第48話 普段通りの帰り道
「明日は体育の授業でプール掃除があるから」
水着は要らないが、着替えは持ってくる様にとの連絡がホームルームの最中、体育教師から伝えられる。
連絡を終え、体育教師は教室から出て行き、隣の教室に同じ事を告げに向かう。
「プール掃除、か……」
プール授業が始まると言うこともあり、生徒でのプール掃除が行われる。これは去年と同様だ。プールは存外……いや普通に汚い。去年の事を思い出す。
「はあ」
確か、足元が滑った覚えがある。
思い出そうとしたが、具体的な光景が出てこない。何となく、汚いと言うのと、不快な感触があったことを覚えている。
あとは。
「…………」
……なんだったか。
ホームルームが終わり、皆んなが帰り始める。俺も鞄を持って帰りの準備をする。篠森が俺の席に近づく。
「帰ろ?」
俺はスマホを確認する。
先輩から連絡は来ていない。
「そう、だな……」
俺の目は倉世を追いかける。
「…………」
倉世が教室を出て行ったのを目で追いきれなくなって、俺は篠森に顔を向けた。
「帰るか」
授業中の事を思い出すと、一層気不味く思う。とは言え、俺は止めるつもりもない。三谷光正を潰すつもりで今を生きているのだから。彼を敵だと俺は思っているのだから。
廊下に出ると、篠森が階段を降りて行くのが見えた。俺たちも階段を降り、靴を履き替え校門を出る。
三谷光正と一緒に帰る、倉世の姿を見つけた。
「そう言えば……プール掃除、あったね」
篠森が俺の方を見ていた。
「去年もあったけど、忘れてたな」
連絡があって思い出した。
などと、いつも通りに話していく、学校の帰り道。
「今年は転ばない……?」
そう言えば、と。
俺は去年の事を思い出す。俺は去年のプール掃除で盛大に転んで、尻餅を付いたのだ。倉世には思い切り笑われた記憶がある。
「……忘れろ」
俺としても恥ずかしい話だ。
「アレ、面白かったよ?」
俺はお笑い芸人ではない。他人を笑わせたくて生きているのではない。
でも。
身近な誰かが笑っていられると言うのは、良いのかもしれない。
「…………そうかよ」
俺は篠森から顔を逸らして呟く。
「でも着替え、大変だったんじゃない?」
篠森が首を傾げながら聞いてくる。
「確かに。パンツまで濡れたからな」
とは言え、流石に水の中に落ちたわけではないのだから少し不快だと言う範囲だ。
「そうなんだ」
彼女は笑った。
そうやって他愛のない話をして、暫く。
「ねえ、甲斐谷……」
と、わざわざと俺の名前を呼び、切り出す。
「今日は、アレ……何だったの……?」
俺が篠森の方を見ると神妙な面持ちをし、俺を見つめている。
「何だ、その顔」
俺は笑ってしまった。
頰を抓った時とは違う。あの時は深く踏み込まなかったからか。だが、今回は俺の心の内側に入ってくると考えて慎重さを取り繕ったか。
「だって……」
まあ、何だっていいのだ。
「倉世に問い詰め過ぎただけだ」
どうして、と。
何故、と。
聞き過ぎた。結果的にあんな事になった。
「倉世、さ……」
篠森が授業中の倉世の事を思い出しながら。
「好きな人、って言ってた……よね」
篠森は遠慮しがちに吐き出していく。
「言ってたな」
三谷光正の事を、倉世はそう言った。
キスをするぐらいだ。恋人なのだ。何もおかしな事ではない。何も。別に、普通な事で。当たり前の事で。
「っと」
俺たちは遮断機で立ち止まる。
「…………」
分かりきっていた事。
俺にはもう明らかになっていた事。
「大丈夫だって」
そんなのは良く分かっていた筈だ。
俺を好きではない事も、三谷光正を好きである事も。ただ、今回は彼女の言葉で俺がどうして嫌われているのかが明らかになっただけ。
そこまでの痛みはない。心配される程の痛みではない。
「ねえ、甲斐谷……」
篠森の少しだけ潤んでいる様に見える目が俺を見ていた。
「甲斐谷は、まだ倉世の事────」
篠森の声が電車の通り過ぎて行く音に掻き消えた。
目の前にいるはずの篠森の声が聞こえない。
「…………」
篠森の方を向いて、彼女も恐らく俺に聞こえていないと察しただろう。
「篠森?」
俺の呼びかけはもう一度と頼む為に。
それでも彼女は言わない。
「ごめん。何でもない……から」
篠森は首裏を押さえて目を逸らす。
「…………」
篠森のその癖は、自信がなさそうな時によく表れる。今回も、またそうなのだろうか。
「あ」
遮断機が上がる。
倉世と三谷光正の姿を見失った。
「…………」
「…………」
俺たちは互いに無言で歩き出す。
チラリと篠森を見て、彼女が何かを話し出す雰囲気ではないことを知って、俺も考えた。
さっきのは何だったのかと問いただす気にはなれなかった。
「あー……なあ、篠森」
声を掛けたは良いものの何を話そうか。
「あ、え……と、か……甲斐谷、お勧めのゲームとか、ある?」
篠森も俺と同じで、少しだけ話しづらさを感じているんだろう。
さっきの事は忘れてしまえばいい。
「ゲーム……それなら────」
ぎこちなさを感じながらも普段に戻って行く。
「そのゲーム、面白そうだね」
と、篠森は笑った。
それがどこか、無理をしている様に見えたのは錯覚だったろうか。




