第52話 前進を
俺は玄関の扉を開き学校に向かう為に外に出る。倉世と出くわす。
目が合った。
倉世は直ぐに俺から顔を逸らした。
「…………」
声を掛けなくとも良い。
そう思える余裕があった。今まではそうしなければと突き動かされていたが、行動の指針が決まった。
だから問題ない。
「はぁ……」
空を見上げて息を吐く。
「ふう」
正面に視線を戻す。
視線の先には相変わらず倉世が居て、三谷光正が現れる。彼は俺の姿に気づいて笑みを浮かべ小さく手を振ってくる。俺は会釈を返す。倉世は三谷光正の視線を追いかけ、未だ俺が背後を歩いてる事を理解して、この場を離れようと三谷光正の腕を引いて行く。
「…………はは」
俺は立ち止まって笑う。
口元から自然と漏れ出ていた。
「今はそれでも良い」
アンタのその余裕も全部崩してやる。倉世の記憶の事も吐かせて、最後は元通りに。だから、それまでに起こり得る事を俺は出来る限り受け入れる。
倉世が全てを思い出して、元に戻るなら、耐えてやる。
「よし」
俺はいつもより少し重たい鞄を背負い直して歩き始める。俺から二人の姿はもう見えない。二人だけで何をしているのかも、今は然程気にならない。
「ヤッホー、優希くん!」
いつもの図書館に近付くと金谷先輩と篠森が立っている。
「会長と智世ちゃん、もう行っちゃったよ?」
俺が追いかけていると思ったのだろう。それも仕方がない。倉世の記憶が無くなってからというもの、そんなことばかりしていたのだから。
「分かってますって」
俺が小さく息を吐いて答える。
「大丈夫なの?」
俺は彼女たちを追いかける気はない。
「まあ、先輩のお陰で」
俺が答えると先輩も納得した様に頷く。
俺の反応に困惑するのは先輩ではない。
「え、倉世の事、良いの……?」
何も説明されていない篠森は狼狽える。
あの日は、次に直接会った時に話そうと思っていたからまだ話せていなかった。
「あれ? 優希くん、話してないの?」
俺は篠森に事情を説明する必要がある。篠森は金谷先輩の作戦において重要な役割をたお願いするつもりだった。
「すみません。ちょっと今から説明するので」
俺は「ほら、とりあえず行きましょう」と告げて歩き始める。篠森に説明をしようとして考え込む。
「…………」
さて、何と始めれば良いか。
金谷先輩が考えた案だけを話してもどうだろうか。経緯から。
「篠森……まず、倉世の記憶の事なんだが」
俺は先輩を見遣る。
先輩の前で倉世の記憶がどうだという話をした覚えはないが、分かっているはずだ。金谷先輩に動揺は見られない。
問題ない。
「原因か、それに近しいだけか……」
その辺りは定かではない。
だが、付き合っていると言うのも、彼だけを覚えていると言う点も怪しすぎる。
「とにかく、三谷先輩が何か知ってる筈だって……篠森には言ってたよな」
俺の確認に「うん」と答える。
「それで、俺は三谷先輩と二人だけで話したかった」
倉世が居ない、他に遮られる事のない場所と機会を望んでいた。
「……で、わたしは学園祭ならそのシチュエーションを作りやすいって話したの」
俺は金谷先輩の案を採用しようと思った。
「先輩は生徒会だからある程度、人の行動を確認できる」
先輩は俺の言葉に「でも、智世ちゃんを会長から引き離すのは厳しいかな」と付け足す。
だから。
「篠森、俺は倉世の記憶を取り戻したい」
「…………うん」
だから。
「……力を貸してくれ」
頭を下げる。
また、俺は篠森を頼る。迷惑をかける。そんなのは分かっている。
「…………」
ふと、不安が過ぎった。
これで断られたら。などと考えてしまった。沈黙が随分と長く感じられる。
俺の感覚は何倍も今の静かさを引き延ばし、ようやく篠森の小さな声が耳に届いた。
「……うん」
俺と金谷先輩は顔を見合わせる。
「本当か……?」
俺が確認の為に篠森を見て尋ねると「私も、倉世の事……そうだから」と答えて目を伏せた。
「──ありがとう」
本当に頼ってばかりで、情けない。
そんな情けない俺を、篠森はまだ見捨てないでくれている。だから、俺も応えなければならないだろう。
「篠森」
俺の言葉に次いで、先輩は篠森の手を取って告げた。
「……ありがとうね、楓ちゃん」
今までは篠森さんだった筈だ。
「……呼び方、変えたんですね」
俺が聞けば金谷先輩はキョトンとした顔をした後で笑ってみせた。
「まあ、楓ちゃんも名前分かったからね」
そういえば互いに名前を言ってなかったのだった。俺の事も直ぐに名前で呼んできた金谷先輩は篠森の名前を知れば、そうするのは納得できた。
「優希くんも他の人の事、下の名前で呼んでみたら?」
「いや、まあ……」
自分が誰かを下の名前で呼ぶと言うのがイメージできない。
「ぐっと距離縮まるよ?」
先輩はサムズアップして言った。
「無理にとは言わないけど」
名前の呼び方ひとつ。
小さい事の様で、俺にとっては大きいものだ。
俺はずっと、智世と呼ぶ事が出来なかった。
「……そうですね」
タイミングを測り損なった。踏み出す勇気もなかったか。
「考えてみます」
記憶が戻ったなら、そうやって呼んでみようか。
「じゃ、また後でね〜」
学校に着き、先輩が去っていくのを見送って、俺と篠森は教室に向かい、別々に入る。




