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第70話 始まりの感覚

「ただいま」

 

 家に着いたのは八時二〇分くらいだ。

 食事に行っていたであろう父さんと母さんも流石に帰ってきていた。階段を上り、部屋に明かりが点いているのが確認できた。

 

「お。おかえり」

 

 俺が階段を上る音が聞こえたのか、明かりのついた部屋から母さんが出てきて俺を見て言う。

 

「ご飯食べてきた?」

 

 念の為の確認か、尋ねてくる。

 

「ちゃんと食べてきた」

 

 言われた通りに。


「そ」


 俺はお土産を鞄から取り出す。


「母さん」

「ん?」


 帰る前に洋菓子屋で買った焼き菓子のセット。マドレーヌやフィナンシェ、クッキーが入っているらしい。

 

「はい、これお土産」

 

 母さんに手渡す。

 

「おっ……お土産ね。ありがとね。もしかして水族館の時のこと気にしてた?」

「別に」

「あっ、そう」

 

 母さんが受け取ったのを確認して俺は自分の部屋に行こうとする。

 

「ああ、優希」

 

 母さんに呼び止められる。

 

「どうしたの?」

 

 俺が振り返れば、母さんは「今日、楽しかった?」と出かけた時にいつも聞かれている気がする事を、今回も変わらずに。

 

「楽しかったよ」

 

 具体的に答える事はしなかったが、母さんは笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、良かった」

 

 それで母さんの話は終わりかと思ったが、まだあったらしい。

 

「優希、お風呂入れるからね」

「あ……お風呂入ってきたから」

 

 俺がそう答える。

 

「そう。あ、下行くならお風呂の保温消しといてくれる?」

 

 母さんはそう言って部屋の中に戻ってしまう。父さんはまだ起きているんだろうか。流石に九時前だから起きてると思う。

 俺は自室に入って鞄を置き、直ぐに部屋を出て階段を降りる。

 

「…………」

 

 喉が渇いていた。

 母さんに頼まれた保温を止めてからリビングに入り、棚からコップを持ってきて、冷蔵庫を漁る。飲み物を見つけ、コップに注ぎ一気に飲み干す。

 

「ふぅ」

 

 リビングの電気を消そうとして、階段を降りてくる音が響く。


「優希、おかえり」

「ん……ただいま、父さん」


 父さんはそれだけ言ってトイレに向かった。俺はリビングの電気を消して階段を上る。

 部屋に入ってようやく、ベッドに倒れ込む。リモコンで部屋の電気を消す。もう真っ暗だ。

 

「…………ああ」

 

 篠森と帰っていた時に。コンビニに寄った時に。夜空を見上げた時に沸いた疑問が脳内で膨れ上がるも、眠気が思考を塗りつぶす。

 考えるにも働かない。

 靄がかかる様な。

 瞼が重たい。

 

「明日……だ」

 

 今日はもう無理だ。

 俺は抵抗もできずに眠りに身体を委ねた。

 糸の切れた人形の様に。

 俺の今日が終わる。

 

「んぁ……っ?」

 

 朝、耳元で通知音が鳴り響いた。

 俺はのそのそと起き上がりスマホを見る。時刻は七時半を過ぎたあたり。下の方から音が聞こえる。父さんと母さんも仕事に向かう時間だ。

 

「…………」

 

 目覚めたばかりの晴れない頭で通知音が鳴った理由を確かめる。

 

「ああ、学園祭」

 

 クラスのグループから来週にでも一度、準備のために集まろうとの連絡が学園祭実行委員の生徒から来ていた。

 

「くぁああ……っ、ふぅ」

 

 大きく伸びをして、俺はベッドから起き上がり階段を降りる。

 スーツ姿の母さんが靴を履いている最中だった。

 

「あ、優希。お母さん、もう行くからね? 出かける時はちゃんと戸締りよろしくね?」

 

 靴を履き終えた母さんが家を出るのを見送って、俺は行ってらっしゃいと告げる。リビングに向かう。父さんはもう居ない。

 俺は冷蔵庫を開き、飲み物を取り出してテーブルに置く。

 

「よいしょ、と」

 

 コップを棚から取り出し、椅子に座る。

 俺が昨日寝る前に使ったコップを母さんは洗ってくれていたらしい。

 

「んぐっ……んっ、ん」

 

 喉を潤す。

 頭が少しクリアになる。

 

「はあ……」

 

 テレビをつければ学校のある朝と同様、いつも通りにニュース番組が流れる。火曜日のニュースだと。平日なのに家にいる。

 何となく謹慎期間を思い出す感じがする。

 

「夏休みだしな」

 

 土日、祝日が重なって夏休みという感覚が薄かったが、こうして父さんも母さんも仕事に出て一人になったこの状況は、夏休みというものを強く感じさせる。

 

「今日はどうしたもんか」

 

 特に予定はない。

 何をして過ごそうか。どうにも外に行く気力も湧かない。明日は篠森と宿題をするのは決まっている。

 学園祭準備は来週。

 それまでに俺に出来る事は特にない。

 

「ああ、いや」

 

 そうだ、昨日の疑問を。

 

「…………」

 

 考えようとしても、方法が思いつかない。手段がない。俺に取れる手が浮かんでこない。何があるのかも分からない。

 

「無理、か」

 

 疑問を解消出来そうにない。

 ヒントがない。この問題は俺自身で解決する必要があるものの、取っ掛かりが見当たらない。


「……金谷先輩と篠森が」


 手伝ってくれるというのに。

 俺がこの問題をどうにかしなければ。場所が整っていたとしても意味がなくなってしまう。折角の協力を無意味な物としてしまう。


「駄目だな」


 だが、無理矢理に答えは出せない。

 

「はあ」


 自身に呆れて、思わず溜息が漏れる。

 俺はテレビを消して立ち上がり、リビングの電気を消して部屋に戻る。


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