第40話 帰りの眠気
自動ドアが開いた。
「雨、降ってるね」
水族館を回り、俺たちが外に出ると少し強めの雨が降っている。空は薄暗く、夕方とは思えないほどに暗い。篠森が伸ばした手が濡れる。
「俺、傘持ってきてないな」
天気予報を見ていなかった。
雨が降るとは思わなかった。ここに着いて何となく予感はしていたが、家を出た時は特に考えていなかった。
「私、傘持ってる」
篠森は持ってきていた肩掛けの黒いカバンから一つ、折り畳み傘を取り出した。
「……二つあるのか?」
俺の質問に篠森が少し間を置いて首を横に振った。今あるのは彼女が右手に持っている一つだけだ。
「あ……これだけ」
どうせ駅までだ。少し濡れるくらいなら問題ない。
「ね、入る?」
またもや首裏を押さえながら篠森は言って、俺は「そうだな」と少し考える様な素振りを見せてから、誘ってくれてるのだからと。
「入れてくれ」
甘える事にした。
「うん」
開いた黒い傘は少し小さめで、俺は少しだけでも篠森が濡れない様にする。この傘の本来の持ち主は篠森で、俺はそこにお邪魔させて貰ってるのだから。
「甲斐谷、もうちょっと入ったら?」
「良いのか?」
「……う、うん」
俺の左肩が濡れてるのが見えたのか。
「んじゃ、ちょっと狭くなるけど」
俺はあくまで篠森が濡れない事を前提にして自分の身体を傘の下に入れる。
「……ち、かい」
肩が触れ合う程の距離。
近いと言うのは俺も感じてる。
「仕方ないだろ、こうなるのは」
「で、も……思った、より……」
俺も入るとなったらこうなってしまう。
篠森が逃れようと少し俺から距離を取ろうとするもので、俺は左手に傘を持ち替えて、右腕を伸ばし篠森の右肩を掴む。
「おい、濡れるぞ?」
「…………」
篠森は顔を背けてしまった。
「お前の傘だろ。お前に濡れられる方が気にする」
少し近いのは仕方ない。
俺は篠森の肩から手を離す。
「……ぅん」
小さな頷きが聞こえて、篠森はしっかりと傘の中に収まる。俺は僅かに左肩を濡らしながら歩く。最初に比べれば濡れる範囲は少なくて済んでる。
「篠森」
少し歩いて、話しかける、
「うん?」
「楽しかったな、やっぱり」
俺が言うと、篠森も笑う。
「そうだね」
「……今度からはちゃんと天気予報見るか」
傘を持ってきてないせいで、篠森の傘に入れて貰ってるのだ。気を遣わせる事にもなっている気がする。
「別に……」
この距離だと言うのに、篠森の声は聞こえなかった。雨の音がうるさいからではない。篠森の声が最後まで俺の耳には届かなかったのだ。
「…………?」
何と言ったのかが少しだけ気になった。ただ、問い詰める必要はないとも思った。
駅まで着いても雨は降りっぱなしだ。そんなに直ぐに止むような物でもない。
「五分後か……」
電車が来るまでをホームの待合室で座って待つ。篠森と隣同士に座って、他愛もない話をして。
「イルカショーの時さ。甲斐谷、笑ってたよね」
今日のことを振り返る。
「水飛沫が結構飛んできたから、驚いたんだよ」
そんな風に話して、電車が来た。
「篠森、電車来たぞ」
待合室を出て、電車内に入る。ここに来るまでの電車と比べて混んでない。俺たちも座る事が出来そうだ。
篠森と俺は詰めて座る。
「……篠森?」
何駅かを通過して俺は右肩に少しばかりの重みを感じて呼びかける。
「朝、早かったのか?」
篠森が何時に駅前に着いてたかは分からないが、すっかりと眠ってしまった篠森を起こすのは憚られて、俺は肩を貸す事にする。
いつも頼ってばかりだ。
少しくらい、こう言うのも悪くない。
「……んん」
降りる時に起こそう。
一時間半、話相手は特に居ない。
「…………はっ」
篠森の顔を見て、俺の口元から小さく笑い声が溢れた。
「ふぁあああ……こっちまで眠くなってくる」
欠伸が出るほどに、眠気を誘われる位に。篠森は気持ちよさそうに寝ている。静かな寝息を立てながら。
「ちゃんと起きてないとな」
俺まで寝てしまって、乗り過ごしたら最悪だ。する事のなさに困り果て、俺はスマホの電源を入れる。特に何かをするわけでもなく、適当に時間を潰す。
「ん、そろそろか」
表示される時間を見て、次に電車内に表示される停車駅に目を移してから、ポケットにスマホをしまい込む。
「──おい起きろ。篠森、起きろ」
篠森の肩を激しくなりすぎないように揺さぶる。
「んぅ……かい、たに?」
寝起きで寝惚けているのか。呂律も回ってない。舌ったらずに俺を呼ぶ。
「もう着くぞ」
下車駅に。
車内アナウンスが響く。俺は篠森の手首を引いて立ち上がらせて電車を降りる。
「あ……甲斐谷」
重たげな瞼が開く。
意識がハッキリして来たんだろう。
「どうした?」
「え……と、私、寝てた?」
いつの間に寝てしまったのか、篠森には覚えがないらしい。そんな物だろうと思って、俺は軽く笑って答える。
「まあ、気持ちよさそうに」
篠森は目を伏せた。
「か、帰ろ……!」
足早にホームの階段を駆け上っていった。俺はそれを追いかける。
「早いって」
階段を上り切った所で篠森は待っていた。顔は逸らしたまま。




