リートゥス
それから私は用の無い時でも部屋を出ることが出来るようになった。
これまでは母やリートゥスと顔を合わせることがどうしてか難しくて、ずっと避けていた。多分きっと、順当に公爵位を継げるリートゥスが妬ましかったのだ。そして何の躊躇いもなく母に甘える様子が疎ましく思えたのだ。本当は公爵なんてなりたくないくせに、無いものねだりも甚だしい。
私自身が考えた計画の末に生み出されたリートゥスに対し、なんて無慈悲で無責任な考えだったのだろうか。そんな愚かで浅はかだった私は、まともに顔を見ることさえできなかったのに、それでもリートゥスは優しかった。この不肖の姉に、いつも人懐っこい笑みを向けてくれるのだ。屈託のない笑みで私に読み聞かせをせがみ、了承すると大喜びで膝に乗って来る。そこに打算など無く、心の底から私を信じているのだ。
勝てるわけがない。常に人の顔色を窺っている私が、弟よりも愛されるわけがない。だけど、誰からも愛される弟は私のことを愛している。純粋に私を気に掛けてくれている。嬉しかった。
この時、私は何をおいてもリートゥスだけは守ると決めたのだ。リヴァー達は自由に生きて良いと言ってくれたけれど、例え私自身が死ぬようなことになっても、それだけは絶対に違えないと決めたのだ。私の我がままで生まれてきたリートゥスを幸せにすることが、私に出来る唯一の贖罪なのだと思う。
「姉さま、こちらの本も読んでください」
「えぇ、もちろんよ」
新しい本を差し出しながら、リートゥスは理知的な瞳をキラキラと輝かせる。可愛らしくて頭を撫でると、嬉しそうに目を細めるのだ。どんなに複雑な思いがあろうと、好きにならざるを得ない笑顔だった。
プルシャン侯爵は、リートゥスもまた王家の影響を受けるのではないかと危惧していたけれど、幸いなことに未だその片鱗は見られない。明るく賢く、乳兄弟であるショーと一緒に庭で仲良く遊んでいる。周囲の人間の身分があまり高くないお陰なのか、選民思想に触れることもなく、すくすくと成長していた。
リートゥス自身の成長については、今後も注意する必要はあるが、サイアン公爵やグリフィス殿下のようなことにはならないだろう。歯止めになるだろう人材は十分にいる。
であれば、私が警戒しなければならないのは、グリフィス殿下の乱心だ。結局、歴史修正を行おうと行うまいと、行き着く先はココなのだから、全く業が深い男である。
「お嬢様。プルシャン侯爵がいらっしゃいました」
「えーッ!?姉さまともっと遊びたいのに!!」
名残惜しいけれど、約束だから仕方ない。ぐずるリートゥスを宥めて、プルシャン侯爵が待つ応接室へと向かった。
今日はプルシャン侯爵の方から面会を求められていた。普段は文書で済ませることがほとんどで、公爵家の仕事で分からないことがあれば代理人を頼るので、侯爵が直接訪ねてくることは稀であった。デビュタントの際、侯爵も参加していたので顔だけは合わせているのだけれど。
「御機嫌よう、侯爵。先日は挨拶もちゃんと出来なくてごめんなさいね」
「いえ、私のことなどお気になさらず。遠目で拝見させていただいておりましたが、とても素敵なレディになられましたね」
まるで本当の孫を見るかのように、プルシャン侯爵の目は優しかった。
そういえば、この方は結婚していなかったはずだ。いや、確かそもそも嫡男でありながらも、侯爵位に就く予定もなく、近衛騎士として身を立てようとしていたらしい。もちろん、縁談も降るようにあったらしいのだが、全て断っていたのだとか。今の厳格な姿からすると、随分と破天荒な話のように思う。
けれども、後継者であった弟が急逝してしまったので、止むを得ず退団し、実家に戻ったのだ。それでもプルシャン侯爵は未婚を貫き、後継は弟夫婦の間に産まれた方が就くことになっている。未婚については、何らかの理由はあるのだろうが、それを聞くことは『前回』も『今回』も出来てはいない。
「今日はどういった用件で?」
訪問理由が分からなかったので尋ねたのだが、微妙に顔を顰めて話しづらそうにしたのだ。侯爵は基本的に歯切れの良い話し方をするのだが、今日に限っては何だか少しおかしい。しばらく躊躇った後に口を開いた。
「当家でお預かりしているアルヴァなのですが」
「……アルヴァがどうしたというの?」
何かあったのだろうか。もしかして私に見切りをつけて姿を消したとか?いやいや、そうであるのなら記憶を操作してから帰ってくれないと、事件になってしまうではないか。グリフィス殿下に疎まれている人間が姿を消すって、王家にダメージを与えることが出来るだろうけれど、同様にサイアン公爵家派もダメージを受けるだろう。
「アルヴァが、セレスティーナ様との婚約を見直したいと言い出したのでございます」




