疑問
少しの間、泣いて顔を上げると、母もまた泣いていた。立派な淑女のはずなのに、子供のように鼻まで真っ赤にして泣いている母が可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。コラっと小さく怒られて、それから二人で笑い合う。
「ずっと寝ていてお腹も空いたでしょう?今、軽いものを用意させているわ」
「お母様、あの、アルヴァは?」
リートゥスやローズマリー、ジニアは見舞ってくれたけど、アルヴァは顔を出さなかったから気になった。
「アルヴァには遠慮してもらったわ。彼も『淑女の寝室には入ることは出来ないです』って」
「えっ!あ!」
普通は年頃になれば男女がお互いの寝室を訪ねるなんて非常識だ。私に対しては無遠慮なところがあるアルヴァだけど、思い返してみると寝間着に着替える時間になってからは顔を合わせることはしなかった。アルヴァのことを男性として意識することが無かっただけに、思い至らず恥ずかしい気持ちになる。
「貴女達はまだ子供だし、仲が良いことも分かっているけれど、節度は守って頂戴ね」
強く咎められたわけではないが、釘を刺されたのは確かだ。これではまるで、グリフィス殿下が言った『はしたない女』というものではないか。数秒前の愚かな自分が恥ずかしい。
「明日の朝にでも会ってあげてね。彼、とても心配していたから」
「はい……」
プルプラ神に会ったことを何て言おうか。いや、言わない方が良いのだろうか。もし、ニウェウス神が私に隠し事をしているのなら、不都合な話を聞いたと機嫌を損ねやしないだろうか。ニウェウス神の機嫌を損ねること自体は問題はないのだが、私が不審に思っていることに気づかれて、私が不利になる状況に持っていかれるのは非常に困る。
それに『大事な百回目』というのは何なのだろうか。歴史修正には回数制限があるとか?しかし、仮に回数制限があるとして、どうして無能なグリフィス王子に貴重な二回を与えたのだろうか。歴史の修正なんて価値あるものを、怠惰によって同じ過ちを繰り返し続けるような真似をする男ではないと思う。むしろ無能な者達を面白そうに笑って眺めながら、心の裡では嫌悪さえしているように見える。そして自分が無能と思われるのも好きではないと思う。
考えれば考えるほど、堂々巡りに陥ってしまう私に、思い出したように母が言った。
「明日、プルシャン侯爵がいらっしゃるわ」
「プルシャン侯爵が……?」
「お父様が怪我をしたことについて色々と話すことがあるとか……」
サイアン公爵派の筆頭寄子であるトルレンス・プルシャン侯爵。年は私の祖父らと同世代だったはずだが、とても健康で年齢を感じさせない御仁である。若い頃は王国軍に所属するほど屈強な軍人だと聞いている。
『前回』の私が公爵領で暮らす為の許可をサイアン公爵に取り付け、跡継ぎである甥に実権を譲って――コロル王国は終身制だが、高齢になって仕事を切り回すことが難しいなどという理由で跡継ぎに実権を譲り、隠居する場合もある――まで、一緒に公爵領について来てくれて、教育を施してくれた大恩ある人だ。本当ならもっと早くに接触するべきなのだろうが、彼についても少し思うところがあって先延ばしにしていたのだ。
プルシャン侯爵は私の教育について非常に熱心で、良き教師ではあったが、母が死ぬまで殆どサイアン公爵家のことに口を出すことをしなかった。私よりもむしろサイアン公爵を教育し直し、その性根を叩き直すべきだったと思うのだ。彼が私を囲い込んだことにも何らかの意図があったのではないかと勘繰ってしまう。
そして何一つ解決の糸口を見つけることもできず、夜は空けてしまった。
「フフッ。丸々一日寝ていたくせに、目の下のクマが凄いですよ」
小馬鹿にしたようにアルヴァは私の顔を見て笑った。いつも通りの反応で、何だかホッとしてしまう。
サルビアには、退屈だから図書室から本を取って来て欲しいと部屋の外に出したとはいえ、護衛の者が部屋の扉の前に立っているので声量に気を付けて、昨日のことを話した。
「プルプラ神に会ったわ」
「彼女が?」
「えぇ。貴方と一緒に歴史修正を頑張りなさいと言われたの」
全て本当のことだ。だけど私は気づかれないようにアルヴァの顔を窺った。
「彼女にしたら珍しくお節介な話ですね」
「そうなの?」
「えぇ。彼女は基本的に自分の好きなことしかしません。頭も良いのですが、細々と策略を練るより物理に走りがちな方ですよ」
「類は友を呼ぶって奴かしら?」
「おや?私に喧嘩を売っていらっしゃるんですか?」
この応酬だって普段通り。
「神様の貴方がいれば百人力だって言ってたわよ」
「買い被りですよ。今の私は人間なのですから、できることも限られます」
言葉の通りにとらえるのなら、『私は神の御業を使えない、人間と同じくらいの力しか持っていない』ということになるのだが、本当にその通りに思っていいのだろうか。私が疑問に思っていることとか、アルヴァは気づいていないのだろうか?それならそれで良い。これが巧妙な嘘だとしたら私には絶対に気づくことは出来ない。諦めるしかない。
「貴方への伝言もあるわ。『大事な百回目の歴史修正なんだから、失敗しないようにね!』ですって」
正確な言葉ではない。プルプラ神の言葉を使って、彼女が言いそうな言い回しにしただけだ。『百回目』と聞いて、アルヴァはどんな反応をするのだろうか。
「そうですね。彼女の言う通り、一回一回を大事にしなければなりませんね」
しかし、そう簡単に尻尾を掴ませるようなことはない。平然な顔をして微笑むだけで、話は終わってしまった。この面の皮が厚い男の本音を暴いてやるには、私の経験値が足りな過ぎた。




