なら漏らせ
天童塚女学院は、元が由緒正しい家柄の子女たちに花嫁修行を施すための女子校だったため、防犯上の理由から、周りを木々に囲まれた奥地に立地している。
「なにここ......不便すぎる。駅から専用のバスで3時間ってなに? ふざけてるの?」
朝が弱い真希は、バスを降りた後もぶつぶつと文句を言っている。
入学式は9時から。シャトルバスは6時に出るため、俺たちは早朝5時起床である。バスの中でも寝ていたが、それではやはり足りないようだ。
「仕方ないだろ。まだ寮が開いてないんだから」
「普通、入学前には入れるようにしておくでしょう。ホテル代だってバカにならないのに......」
「だから、俺は野宿で良いって言っただろ。二部屋より一部屋の方が安いんだから」
「............別に、そういうつもりで言ったんじゃない」
寮が開くまでの間、他県から通う俺たちは専用バスが出る駅周辺にホテルをとって2人で泊まっている。
天は俺に美貌も才能も与えてくれたが、まるでその差し引きと言わんばかりに、俺には金がない。親もいない孤児の俺に長期のホテル代なんて出せるわけもなく、適当に野宿して凌ごうと思っていたのだが、真希の両親のご好意で真希と同じホテルの隣の部屋に泊まらせていただいている。
ちなみに、真希の両親の職業は医者で、真希の家はかなりの金持ちだ。そうでなければ、いくらスポ薦枠でいくらか学費が軽減されているとはいえ、全寮制の名門お嬢様学校に入れることなんてできなかっただろう。
ちなみに、特待生枠の俺は学費・寮費全額免除である。流石金持ち学院! 太っ腹!
「それにしても......本当に、女子しかいないんだね」
「まあ、そりゃあな。数年前まで女子校だったんだ。女子生徒の方が多いのは当然だろ............でも、ほら」
校舎に向かって歩く新入生の列の中には、絶え間なく続く列の隙間に、所々虫が食ったように空いているスペースがある。そんな空白の中心にはーー。
「あいつとか、多分男だろ?」
「うわっ、本当にいた」
世にも見苦しい、セーラー服姿の男。
あえてよく見ることはしないが、周りの女子たちも、不愉快そうに一定の距離を保ちつつ移動している。
「ちなみに、天女には更衣室とかないから、体育の着替えの時間とか普通に同じ教室だからな」
「はあ!?」
信じられない、とでも言いたげな顔をする真希。
「し、信じられない......」
言った。
「まあ、長くても一週間後には消えてるって。それまで適当に流しとけば良いんだよ」
「一週間でも嫌なんだけど」
そんなん、みんな嫌だろうな。
「あ、そうだ。言い忘れてた。一応、俺が男だってことは秘密な。バレたら面倒臭そうだし」
「............桃も、お嬢様の着替えが見たいの?」
「んなわけねえだろ。円滑な高校生活を送るためだよ」
ついでに、俺は将来総理大臣になる予定だから、ここらでお嬢様を通してコネを作っておきたい。まあ、そっちついでだ。上手くいったら、程度でいい。
「わかった。黙ってる」
「おう。さんきゅーな」
そんな話をしながら歩いて行くと、やがて、教会のような神聖さを感じさせる立派な建物に辿りついた。
一面を真っ白な煉瓦で覆われたこの建物が、これから入学式を行う予定の講堂らしい。
「......綺麗」
「だな」
流石は天女。
真っ赤なカーペットに沿って歩いて行くと、中は大きなコンサートホールのようになっていて、高級感溢れるえんじ色の座席が一階と二階に別れて配置されている。
俺と真希は1-1で同じクラスだったので、入学パンフレットの通り、左前方の適当な席に座った。
俺の体格からするとデカすぎる背もたれで、なんとか落ち着ける位置を探そうと体を捩っているとーー。
「見て、あれ」
横から肩の布を引かれる。
振り返れば......数少ない、片手で数えられるほどの男子たちの周辺だけ、まるで隕石が落ちたかのような空白地帯になっているのが見えた。
「なんか......シュールだな」
「うん」
まるで似合っていないコスプレのような姿の男子と、その周りを一定の距離だけ開けて座る女子たち。
綺麗に三席から五席ずつ空いた空白の中心に座る男子の顔は、まだ入学してもないのに、疲れ切った表情をしていた。
「隣、良いですか?」
「もちろん」
当然、そんなことをすれば他の女子たちは詰めて座る必要があるわけで......俺と真希の周辺の席も、人が集まるにつれ徐々に埋まっていった。
ま、バレるわけないよね。世界一可愛い桃様だもん。
そんな、まるでばい菌のように扱われる男たちを肴に指スマに興じること約五分。中央のステージの明かりが灯る。
降りて来た垂れ幕には、「入学(仮)おめでとう」の文字が............ん? かっこかり?
『静粛に。これより、入学式(仮)を始めます』
かっこかりってなんだよ。
ていうか、口でも言うのかよ。
『まずは、学園長の式辞です。全員、起立』
めんどくさいので座ったままでいたが、真希に小突かれたので渋々立ち上がる。
『礼。着席』
ちゃくせきの「ち」で腰掛ける。
壇上に立った件の学園長はというと、タイトスカートのスーツスタイルで、ワインレッドの眼鏡が出来る女の雰囲気を漂わせている大人の女性だ。遠目で分かりずらいが、三十路後半といった所だろうか?
人の年齢を見分けるのは苦手なので、確証はない。
『新一年生の皆さん。入学(仮)おめでとうございます』
ーーそして、お前も言うのかよ。かっこかり。
『皆さんは未だ入学式(仮)状態なので、私から多くを語ることはしません。一週間後の寮開き、及び正式な入学式の日に、改めてお話し致しましょう』
淡々と話していた学園長は、そこで一度言葉を切った。
『それとーー』
冷徹な顔で、眼鏡をくいと持ち上げると、
『3年前より建設中の男子トイレなのですが、今年も建設を請け負っていた業者が何故か、不幸にも倒産したため、またまた建設は延期となりました。男子生徒の皆さんには申し訳ないのですが、一年間トイレなしで過ごしてください』
全く申し訳ないと思っていなさそうな、悪びれない口調で言った。
「えぇ......桃、大丈夫?」」
「絶世の桃様はトイレなんて行かない」
失礼なやつだな、こいつは。
しかし、俺以外の男子生徒は当然、トイレに行く。
騒つく講堂の様子に構うことなく、学園長は抑揚のない口調で続けた。
『どうしてもという場合に限り、女子トイレを使用することを許可します』
それなら安心ーーとは、ならないよなあ。
「そ、そんなこと、できるわけ......」
低いその声は、女だらけのこの講堂ではよく響いた。
振り返って見れば、空白地帯の真ん中で顔を青ざめさせた男子生徒が、呆然といった様子で口を開いている。
彼にとって、女子トイレに入るという行為がどれだけハードルが高いのか、その表情が表していた。
ーーしかし、対する学園長の視線は、どこまでも冷たい。
『なら漏らせ』
そこには一切の慈悲も、温かみもない。
そして、本来そこにあるべき歓迎の意志も無かった。
静まり返った講堂にヒールの音を響かせながら、舞台袖に捌けて行く。
『起立。礼。着席』
周りが立ち上がっても、呆然と座ったままの男子生徒。
『以上で、入学式(仮)を終わります。新入生の皆さんは、担任の先生に続いて、自分の教室に向かってください』
そんな彼に、忍び笑いが堪えきれていない女子生徒達。
両者の構図はまるで、これからの学生生活を暗示しているかのようでーー。
「............やっぱり、この学校おかしいって」
天童塚女学院。
法律により仕方なく共学化したが、それはあくまでも名目上。制服や更衣室、さらにはトイレまでもが女子の分しかなく、体育の時間も男女合同。ハーレムを夢見て入学した何人かの男子生徒も、由緒正しい家柄の乙女たちによる陰湿な嫌がらせに心をやられ、自ら退学することを選ぶ。
もし生き残れる男がいるとすれば、そうーー。
「可愛い可愛い、桃様だけってわけ」