愛人
私がまず最初に取り掛かったのは、リヴァーを使ってサイアン公爵の未来の愛人『ジニア夫人』について調べることだった。
サイアン公爵が夢中になるジニア・ベルティグリは、この年にはまだ結婚前で今年15歳になるらしい。モスグレイ子爵令嬢として社交界にデビューする予定という話だが、『前回』での話を鑑みるに、来年にはベルディグリ伯爵に嫁ぐのだろう。今年が最初で最後の社交シーズン。彼女を利用したい私にとって絶好のチャンスだった。
「モスグレイ子爵家の資金繰りは、やはり良いものではありません。娘のジニアを年の離れた高齢貴族か成金の商人に嫁がせるのではないかと使用人の間でも噂になっているようです」
コロン王国では爵位は終身制であり、高齢であろうと譲渡することはできない。現ベルディグリ伯爵は54歳で、平均寿命60歳と考えると非常に高齢である。そして気難しい性質らしく、使用人だけでは面倒が看きれず、息子達は嫌がって、後妻に迎えたジニアに介護を押し付けるのだろう。
「借金を肩代わりする代わりに、棺桶に片足突っ込んだ年寄りの面倒を押し付けるって訳ね」
「お嬢様……」
リヴァーが咎めるが、もはや私が8歳に見合わない言動をしたところで驚くこともしない。彼は私が降臨祭の贈り物を言い当てたことや母に毒が盛られていることを伝えたことによって、私が時間を遡ったことを信じたのだ。
あれからすぐにリヴァーはプラムを街に使いにやっている隙に、部屋を漁ったのだそうだ。そうして私の言った通り、用途の分からない薬の小瓶を見つけた。あくまで推測に過ぎなかったので本当にあったとは驚きだ。彼はなかなか頭が切れるようで、中身を砂糖と入れ替えるだけで元の場所に瓶を戻したとか。仮にプラムに毒殺の疑いをかけて追い出したところで、新しい人間を送り込ませてくるだろうと考えてのことらしい。
念の為に医者も母の生家セルリアン侯爵家に仕える者に替えたと報告を受けている。その医者に薬を調べさせれば、麻酔薬の類であることが分かったが、素人が安易に使用して良いものではないと説明されたそうだ。使い方を誤れば薬に依存するようになり、薬に侵された体は強い痛みを感じるようになり、摂取しなければ嘔吐を失神するようになり、やがて精神が崩壊していくのだと聞かされたリヴァーは、自責の念に駆られたようだった。
以来、私の良き手足となって働いている。
「じゃあ予定通り、ジニアを私の家庭教師として雇い入れて頂戴」
ジニアはベルティグリ伯爵の介護人として選ばれるだけあって、家庭的な令嬢という話だ。私に刺繍を教えたり、話し相手として適任だからと、既にモスグレイ子爵家に打診をしている。筆頭執事のタイドにはサイアン公爵の手前、渋い顔をされたが、そんなことは知ったことか。現段階では私が跡取りなのだ。跡取りの健やかな成長の為に必要な人事だと押し通した。
「お母様はジニアの話をしたら、何て言っていた?」
「お嬢様には年の近いご友人がいらっしゃらないことを気にかけていらっしゃったので、御喜びですよ」
サイアン公爵は私達母娘を完全に無視しているし、体調が悪くなってから母は外出しないので、保護者の同伴無しに出歩くことができない私が他家に訪問することもできない。私が外出できるようになるのはグリフィス殿下と婚約してからだ。保護者は義理の母になる王妃というのだから、ふざけた話である。
ほどなくしてジニアはサイアン公爵家にやって来た。
デビュタントは果たしていないが、その支度も我が家で請け負うと言えば、彼女の親は二つ返事で了承したのだった。バイカラートルマリンは彼女を迎え入れる前金として、とても役に立ってくれた。
「ジニア・モスグレイでございます。よろしくお願いいたします」
ジニアは、取り立てて美しい外見の持ち主ではないが、可愛らしく気立ての良さそうな娘だった。
「セレスティーナ様がより良いお時間を過ごせるよう、力を尽くす所存にございます」
そしてその言葉の通り、ジニアは私に対して真摯に尽くしてくれた。優しく穏やかで、思った以上に機転も利いた頭の良い娘だったのだ。本邸の使用人達にすぐに馴染み、私と過ごす時間以外も母と過ごしたり、勉強をしたりと勤勉に過ごしているらしい。
「お嬢様の教育係にと御話を頂いた時は、私ごときには身に余るとお断りしようと思ったのです」
「そんなことはないわ。ジニアは本当は私の教育係で収まるような器じゃないのよ。もっと高度な教育を受けることが出来れば、王宮に女官として仕えることだって……」
私は思ったままに伝えた。王宮の女官は貴族女性が就ける唯一の仕事だった。適齢期になれば結婚し、子を産み育て、最期は子や孫に看取られることが標準的な貴族女性の生涯なのだが、才覚を買われて王宮に勤める女性もいる。しかし、それには王立学院を卒業しなければならない。15歳から18歳の貴族の子女が通う高等学校だ。私も『前回』は通学はしなかったものの在籍はしており、領地から定期的に論文を提出して単位を修得していたのだ。けれどもジニアは家計が苦しく通えないので、その道も閉ざされていた。
「いいえ。お嬢様に出会えたからこそ、私は自分が学問を好きなことに気づきました。お金の心配をするばかりの毎日から連れ出してくれて、素晴らしい生活を与えてくださったお嬢様には、いくら感謝しても足りません。どうかお嬢様に御恩を返せるよう、一生お仕えすることをお許しください」
「……えぇ。もちろんよ。貴女のような立派なレディになれるように私も頑張るわね」
「お嬢様!!」
こんなにも素晴らしい女性が、元の時間では青春を老いさらばえた男に捧げたのか。そして人間の屑のようなサイアン公爵に身を任せるのかと思うと、何だか憂鬱な気分になる。
「本当に、ジニアにサイアン公爵家の跡継ぎを産ませるのですか?」
リヴァーもまた私と同じように思ったのだろう。ジニアが去った後、二人きりになった時に尋ねてきた。
「ジニアが男児を産んだら、あの愛人は用済みになるのよ」
前回の記憶の中で、サイアン公爵はジニアに夢中だったように思う。以前は毎日帰って来ていたのに、仕事だ会食だなんだと理由を付けて帰宅しない日もあったとか。筆頭執事のタイドの話ではジニアの暮らす家に入り浸っていたらしい。きっと今回もまた、ジニアを愛すのだろう。そして念願の男児でも生まれれば、更に寵愛するに違いない。
だけど、やはり気が進まない。
「この話はおいおいね……」
私が決断を避けたのはリヴァーも分かったのだろう。けれどもやはり善良な人間を利用することに気が引けたのだ。サイアン公爵やフラビアの母、フラビア本人、王妃やグリフィス殿下などは不幸になれと喜んで手を下すだろうが、ジニアは何も知らない少女だ。奉公先の幼い主人が、まさか自分に愛人稼業をさせようなどとは夢にも思っていまい。
夜、一人で眠りに就く時も、ジニアのことが頭から離れなかった。ジニアがもしも男児を産めば、グリフィス殿下の婿入りの話も無くなるだろう。王妃の介入は絶対に許すつもりはない。
「神様、貴方ならどうするかしら?」
信じてもいない存在に頼るなどしたことがなかったけれど、どうしてかその夜だけは神に祈りを捧げて眠りに就いたのだった。