第72話 補講帰りの先輩
俺は文字で空欄が埋まった問題集を見て、息を漏らす。
「ふぅ……」
何というか、やりきったという感覚がある。スマホを取り出して時間を確認すれば四時を過ぎているのが分かり、まだ勉強を続けるのだろうか、と午前と同じ様に正面に座った篠森に視線を向ける。
「…………」
暫くして篠森の手が止まり、顔が上がり俺の方に向いた。そのまま数秒、篠森が首を小さく傾げる。
「甲斐谷?」
どうして見ているのかと疑問に思ったんだろう。彼女の問いに、俺は「いや……まだ続けるか?」とシャーペンを右手に握ったままに聞こうと思っていた事を口にした。
「今日はこの辺で終わりかな」
篠森が問題集を閉じて片付けを始める。
「ん、了解」
俺は篠森に倣うように机に転がっている消しゴムを拾う。空いた左手で鞄の中にある筆箱を取り出し、その中に手に持ったままのシャーペンと一緒に仕舞い込む。
「甲斐谷はどこまで終わった?」
俺は今日の勉強会で終わった物を思い出す。
「数学と現代文、後、生物基礎だな」
生物基礎の課題の量は国語と数学に比べ、特に多くはなかった為に思った以上に早く終わった。俺がそっちはどうだと聞くと「私も同じくらい」と答えが返ってくる。
「……また今日みたいにやるか?」
やるか、などと聞いたが俺がやりたいと言う話なのだ。
篠森は小さく口元に笑みを浮かべて「うん」と首を縦に振る。
「じゃあ、よろしくな」
ゲームを見に行くという予定もあるが、それは別として考えたほうが良いだろうか。その辺りも含めて篠森の返答を待つことにしよう。
「大丈夫な日があったら教えてくれ」
俺は特に予定はないから。
「うん。ありがと」
後は篠森の予定にもよるだろう。次の勉強会も、ゲームを見に行くという予定も。俺は篠森が荷物をまとめ終えたのを確認して、椅子から立ち上がり図書館を並んで出る。
「あれ、二人とも」
図書館から出て直ぐに聞き慣れた声が響いて、俺たちは振り返る。少し疲れた様な顔をした制服姿の金谷先輩が立っている。
「あ、金谷さん」
篠森が「お疲れ様です」と挨拶をしたのを見て、俺も「こんにちは、金谷先輩」と短く告げる。
「あれ、先輩はどうして制服で?」
制服と言うことは学校の用事であることは想像がつくが、具体的な内容はよく分からない。生徒会の仕事だろうか。
「補講だよ、補講〜。あ〜、疲れた」
長く息を吐いて、肩をガックリと落とす。
「それで二人はどうしたの? 遊び帰り?」
先輩が俺たちを交互に見て、聞いてくる。
「まあ、そんなとこです」
俺がそう答えると「あ〜、若いって良いね」と、どこか寂しさを感じさせる様な顔で呟いた。
「先輩も一年しか年齢変わらないでしょ」
「この一年はデカいんだよ」
先輩はヘロヘロと覚束無い足取りで俺の方に寄ってきて、俺の肩を掴んでくる。
「あ〜、優希くん。わたしは疲れたよ……」
そこから先輩が愚痴を漏らし始めた。
折角の夏休みだというのに、だとか。
補講のせいで自分のペースでの受験勉強ができない、だとか。
課題の量も多いのに学校での拘束時間が多い、だとか。
話を聞くに中々、苦労しているらしく俺と篠森は愛想笑いを浮かべて相槌を打つ他なかった。
「明日も、明後日も補講だよ。もう嫌だ〜! ヤダヤダヤダ〜!! 自由をくれ〜!」
そんな情けなく、幼児退行したような言動の後に、「優希くん、楓ちゃん!」と俺たちの名前を呼ぶ。
「今からバッティングセンター行こう!」
唐突な話に俺は思わず隣にいる篠森を見る。篠森も俺の方を見つめていた。俺と篠森は顔を見合わせ頬を緩めて、金谷先輩を見る。
「……分かりました」
俺が頷きを返す。
「楓ちゃんは?」
俺の答えを聞いた後で、金谷先輩は篠森の方に顔を向けた。
「あ、私も行きます」
よし来た、と先輩が笑みを浮かべて「じゃあ行くぞー!」と少し元気を取り戻した様子で前を歩き始めた。
「あ、そんなに時間は取らないから安心してね」
先輩は振り返って言う。
「ほら、わたしだって受験生だし? まあ、明日も明後日も補講あるし……補講……あるし」
先輩が現実を思い出して溜息を吐いたのを見て俺の口からふと笑いが溢れた。
「あの、流石に土日は休みなんですよね?」
篠森が先輩に質問する。
受験生と言えど土曜日、日曜日にまで補講が及んでしまっていては余りにもと言うものだろう。
「そうだね」
先輩は「取り敢えず、あと二日か……」と嫌そうな顔をした。
「ま、この二日を乗り越えればってね……来週もあるんだけどさ」
どうにも受験生に休みはないのだと。
「はは、来週も、ね……」
これが俺たちが来年通る道なのかと思うと、少しばかり恐ろしく思えてくる。
「一先ず……! 今日はホームラン狙うぞ〜!」
先輩に野球の経験はあるのかと尋ねた所、甲子園の試合は偶に見るとのこと。
「金谷先輩」
俺はそれを聞いて不安に思った。
本当に大丈夫なのだろうか、と。
「うん?」
「怪我だけは気をつけてくださいよ?」
一応の注意をしておいた。
調子に乗って怪我をしては目も当てられないから。




