第45話 日常の一欠片
甲斐谷、帰ろ。
と、今日は来なかった。
いつもであれば俺に声を掛けてくる。この前の様に倉世と帰るとなった場合は仕方ないが、どうにも今日はなかった。放課後、教室には俺だけが残る。
倉世を追いかけようかと迷い、散々と考えて篠森を待つ事にした。
リュックは置いて行った様で、机の上に乗っている。一体、どんな用事だと言うのか。今日は金谷先輩の息抜きに付き合わされる事もない。
「何してんだ、篠森」
別に何から何までを把握したい訳ではない。いつもと違う篠森の行動を不思議に思った。
「はあ……」
篠森は帰りに誘ってくれる。俺の頼みも聞いてくれている。
だから、もう少しだけ。
「もう少し、待つか」
結局の所、何と言った所で俺が篠森と帰りたいだけなのだと思う。
普段、篠森に付き合わせているから、俺も彼女の予定が終わるまで待とう。別に、篠森は待って欲しいとも言ってないと言うのに。
「…………」
ぼうっと青い空を眺める。雲が流れていくのを見つめて時間を潰そうにも、退屈で。椅子の背もたれに体重を預け天井を見上げた。
「よっ……と」
する事がなく、俺はなんとはなしに立ち上がり窓際に近づく。玄関からチラホラと帰っていく姿が見える。部活に参加していないのか、今日が休みなのか。今はホームルームが終わり、少し経った為か帰っていく姿は少ない。
「ふう」
窓を開けた。
風が僅かに入り込んでくる。
「あんま涼しくないな」
開けてないよりはマシくらいだ。
窓を開けた特等席。窓辺に肘をかけて外を眺める。
「どうしたもんかな」
別に誰かが帰っていくのを眺めた所で意味がない。倉世も三谷光正もこの中には居ないのだろうから。俺は身体の向きを変え、背中で寄りかかる。
すると、扉が開く。
「あ、れ……甲斐谷?」
態勢を変えたタイミング。
丁度良く、か。
篠森が教室に戻ってきた。俺を見て驚いた様な顔をしてる。
「ん」
俺は窓から背を離す。
「篠森」
いつも、篠森が言う事を今回は俺が言う。
「一緒に帰ろうぜ」
篠森は笑って、頷いた。
「うん、帰ろ」
俺は窓を閉めて、自分の席に置いた鞄を持ち、篠森がリュックを持った事を確認して教室を出る。
「なあ、何してたんだ?」
扉を閉めながら、俺が聞くと篠森は「ちょっと、呼び出されちゃって……」と篠森が困った様に答える。
「先生に、か?」
「気になる……?」
気にはなる。
「…………」
ただ、何となく聞かなくとも分かるような気がした。
先生に呼ばれたのなら、こんな風な言い方はしないと思う。
「いや……別に」
「そっか」
俺が話さなくてもいいと言う様に返せば、篠森は小さく笑った。篠森の浮かべた笑みの中に、俺は嬉しさや楽しさの感情は見出せなかった。
「……なあ」
俺にとって篠森は友人だ。
この関係性は篠森が他人とどうなっても壊れる筈がない。その筈だ。例え、篠森に彼氏が出来たとしても。
「篠森」
だと言うのに、一瞬、倉世の事が思い浮かんで、恐ろしくなった。俺の足は階段を降りている途中で止まっている。
「……何?」
篠森が俺より少し進んだ先で振り返った。
「それって……」
別に良いと言った筈だ。
なのに、俺は安堵を求めて疑問を口にした。
「告白、だったのか」
倉世の様に、俺を忘れてしまったなら。
記憶が無くならないにしても、恋人と遊ぶ事で、俺が篠森の中から消えて行ってしまうのだとしたら。
そう考えると、胸がざわつく。
「……うん」
分かっていた事の答え合わせ。
当然の様に、俺の質問には頷きが返ってくる。
「そうか」
篠森は俺の友人というだけではない。ただ、分かっていた気になっていただけなのかもしれない。篠森が誰かの恋人になって、俺なんかを忘れていくのも当たり前の可能性だ。
「……断ったけど」
篠森の言葉に俺の不安が解消した。
まだ、俺を覚えていてくれるのだと。こうして一緒に帰れるのだと。
「……何だ」
何とも最低な喜び方をしている。
誰かが振られた事で、俺はまだ篠森と友人で居られるのだと思った。
「そうか」
断ったのか。
俺はふう、と息を吐き出して、この最低な感情が表面に出るのを極力抑える様に努める。
「うん」
篠森の返事にまたホッとする。
「悪い。変なこと聞いた」
彼女は告白を断ったのだから、俺はまだこうしていても良いんだろう。
「帰ろうか」
俺は篠森の隣に立って言う。
篠森とまた歩き出す。
「篠森って、よく告白されるのか?」
俺が聞けば、篠森は少しだけ考える様な表情を見せてから答えた。
「そんなにされないけど、偶に……かな」
記憶を思い返したのだろうか。
「ねえ、甲斐谷」
玄関で靴を履き替えると、篠森が呼びかけてくる。
「何で待っててくれたの……?」
何で、か。
そんなのは決まっている。一緒に帰りたかった、俺にとってはもう篠森と話しながら帰るのは日常の一部だ。
俺には、この友人との時間が必要なのだ。
「ああ」
そんな俺を言い表すのに、相応しい言葉があった。
「寂しがり屋なんだよ、俺」
たった一言、そう答えれば篠森はクスクスと笑って「そうだった」と呟いた。




