りまで、後はどうするかだが。
「なあ」
俺は夏休み前に話していた事を思い出した。
「篠森」
篠森に尋ねてみる事にした。
ゲームを見に行くと言う話もあったが、その前に。
「ゲーム、しに来ないのか?」
ゲームをしに来ると言う話もあった筈だ。
俺が寂しがるとか言っていたが、今のところ家に来ると言う気配がない。
「あ」
声の感じからして、今、思い出したのか。
俺は「忘れてたのか」と失笑して言ってやれば、篠森も「ごめん」と軽く笑う。
「色々あったし、仕方ないな」
元々はその予定だったが、ゲームを見に行くと言われて俺も忘れかけていたから。
それは今日見た篠森の笑顔の中でも特に晴れやかな物の様に見えて、俺はホッとして息を吐いた。
「まあ、ほら」
夏休みの間の予定は空いていると言うのは何回目か。
「いつでも良いからな? 空いてるから」
篠森は「じゃあ」と考える様な顔を見せてから。
「月曜日に早速お邪魔しようかな」
ゲームを見に行った翌日に、と言う事か。
「月曜日、な」
まあ、それも良いだろう。ゲームを見に行く日曜日は、俺の親が居るから家に来るのを避けるのも分かる。
「待ってる」
それとも迎えに行ったほうが良いか、と冗談のつもりで聞けば、篠森は少しだけ間を空けてから「大丈夫だって」と言う。
「ごめんね」
それは、何への謝罪なのか。
謝られる様な覚えはなく、疑問が湧いてくる。
「ん……?」
俺がどう言う事かと、篠森を見つめる。
「ほら……甲斐谷、寂しがり屋なのに」
俺は小さく吹き出してしまった。
しっかりと覚えているらしい。俺が寂しがり屋だと言った事を。認めた事を。
篠森の言葉は、少しの揶揄い混じりだったと思う。
「別に、そこまで退屈はしてなかったからな」
夏休み中は。
今日も、今日までも。
「うん」
海に行き、勉強会があってだとか。倉世と過ごす夏休みに劣らない程に。方向性こそ違えども、充実している。
「そうだね」
なんとなく心が晴れた様な気分で外に出る。図書館に来た一〇時よりも人通りが増えた様に見える。五時を過ぎたからか仕事帰りや部活帰りであろう制服姿も確認できる。
「それも金谷さんのお陰かな」
金谷先輩が色々と誘ってくれたからと言うのは大きいのだと思う。
「ああ、かもな」
思い返せば。
俺は、先輩に色々な面で助けられている。
俺も篠森も退屈を感じなかったのは、先輩のお陰と言うのには納得だ。
「うん……」
篠森が思い出しながらか口に出す。
「ほら、海に行ったの」
そして、どうしてか言葉に詰まった。
「ぁ……ぇ、と……楽しかったし」
篠森の声が少し細くなって、顔を下に向けて呟く。
俺は海で見た篠森の水着姿をぼんやりと思い出す。ラッシュガードの下にあった、白い水着。
「なあ、篠森」
確か、ヒラヒラとしていたような。
「何?」
「あの水着、もう着ないのか?」
篠森が困惑した様な。吐き出す言葉に迷っているのか、狼狽える。
「え……ぁ……」
篠森が「甲斐谷は……着てほしい、の?」と聞いてくる。彼女の顔は仄かに赤らんでいる様に見える。
「一回だけっての、勿体無いと思ったんだよ」
それに、と俺は付け加え。
「似合ってたからな」
「……ぅあ」
篠森はふいと俺から顔を背けてしまった。
顔は合わせないまま歩き、赤い信号機に立ち止まる。
「甲斐谷」
信号を見つめて、変わるのを待っていて。
「ぇ、と……ありがと」
篠森の声が俺の耳に届いた。
小さな声。俺にギリギリ聞こえる程度の声量だ。俺は横に立つ篠森に目をやる。
ただ篠森は、俺の方に顔を向けない。
「あ、信号」
言われて顔を上げる。信号が青になっているのが俺の目に映った。
「変わったよ」
俺達は人の動きの流れに従う様に足を前へと踏み出して、横断歩道を渡る。
「……篠森」
俺が呼び掛ければ、ビクリと小さく肩を震わせてから「な、何?」と反応する。
「ああ……と」
何の為に声を掛けたか。
特に、何かを聞こうと思った訳ではなかった。ただ何かあるか、と俺は絞り出す。
「日曜日、何時に何処に集合する?」
俺が聞けば篠森は一〇時に現地で、と。
暫くは目が合わないままの会話を続けながら帰路につく。




