第76話 Reason
玄関の扉を開き、外に出ようとする。
母さんも父さんも既に仕事に向かった後、学校に通うよりも遅い時間。
「…………」
俺が扉を開いて左足を一歩踏み出す。俺の上半身が外に出る。
倉世の家の扉が開く。制服を着た倉世が出てくるのが見えた。半分ほど外に出かけていた身体を家の中に引っ込めて、扉を閉めた。
「別に話しかけても、な」
扉が完全に閉まった音がしてから、ドアノブを掴んでいた右手を離す。
篠森に話しかけたとして、現状の何かが変わる訳でも、何かを得られる訳でもないだろう。
共通の趣味のゲームの話だって出来なかったのだから。そんな俺が倉世と何を話すと言うんだ。
嫌われている俺が話しかけた所で、良い事はないだろう。
「…………」
それに、だ。
別に、目の前にある倉世との会話に縋らなくとも問題はない筈だ。
「ちょっと、待つか」
長く息を吐いて、玄関の壁に寄りかかる。
スマホを見て篠森とのチャットを開く。今日の一〇時から図書館で勉強をすると言う約束だ。
画面の右上に小さく表示される時刻を見る。
「九時半か」
五分待てば、流石に大丈夫だろう。
「そういや……ちゃんと持ったよな」
俺は忘れ物がないかと鞄の中身を確かめる。夏休みの課題はしっかりと入ってある。筆箱も、ある。
財布も、入ってる。
「大丈夫だな」
鞄のチャックを閉めて、右肩に掛け直す。
「……そろそろ良いだろ」
俺は小さく扉を開いて外を見る。近くに倉世の姿は見当たらない。溜息を零して、外に出てから扉の鍵を閉めて、図書館に向かう道を歩き始める。
「よし」
日差しに照らされる中を歩き始める。
「行くか」
全てを元通りにする。
その為に金谷先輩の作戦を形にする。
「……はあ」
そんな事を歩きながら考える。
そして、俺はやはり一つの壁にぶち当たる。ここ最近はこの壁に悩まされるのが、いつも通りになりつつある。
この暑さのせいで頭を回す事が出来ていないから、と言う理由だけではない。
そもそもで冷房を効かせた部屋でも答えが出てきていないんだ。
「本当に」
まだ、余裕はある。
だが、確かに時間は迫ってくる。
「……どうするんだよ、俺」
頼るのなら早い方が良い。それは分かっているんだ、俺も。
「────甲斐谷」
考え事をして歩いていれば、いつの間にか図書館の近くに着いていた。既に図書館前にいたらしい篠森が俺を見つけて駆け寄って来る。
「ああ、篠森」
「おはよ」
俺はポケットからスマホを取り出して画面を見た。
時刻はまだ一〇時前。
「ん、おはよ。悪い、待たせたか?」
篠森は集合時間よりも早く着いている。
今日も変わらなかった。そして今回は俺はギリギリに着いたもので、いつもより待たせたのではないかと心配になる。
それもこんな天気が良い中で。
「ううん、大丈夫」
篠森の額から汗が垂れるのが見えた。
「早いとこ図書館入るか」
図書館内なら冷房は効いていて涼しいだろう。
俺が図書館の入り口を一瞥してから、篠森に言う。
「うん、そうだね」
俺と篠森は図書館に入る。外よりも当然、涼しい。
「なあ、篠森」
廊下を歩きながら、小さい声で名前を呼ぶ。
「うん?」
「今日中に宿題終わらせたいな」
俺も手を付けている。だから、今日の間にでも終わる範囲内かもしれない。無理な話ではない。
「…………」
篠森は数秒黙り込んで。
ようやく「そうだね」と薄く笑いながら口にした。
「甲斐谷、何が残ってるの?」
俺は残っている課題を言葉にしていく。
英語と漢文、世界史、化学。
英語と世界史は半分程、化学も少しではあるが手を付けた。だから、何から何まで丸々残ってる訳ではない。
「じゃあ、今日で終わりそうだね」
篠森の方はどうかと聞けば、どうにもほとんど終わっているようで、俺よりも残りが少ない。
「…………」
俺達は図書館で空いてる机を見つけ、腰を下ろす。
「取り敢えず、始めよっか」
篠森は机に課題を出して、筆箱を開き早速と取り掛かる。俺も同じように準備をして勉強を始める。
会話は特にない。
ただ、シャーペンが文字を記していく。その音だけが響いて。
時折に篠森を見るが、彼女が集中しているのが見えて、俺も何かを話しかけるのも憚られて視線を手元に戻す。
「……ああ……と」
所々で詰まりながらも、俺は世界史の課題を終えて鞄の中に仕舞う。次に英語の課題に着手する。
時刻は一一時を過ぎていた。
午前の間に英語は全て終わりそうにないが、出来る限りは進めよう。
「ふぅ」
集中し直して、俺は一目では意味を理解できない異国の言語を読み込む。課題は単語を覚えると言う物と、長文読解が何問か。
「ねえ、甲斐谷」
三分の二程進んだ辺りで篠森が声をかけてきた。
「ん?」
次の長文に取り掛かろうと言う所で、だ。俺は篠森の方に顔を向ければ篠森がスマホの画面を見せてきた。
「もう、お昼だよ」
俺はシャーペンを机の上に置く。
「ご飯にしよ」
篠森の机の周りは片付いていて、俺が「あれ、終わったのか?」と自然と尋ねれば「あとちょっとだけ。残りは午後かな」と篠森は答える。
「甲斐谷、宿題……終わりそう?」
「多分、な」
今日には終わるだろう。残りの課題の量を考えれば。
篠森は「そっか」と。
「じゃあ、勉強会」
今日で終わりだね。
囁くような声で言う。
「そう、だな」
篠森の表情は相変わらずに笑みを湛えている。
「ありがとな、篠森」
俺が感謝を伝えると、篠森は大丈夫だと言うように。
「ううん……ほら、午後も頑張ろ」
リュックを背負って立ち上がる。




