懺悔
執務室に引きこもるようになった私の下に、アルヴァは寄り付かなくなった。以前は用も無いのにやって来ていたのに。けれども、私が【修正者】としての任務を放棄すると言い出したのだから、見向きもしなくなるのは当然のことだ。私が動かない以上、自分で何か画策しているのかもしれない。
コン コン コン
ノックがして、次の書類を侍従が持ってきたかと顔を上げると、ジニアが茶器の乗ったワゴンを押して入って来た。
「お嬢様、少し休憩なさいませんか?」
「リートゥスの世話は大丈夫なの?」
「ローズマリー様が代わってくださいましたので」
屋敷中に気を遣われているのだろう。婚約者の足が遠のいて、傷心だと思われているのかもしれない。しかし、リートゥスの乳母になったジニアがお茶に誘ってくることなんて、彼女の出産以来無かったように思う。丁度、喉も乾いたところだからと承諾すると、嬉し気にお茶の用意を始めた。
「御用意したケーキは、料理長の新作ですよ。ぜひお嬢様に召し上がっていただきたいと言っておりました」
「そう。それは楽しみね」
料理長は祖父の代からいる古参の使用人だ。陽気で朗らかな男で、サイアン公爵が不在の間も私と母の為に美味しい料理を作ってくれた。『前回』は愛人によって推薦状も与えられずに放り出されてしまったせいで、貴族家に再雇用されることは叶わず、市井で食堂のようなものを出したと聞いている。
『貴女は愛する家族を得て、信頼する人達を得た。それを捨てても良いというんですか?』
あの夜、アルヴァの問いに対して、私は大切な人達の幸せを見ていたくないと言ってしまった。
帳消しになってしまえば、安定した生活を送っていた人達が路頭に迷うかもしれないと言うのに、無責任だった。手の中にある幸せを自ら手放す勇気も無いくせに、アルヴァのせいにして、嫌な役目を人任せにして、役目を放り出そうとしていたのだ。理性を失っていたとはいえ、愚か過ぎる。感情の赴くままに心の内を曝け出したって、人を傷つけるだけなのに。
「最近はお嬢様と御話する機会を持てず、御一緒できて嬉しいです」
「仕方ないじゃない。貴女には新しい家族、リヴァーや息子のショーがいるんだから」
私は誰にも愛されないなんて嘯いたけれど、別に愛されていないわけではないことは分かっている。ただ人間関係には優先順位と言うものがあって、私を最優先にしてくれる人がいないだけなのだ。そして誰かの最優先になる為には特別な努力をしなければならない。私は二回目の人生で、その努力をしては来なかったように思う。
「いえ、大恩あるお嬢様の為なら時間などいくらでも作ります」
「フフッ。そんな風に思ってくれているのなら嬉しいわね」
優先されていると思うと気分が良い。だけど社交辞令だって忘れてはいけない。
「ですが、婚約者でいらっしゃるアルヴァ様との時間を邪魔する訳には参りませんし……」
表情に出てしまいそうになるのを堪える為に、ティーカップに口をつける。
「もうきっと分かっていると思うけど、私とアルヴァは外で言われているような関係ではないのよ」
「それはお嬢様がアルヴァ様に夢中で、婚約をせがんだというものですか?」
面と向かって言われたことはなかったが、今はそのように私達のことは言われているのか。容姿の整った貴公子に現を抜かし、我がままを言う娘か。サイアン公爵家を守る為の手段だったとはいえ、あまり良くない状況かもしれない。
「私がそんなことをすると思う?」
「いいえ。思慮深いお嬢様が一時の感情に囚われて行動をするとは思いません」
「それは買い被り過ぎよ。だけど、あの頃は王家が私との婚姻によって公爵位を狙っていたの。跡取りのリートゥスがいたというのにね。それを回避する為に、アルヴァを婚約者に立てたのよ」
ジニアはリートゥスの乳母で、リートゥスの命が狙われているということは聞かされていたかもしれない。しかし、明確に公爵家の敵についての情報を開示されたことはないだろう。神妙な顔つきで、言葉も見つからないようだった。
「だからアルヴァが来なくても心配しなくても良いのよ。もうすぐ学院も始まるし、準備で忙しいのかも――」
「それでも、お嬢様はアルヴァ様がいらしてくださることは嬉しかったように見えました」
「それは」
「私如きが偉そうなことを口を利くことは不愉快かもしれませんが、私の目には今のお嬢様は寂しそうに見えます」
ジニアが何が言いたいのか、何て言って返せば良いのか私にはよく分からない。
「それでも、お嬢様がアルヴァ様を遠ざけたいと思うのなら、私はお嬢様の意に従います」
「ジニア……」
「もちろん、そうするには御家のことなど色々なしがらみがあると思います。けれど、私はお嬢様が健やかにお過ごしになられる為でしたら、そのしがらみを破ることも厭わないでしょう」
そう言って、ジニアはテーブルの上にあった私の手を優しく握ってくれる。
「私はお嬢様に何度も救われました。一度目は困窮する実家から連れ出してくださいました。あのまま実家にいれば、私は金の為に売られ、辛い人生を歩んでいたことでしょう。二度目は私に新しい家族を作ってくださいました。何度生を繰り返しても、返しきれないほどの恩義があるのです」
ジニアが我が家にやって来たのは15歳の頃だ。その年頃に親に売られるかもしれないと気づいてしまうなんて、とても辛いことだったろう。
「私は指図しただけよ。私自身が高潔だから貴女を助けたわけじゃないの」
「分かっております」
「私は私の為に動いたに過ぎないの。王家や公爵家から自由になりたくて、その為に使えそうな貴女や他の者達にも便宜を図っただけなのよ」
「そうだったとしても、今のお嬢様が公爵家の為に寄子貴族の皆様と動いていらっしゃることは、我ら使用人一同は存じ上げております」
真っ直ぐに私を見つめてくる瞳。純粋に私を信じてくれているのがよく分かる。だから心が苦しくなるのだ。復讐の為に私は様々なものを利用し、踏み台にしてきたのだと、自らの行いを振り返ること怖かった。




