第53話 食い込み直し
「はあ……っ」
壁に右手を触れて水面から顔を出して大きく息を吸い込む。プールから上がる。
太陽の光が雲に遮られる事なく、青い空に輝いている。
快晴と言うやつだ。
絶好のプール日和と思える。
笛の音が響いた。
「二五メートル、全員測りましたか?」
プール授業は一先ずの終わりを迎えて、後は自由にとの事。準備体操、ウォーミングアップ、計測。残った時間が多いわけでもない。俺はプールサイドに座り込んだ。
「……寒い」
これは逆効果かもしれないが、水の中に居るよりも、日に当たっていたいという欲求に逆らえない。俺以外にも何人かの男子は同じ様にしている。
プールサイドに居るのは、あとは恰好がバラバラの女子が幾らか。その中には倉世もいる。わざわざと理由を探るつもりもない。
「…………」
後はプールで泳いでいる者がほとんどだ。俺は今日はもうプールに入りたいとも思えない。鳥肌の立つのを感じながら、時間が過ぎるのを待っていた。
俺の耳が近くの話し声を拾い上げる。
「なあなあ……佐藤って」
彼らの視線はプールで泳いでいた女子に向けられている。俺はプールサイドで立ち上がる。
「何か……いいよな」
生唾を飲む音が聞こえた様な気がした。
プール授業という事で女子の水着を見て興奮しているのか。
「ほら、高橋だって」
彼らは語らずに視線を向けていた。
「だったら、篠森なんかも……」
女子の水着を見て、プールサイドに座って集まる男子がコソコソと話しているのが聞こえる。篠森という言葉に俺はプール内を探す。
「はあ」
彼らの息を吐くのが聞こえた。
俺のいる方とは反対側に近いコースで篠森の姿を見つけた。
「……成る程」
納得だ。
篠森は少なからず男子からの人気があるのだ。顔は整っている。女子達は学校指定の水着を身につけているからかボディラインが分かってしまう。
篠森だって同じに。
それは確かに十分過ぎるほどに女としての魅力を男子に感じさせる。
「授業そろそろ終わりですよー、みなさん上がってくださーい」
先生の言葉にプール内にいた男子も女子もワラワラとプールサイドに出る。座り込んでいた彼らも立ち上がる。
「やっとか……」
授業の終了が近づき、全員がプール脇に並ぶ。プールに残っている者がいないか確認し、先生は男子更衣室と女子更衣室の間、前方中央に立つ。
「では」
篠森が右手を後ろに回している。
目があって、篠森は直ぐに顔を逸らした。
「お疲れ様でした」
先生の言葉に続けて、俺たちは「ありがとうございました」と授業の礼をする。
「ちゃんとシャワー浴びてくださいね」
先生に言われて全員がシャワールームに進む。出しっぱなしにされたシャワーを浴びてタオルで水気を拭き取り全員がダラダラと着替え始める。
何かを話しながら、制服に着替えてポツポツと更衣室を出て行く。俺も着替え終えて更衣室を出る。俺が出たのは最後だった。先生がプールサイドで生徒が出て行くのを見送っているらしい。
プールサイドにはもう誰もいない。
「ん……甲斐谷」
生徒玄関近くで篠森が話しかけてくる。
「……えっと、寒かった?」
「まあ」
いくら晴れているからと言っても、寒いと思うものは寒い。
「だよね。寒そうにしてたし」
俺がプールサイドで座り込んでいたのを見ていたのか、笑いながら言われる。
「なあ、篠森」
俺は呼びかけて、彼女が首を傾げたのを見て続けた。
「次の授業って何だったっけか」
次の授業で寝てしまうかも、だとか。
聞いてるだけだから、だとか。
そんな話をしながら教室に向かって歩いて行く。階段を上る。
「あ」
クラスの表示が見えて、篠森は俺の方を向いた。
「もう教室に着くから」
教室前まであと少し。他のクラスは授業中。廊下には今は俺と篠森以外に居ない。
教室に入ってしまえば、倉世がいる前では。
「また、後で」
「ああ」
俺たちは関われないから。
話せないから。
朝と同じように別々に教室に入った。篠森は直ぐに倉世の所に向かって声を掛けに行く。何を話しているのかは聞こえない。分からない。俺は水着の入った袋をロッカーに一先ず入れておく。
窓が空いている。
「…………」
午前、まだ次の授業はあると言うのにプール授業の疲弊感と、プールを上がってからの心地よい空気が眠気を誘う。
入り込む風すらも丁度いい。
俺は欠伸をしながら授業の準備をする。
「席についてください。授業始めます」
担当の教師が入ってきても、心なしかクラスの動きも反応も鈍い。
「前回は────」
先生はそれを注意することもなく、一方的な説明をして黒板にチョークを走らせる。
一人、また一人と授業から脱落して行くのが見える。
「…………」
俺は欠伸を噛み殺して、ノートを取ろうとシャーペンの頭をノックする。瞬間親指の腹に痛みが走って、シャーペンを床に落としてしまう。
「痛って……」
ぼんやりしていたらしい。
少しだけ目が覚めて、授業に耳と意識を傾ける。話し続ける声は、異国の言葉のように思えてくる。
今は英語の授業ではないと言うのに。




