では、俺が貴様のブラジャーを奪おうと恨むまいな。俺もまた、貧乳の身なのだ。
言ってません。
「い、委員長!?」
「なにをしてらっしゃるの!?」
体操服を脱ぎ捨てたアホ子は、そのまま、白いレースで彩られたミントグリーンのブラジャーにまで手をかける。
こちらを睨みつけながら後ろのホックに手を回すアホ子は、明らかに下着まで脱ぐつもりだ。
「ちょっ、阿保さん!?」
真希が止めるよりも早く、留金が外れる。
地面に捨てられた体操服の上に、シルクの光沢を放つ高級そうな布が舞い落ちた。
そしてーー。
なだらかな白い平原と、薄い桜色の突起が二つ、露わになる。
「フーッ、フーッ」
獣のような荒い呼吸を繰り返すアホ子。
目は充血して潤み、興奮か、羞恥か、それとも屈辱か、全身が真っ赤に染まり切っていて。
こちらを睨みつけながら、腕に血管が浮き出るほど強く、拳を握り締めている。
ーーま、まじかよ。こいつ。
「あれで盛ってたのかよ......」
なんて、なんて無駄な努力。
どこまで可哀想なやつなんだ、こいつは。
「勝負よ、瀬涯桃。胸のない方が男。さあーーあなたも脱ぎなさい」
いや、そんな、一世一代の決闘みたいな雰囲気で言われましても。
「お、落ち着けよ。アホ子。持ち点0のお前が勝負を挑んでも、良くて引き分け。勝つことは絶対にない。そんなの非生産的だぞ」
「うるさい黙れ! やるって言ったらやるの!」
駄目だ。全く聞く耳を持たない。
それどころか、俺の体操着の裾を掴んで、無い身長で必死に背伸びをしながら上に持ち上げようとしている。
「ほら! さっさと脱ぎなさい!」
「や、やめろお前! 離せ!」
「ーーハッ!? も、桃。みちゃだめ!」
慌てて間に入ってこようとする真希の言葉に、委員長の目が見開かれる。
「どうして!? 女同士なら問題ないはずよね!?」
「うっ......ちがーー」
この馬鹿!
「なら邪魔しないで。邪魔をしたら、瀬涯桃は男だとみなすから」
「なにを勝手にーーくそっ! 離せよ、お前!」
駄目だ。力負けする。
体格は同じくらいのはずなのに、これが火事場の馬鹿力ってやつか!? こんな所で発揮してるんじゃねぇぞ!
体操着の上は捲られ、その下に着ているシャツも、既に臍のだいぶ上まで素肌が見えている状態だ。セーラー服は着ていても、もちろん女物の下着なんてしていないし、脱がされたら流石がにバレるか?
貧乳って言って誤魔化すのはーー嫌! 絶対に嫌だ! そんな惨めな真似、この俺のプライドが許さない!
「さあ、見せてもらうわよ!」
「おまっ、マジでふざけんな!」
くっーー万事休すか!?
ーーガラララッ、と。ドアが開いたのはそんな時だった。
どうすれば良いのかわからずにオロオロしている委員長グループのお嬢様たちに、役立たずの真希。なんとか脱がせようとしてくるアホ子と、必死に抵抗する俺。
そんなカオスな状態の教室に、第三者が登場する。
「みんなー、何かあったの? 先生が呼んでーーえ、何これ。え!? な、なんで二人は裸なの!?」
ーー俺は裸じゃない!
「小凪、良い所に! 手伝って!」
「え......な、なにを?」
「こいつを脱がして、白黒はっきりつけるのよ!」
「え、な? どういう意味? ていうかあーちゃん、前隠して! 前! 瀬涯さんも服を着て!」
真っ赤になりながら手で顔を覆うのは、今朝アホ子の手荷物検査を手伝っていた黒髪ロングーー白百合小凪。
可愛らしい動作だが......随分とウブな反応だ。同性同士にしては、少し過剰なリアクションのようにも思える。
「こっの......クソガキ! さっさと観念なさい!」
「誰がクソガキだ!」
「あんたよ、あんた! 瀬涯桃!」
「このっーー! 世界一可愛い桃様をクソガキ呼ばわりしたな! てめえ! このブス!」
「あら? 図星つかれて怒っちゃった? クソガキ! このクソガキ! 顔は可愛いけど、性格の悪さが表情に滲み出てんのよ!」
こいつ、絶対に許さん。絶許。
「わかった。じゃあ、こうしようぜ」
俺は渾身の力を込めてアホ子の細い両手首を掴むと、それをシャツの中ーー俺自身の胸に押し当てた。
「なっーー!?」
そして俺は、大きく手を開いて、アホみたいに大口開けて呆けてるアホ子の胸に手を当てる。
「実際に触って、どっちが大きいか比べようぜ。相手の方が大きいって認めた方が負けな」
「えっ? えっ? ーーえっ?」
「じゃあ、よーい。スタート」
「えっ? ひゃっ、ひゃぁぁあああぁん!?」
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「もう、私の負けでいいからぁ......もうやらぁ、もうやめてよお......ひっ、ひんっ!? や、やだ! もうやめて! そこっ、こねるの............やめてえぇぇええええ!!」
「よし、勝った」
はい楽勝。
所詮こんなもんですわ。
「『よし、勝った』じゃない!!」
「あいてっ!? な、なにすんだこの馬鹿!?」
「なにすんだは私の台詞!」
珍しく声を荒げて詰め寄ってくる真希。
周囲に目を向ければ、うずくまって耳を塞いでいる白百合小凪と、顔を真っ赤にしてこちらを控えめに窺うアホ子パーティーの仲間たちーーおい、なんだ。その危ないやつを見るかのような目は。
そして、アホ子の方はーー。
「負けたって......言ったのに......。何度も何度も。いったのにぃ。も、もうお嫁に行けない............」
ない胸で無謀な勝負を挑んで来た勢いはどこへやら。
完全に心が折れた様子でしゃくりあげていた。
顔中が汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。眼鏡の下からぐしぐしと目元を擦る姿は、アホ子の童顔幼稚体型と乱れた服装も相まって、なんというか、犯罪臭がすごい。
「......まずいぞ、真希。このままでは、謂れのない誹りを受けてしまうかもしれない」
「いや、謂れあるから。完全に桃の仕業だから。主審副審塁審全員アウト宣言でスリーアウトだから」
「まじで?」
「まじで」
......うん。
真希のいうことは兎も角、いくらアホ子とはいえ、あの状態で放置するのは問題があるかもしれないな。
「ほ、ほら。アホ子、立てよ」
「ーーひいっ!? もうやだぁ! もうやだのぉ! こねこねしたり、ぐりぐりしたりするのもうやだぁ!」
おい、やめろ。お前ら。
そんな犯罪者を見るような目で俺を見るな。
「はぁ......仕方ねぇなあ」
「や、やめて!」
「ほら、動くな」
俺は落ちていた布を掴むと、えぐえぐ泣いているアホ子の涙を丁寧に拭い、なるべく優しく顔全体を拭いてやった。
ゆっくり。ゆっくり。安心させるように、丁寧に。孤児院でチビ達の風呂上がりにしてやってる時のことを思い出しながら、身体全体で、包み込むように。
「よーし、よし」
最初は嫌々するように顔を左右に背けていたアホ子も、しばらくすれば、段々と呼吸がゆっくりになって、強張っていた肩からも力が抜けていく......まだ、少し、しゃくりあげているけど。
それでも、理解不能な快楽に恐怖してのたうち回っていた先程と比べたら、安心して身体を預けているように見える。
ふぐっ、ふんっーーと、不規則に呼吸する小ぶりな鼻を押さえて鼻水を拭き取り、布を折り畳んだ後、瞼に沿って顔の外側へ。柔らかなほっぺたは、拭う度にむにむにと形を変えた。こうしていると、なんだかちょっと猫みたいだ。
「背中も拭くぞ」
「......んっ」
抱き抱えるようにして、汗でベタベタしている背中に手を回す。
......てか今気づいたけど、この布、アホ子の体操着だわ。どうしよう。もうだいぶ湿ってるけど。まあいいか。
何回か折り畳んで、全身を優しく撫でていく。赤くなっている胸の辺りを通った時、体が緊張して固くなったことには、見ないフリをしておいた。
ーー最後にボサボサになった髪を手で梳かして、
「こんなもんか」
おさげが解けて肩甲骨あたりまでのストレートになっていたり、目元が赤くなっていたりはするけど......まあ、大体は元通りだ。
「ほら、これ着ろよ」
俺は、着ていた体操服を脱いだ後、それを無理やりアホ子に着せてやる。
「流石に、上裸ってわけにはいかないだろ」
「あ、うん......ありがと」
しおらしくしてたら、文学少女って感じで結構可愛いのな。まあ、俺ほどではないけど。
「ねえ、あんたーー」
と、そこで。アホ子の視線がじっと俺のシャツの胸辺りを見ていることに気がついた......そういえばこいつ、ブラしてない奴は男! みたいな感じのこと言ってたっけ?
あー、めんどいな。なんて言って誤魔化そう。
「あんたって、特待生......なんだっけ?」
「えっ? ああ、そうだけど」
なんだ?
それ今関係ある?
「その......実家って............」
「いや、俺親とかいないから、実家はないかな」
一瞬、隠そうか迷ったけど、素直に言ってしまう。
親同士の付き合いで人間関係や、時に生徒間のパワーバランスすら変わるこの学校で孤児なのは明確に俺のディスアドバンテージだけど......なんだか、アホ子はそういうこと気にしなそうだと思ったからだ。
「そう......なの」
俯いたアホ子が何を考えているのか、俺にはわからない。
だからーー。
「ごめんさないっ!」
アホ子がいきなり頭を下げて来た時、咄嗟に何の反応も取れなかった。
え? 何で俺、謝られてんの?
「私、金持ち自慢みたいなこと絶対にしたくないって思ってたのに、気づいたらしちゃってた。瀬外......さんも、ちょっと前の私みたいに、自分のサイズに合う、可愛いデザインのがないこと、気にしてたかもしれないのに」
ーーん?
「あなたが怒るのも、当然よね。私は、パパに頼んでお金で解決してもらったけど......全員が全員、その方法が取れるわけじゃない。私は、自分が恵まれていることを自覚せずに、瀬涯さんを傷つけちゃってた」
............よくわかんないけど、もしかして俺、ブラジャー買う金もないやつって思われてる?
「これあげるっ!」
しゃがみこんだアホ子が押し付けて来たのは、特徴的な形状をした、鮮やかな緑色の布。
桃 は アホ子のブラジャー を 手に入れた!
「今度、庶民の下着屋で、私たちのサイズでも合う可愛い下着、一緒に探しましょう? 大丈夫。二人で探せば、きっと良いものが見つかるわ。その......値段的にも」
......え? これ煽られてる?
俺、煽られてんの? これ。遠回しに金持ちマウント取られてたりする? お嬢様流の皮肉とか、そういう奴ですか?
「委員長、お優しい......」
「庶民の友人にもきちんと配慮できてらっしゃる」
「流石です......」
え、これ俺の心が貧しいだけ?
客観的には感動の友情シーンで、俺だけがついていけてないとか、そういうこと? にしてはお前ら、全員で俺のことめっちゃ貧乏人扱いするじゃん。
「じゃあ私、もう授業に行くわ......だいぶ遅れちゃってるけど。胸の大きさで男扱いしたことについても、本当にごめんなさい。もう二度としないわ。みんな、行こっ!」
「「「はいっ!」」」
「小凪、あなたも」
「......あ、うん」
最後までこちらを気にしていた白百合小凪が消えーー廊下から、アホ子グループがガヤガヤと体育館に向かう音が反響して、少しずつ小さくなっていく。
「そういえば、小凪もその......小さい方よね。下着とか、どこで買ってるの?」
「え、ボク? ーーじゃない。私? えっと、その、」
「そんなことより、急がなくていいんですの? もうとっくに、遅刻ですわよ」
「そうだった! みんな、走るわよ!」
タッタッと、廊下を曲がる音を最後に、消えた。
なんだったんだ、あいつらは。マジで。俺の体育の授業の成績を落としたいとか、そういう罠だったのか?
真希が振り返る。その顔は、私はわかってるんだからね? みたいな、妙に鼻につく表情だった。
「......ほら。桃はさ、物を大事にするタイプだから、ね? ーーひゃんっ!? だ、だから、なんでお尻叩くの!?」
「ムカついたからだよ!」
取り敢えず、少し首元が伸びているこのシャツは、買い替えることにしよう。