第20話 空気を読むという、そんな逃げ
学校に着いて教室の扉を開いても、昨日の様に視線を集める事はなかった。謹慎明け初日以降に注目される事はないらしい。
動物園や水族館で一度見た動物を繰り返し見たいと言う気持ちが特に湧かないのと同じだ。イルカショーみたいに気持ちを刺激する訳でもないし、俺にパンダの様な愛らしさなんてない。
「…………」
席について周囲の状況を見る。
生徒は疎で、全員が教室内にいる訳ではない。廊下に出ていたり、ホールで話し込んでいる者もいた。
吸い寄せられる様に倉世の席を見て、彼女が居ないことを確認できると、俺は教室全体を見回す。それでも俺の視界に倉世の姿が映らない。教室には居ないのだ。
ならホールか廊下に……。
「……っ」
篠森と目があって、さっと目を逸らされる。俺も篠森から目を逸らす。昨日の今日で気まずい。あんな風な態度を取っておきながら、今までと同様に何もなかった様に振る舞うと言うのは恥知らずにも程があるだろう。
どうしたらいいんだろうか。
そう思っていると教室の扉が開かれて先生が入ってくる。
「おい、お前ら席に着け。ホームルームだ」
先生の言葉に立っていた生徒全員がダラダラと席に移動し始めて、遅れて教室に何人かが入ってきて座る。その中には倉世もいて、俺には目もくれない。そりゃそうだ。
俺は他人で、どうだって良い。
こんな小さな事で、と思いながらも、前だったら……なんて考える。
「はい、全員揃ったな。じゃ、おはよう。別に話す事は特に……あ、そうだ。もう直ぐ一回目の定期考査がある」
先生は思い出した様に言う。
「ちゃんと対策して臨む様に。赤点取ったら補修だから」
先生は考え込む様に「後は……」と教卓に両手を付き、一瞬目を閉じて、また話し出す。
「最近、この辺りで不審者が出てる。帰り道に気をつける様に。知らない人にはついて行かない」
事務処理の様に連絡を終えて、話は終わったようだ。
「以上。これで朝のホームルーム終わり」
先生が告げる。
先生が教室を出ると、またガヤガヤと教室が騒がしくなる。少し周囲の声に耳を傾けると「不審者って……」だとか、「まあ、見たことねぇよな」だとか。
そんなのが耳に入ってくる。不審者などと言う実感の湧かない存在は高校生には笑い話として処理されるだけだ。
後はもう定期考査が迫っていると言う事を意識するくらいだ。
俺は教室から出て、トイレに向かう。
それは別に便意だとかではなく。
「……はあ」
少しだけ、教室から離れたかった。
クラスメイトに申し訳ないと言うのもまだあった。迷惑をかけたのを覚えてる。そんな理由も考えてみれば出せる。ただ、結局、教室の中で倉世と篠森が視界に映り込んでくるのから逃げたかったんだ。
授業が始まれば意識せずとも良い。ノートと黒板だけを視線が行き来する。そうではない休み時間が辛い。
「…………」
ジャバジャバと勢いよく蛇口から噴き出る水に両手を差し込む。手を擦る訳でもなく、ただ水に両手を充てがうだけ。二十秒くらい、そんな事をして手を引く。
両手に付いた水気を払ってから、流れ出る水を止めた。
「はあ」
一限目は何だったか。
まだ濡れている手を制服のズボンに拭う。
「戻るか」
ホームルームから一限の間なんて直ぐだ。授業も直ぐに始まる。扉を開いて教室に戻れば立ち歩いてたり、壁に寄りかかっていたり、出された課題に手をつけていたり。
過ごし方は様々だ。
俺は席について時計の針を見つめる。後数分もすれば授業が始まる。ノートと教科書を机に出して待つ。
「……やってんのな、篠森」
篠森が倉世に話しかけているのが見えた。倉世は困った様な顔をしながら、篠森と話をしている。見ている感じからすると、話題が合っていないのに誤魔化しているって感じだ。それを篠森も理解してる。
「…………」
友達に戻れればいい。
俺があそこに入っていく事はない。今のままで、どうにかできるわけではない。空気を読んでる。そんな自分に優しい言い方をしているが、所詮は逃げてるだけだ。
「良いだろ」
でも、別に倉世からも、篠森からも逃げる事は構わないだろう。逃げなかったからと言って嫌われた事実を簡単には覆せないだろうし、なによりも記憶喪失の原因を倉世に聞き出すのは不可能だ。
だから、倉世から逃げても良い。
逃げても問題はない。
「別に」
俺が原因を探すと言って、何とかしなければならないのはたった一人だ。倉世の事は一先ず置いておいていい。
「…………」
ああ、やっぱり。
重たく息が出るほどに気分が悪い。胸糞の悪い映画を見た様な、そんな気分。
どんよりとしている。心に靄がかかったまま、一限を知らせるチャイムがなりワタワタと全員が席に戻る。
俺は篠森と倉世から目を外す。見ていたことがバレていないといい。
「じゃあ授業始めますよ、日直の人」
教室に入ってきた担当教師がそう言うと、全員が立ち上がり、日直の男子の「お願いします」と言う声に倣って挨拶をする。
いつも通りに授業が始まり、黒板にチョークで文字が書き込まれていく。俺はそれを目で追いかけて、手元のノートに書き写す。




