第121話 役割の重要性
「倉世も帰ったし……」
私達も帰ろっか、と水戸部が言う。
黒板の上の時計を見上げる。時刻はまだ五時前。
「これは俺が片付けとく。水戸部はもう帰っていいぞ」
水戸部は一瞬、目を丸くして「良いの?」と確認してくる。
「ああ」
「そう? 本当に?」
「本当に」
やり取りの後に、水戸部は帰りの準備を始める。
「じゃ、よろしくね、甲斐谷くん」
また明日、と水戸部は教室を出て行った。
教室には俺と篠森だけになる。俺は机の上に広がる倉世が絵を描いた紙を片付けようとして、数秒ほど見つめる。
「…………」
俺の記憶にあるよりも少し絵が上手くなってる様な。そう言えば、昔はよく一緒に絵を描いて遊んでたな。
「甲斐谷も何か描いてく?」
篠森の提案に「いや、俺は良い」と断る。水戸部に人並み程度と言った手前だ。ここに描きたいとも思えない。
「篠森こそ、何か描いていくか?」
寧ろ、そう言う篠森はどうなんだろうかと聞き返す。篠森はフルフルと首を横に振り、一言だけ。
「……遠慮しとく」
描こうとしないのなら片付けよう。
元々、初めからそのつもりであったのだ。
「そうか」
俺は紙を空き教室に戻す為に纏める。
最中、篠森がリュックを背負ったのを見て、俺も紙を抱え鞄を取りに行く。空き教室に紙を戻したなら、そのまま帰ろう。今回は特に先生への報告も必要ないはずだ。
「これで、よし……と」
紙を射的台近くの床に置く。
それから俺は周囲を見回す。
空き教室に置かれた荷物に変化はない。俺たちのクラスの場所から紙がなくなっていただけだ。
他のクラスもこの教室に学園祭に使うであろう物を置いているが、さっきから変わった様子はない。
「なあ、篠森」
片付けを終え、空き教室の扉を閉める。帰るために階段を下りながら俺は篠森に話しかける。
「うん……?」
篠森は小さく首を傾げる。
さっきまて倉世が教室に残っていた事から一つ、気になった事を篠森に尋ねる。
「倉世の事、学園祭二日目誘ったか?」
この間に金谷先輩とケーキ屋で決めた作戦の決行日の事を尋ねる。篠森はまだ誘っていないのか、首を横に振る。
「ごめん」
別に謝る必要はないと言うのに。
「まだ。切り出すタイミングなくて……」
普通に会話をしていて、違和感なく誘うと言うのは中々厳しいのだろう。
「もうちょっと掛かるかも」
急げ、などとは言わない。
「そうか……いや、篠森のタイミングで倉世を誘ってくれて良いんだ」
と言うのは、俺も作戦については出来る限り慎重に動く事が好ましいだろうと思っているからだ。倉世に疑われるのも、悟られるのも不味い。
学園祭が差し迫れば、誰と回るかと言う話は自然と出来るだろう。
だから、機会を待って。
「焦らずやろう」
俺にとっては大きな話だ。
何よりも大きな話。
もしかすれば高校受験などよりも大きな。だからこそ、勢い任せだけではならないのだと。
「……うん」
倉世の記憶が懸かっている。
そこに関わる人間の人生もかかっている。俺だけじゃない。
「…………」
失敗してしまえば、金谷先輩の考えてくれたチャンスを失ってしまう事になる。こんなチャンスはもう二度と得難い。
生徒会役員としての先輩の協力を得られるのも、今回の学園祭だけだろうから。
「大丈夫?」
そんな事を考え、靴を履き替えようと外履きを手に取ったまま立ち尽くしていれば、篠森が心配そうに覗き込んでくる。
俺は「大丈夫だ」と強がりを吐く。
「大丈夫なんだよ」
篠森にだけでなく、自分にも言い聞かせる様に二度同じ言葉を吐き出す。
「……そう」
篠森の目は不安そうに揺れて伏せられる。
俺と篠森は靴を履き替え、外に出る。
「先輩の作戦も……」
俺の一手も。
三谷光正を追い詰めるに足る物だろう。
だから、問題はないのだ。
問題なく作戦を遂行し、チェックメイトをかけ、三谷光正から倉世の記憶の手がかりを引き摺り出す。
それが、俺が考えられる中での最善だ。
ただ。
もしかしたのなら。
他の奴ならもっと上手くやれるのかもしれない。だが、俺に思い浮かんだのはこれだった。
「私も、頑張るから……って言っても、金谷さんと甲斐谷に比べたら微々たる物だろうけど」
学校の外に出た所で、そう言いながら篠森が眉を八の字にする。
「そんな事はない」
俺は首を横に振る。
「先輩も、篠森も……必要なんだよ」
それで言ってしまえば、俺はお膳立てをされただけに過ぎない。
「俺なんかよりも」
よっぽど重要な役割だ。
篠森の役割が小さい筈がない。
「え……と」
篠森が困った様な顔をしているのを見て「……悪い。その、必要だって言っても……あんまり気負わなくていいからな」と伝える。
「倉世と学園祭を楽しむってくらいで良いんだ」
三谷光正から遠ざけるという事は意識しても、そこまで固く考える必要はないのだと。
「……分かった」
俺は篠森の顔を見るが、実際はどう捉えたかは分からない。
「……悪い」
謝罪がつい口から漏れる。
「大丈夫だから」
俺の謝罪に対し、篠森は気にするなと言う様に答える。
「ありがとな、篠森」
俺は感謝を一言、告げた。




