覚悟
ニウェウス神の恩寵によって始まった私の二度目の人生は、一度目とはすっかり違うものとなってしまっていた。
まず、母が生きている。血が半分しか繋がらないとはいえ弟リートゥスも生まれた。無垢で可愛らしい弟の触れ合いは、荒んだ心を和ませてくれる。リートゥスは優しく健康な母と、乳母のジニア、そしてローズマリーに見守られながら、すくすくと成長している。そこに鬱陶しくも嫌な男も付随するのだが、一応は保護者であるのだから仕方がない。
サイアン公爵がクロリスの代わりにジニアに手を出すことを心配したのだが、ジニアは妊娠したことによって少しふっくらとした体型に変わったので事なきを得たのだった。薄幸の美人が好みだと言う男は一定多数いることは知っているが、幸せそうに笑うジニアには食指が動かないという事実は、何だか私の中ではモヤモヤとした気持ちが残る。
「御子様なんですよ、貴女は」
人間に擬態しているニウェウス神――いや、アルヴァ・ラクテオルスは私の表情を読んで嫌味を言ってくる。彼はコロル王国の守護神ニウェウスの、世を忍ぶ仮の姿である。私の同年の従弟という設定で作った人物なので、交流を深めるように言われている。
アルヴァはリートゥスの御披露目から一年後に我が家にやって来た。神の御業で、ちょちょいと上手くやるのかと思いきや、きちんと親孝行をして来たせいなのか、我が家まで送りに来た母親のベロニカは大号泣で、夫に引きずられるように帰っていった。
『演技が上手いのね』
『自分に優しくしてくれる人間には優しくして差し上げたいんですよ』
そう言ってアルヴァは小さく笑う。その笑顔には、今までのようなわざとらしさは無く、母親を大切に思う息子そのものに見えた。息子を気遣う両親から手紙は頻繁に届けられ、アルヴァはその都度きちんと返信をしていた。私が思うよりも、この神はずっと『人間』という生き物が好きなのかもしれない。
「幸薄い女性は、幸せの基準が低いですからね。頭が悪く気の利かない男でも、ちょっと何かやってやれば喜ぶのですから、さぞ気分も良いことでしょう。独りよがりの他愛もない遊びですよ」
神のくせに自分のことを恋愛における歴戦の猛者とでも思っているのだろうか。
「フフッ。試してみますか?」
「お生憎様。貴方と恋愛ごっこをする予定はないのよ」
ニヤニヤ笑うアルヴァを睨みつけて本に目を落とす。
「残念です」
「心にもないことを」
彼がやって来てから、こういった問答は日常茶飯事になっている。勿論、他の人間がいる前ではしない。家族やローズマリーの前は当然のこと。私の腹心でもあり、ある程度の事情も知っているリヴァーの前でも猫を被っている。彼らの前では、儚げで透明感のある美少年像を作り上げているらしい。
「それで?リートゥスが産まれて一年。貴女とグリフィス王子は、まもなく12歳になりますが、これからどうするおつもりですか?」
「まだ特には考えてないけど……この時代のグリフィス殿下や側近共に会ってから決めたいと思ってるわ」
悪役になりたいとは思っても、人には向き不向きというものがあることを私は知ったのだ。『前回』で私を散々な目に合わせた者達でも、『今回』は私に親切にしてくれるというのなら、復讐の考えを改めてやっても良いと思っている。甘いと思うかもしれないが、罪のない子供を痛めつけるのは、どうにも気が引けるのだ。
「ふーん。そうですか」
「あら。面白くなさそうね」
穏やかな顔をしてるけど、アルヴァは内心では面白く思っていないことが分かる。娯楽に飢え過ぎてやしないだろうか。いや、人の人生を娯楽として認識するというのもいかがなものかと思うが。
アルヴァは王都での生活を非常に楽しんでいた。このお綺麗な顔で、何にでもキラキラとした目で面白そうに見つめる様子は、人の心をくすぐるものがあるのだ。自分が勧める茶菓子を頬張って、美味しいと笑う様子が可愛らしいのだとか。その正体が慈悲も無いニウェウス神だと分かっている私でさえ、惑わされてしまうこともある。純粋な11歳児だと思ってる人々が騙されるのも仕方が無いだろう。
「丁度、王宮主催のガーデンパーティーがありますから、そこで次のことを考えましょう」
「それは良い!楽しみですね」
未来ある少年達を罠にかけて破滅に導こうとしている人間達の会話ではないな、と思う。
問題を先送りにしたものの、アルヴァの言う通り、前回の計画から時間が開いてしまった。
サイアン公爵家の婿入りは8割がた阻止できたと思うが、他国の王女を手籠めにするという歴史の修正には至っていない。これでは、せっかく修正に成功して、私の大事な人達に幸福が訪れても、やり直しになってしまう。どうにか打開する必要はあるのだが、名案が浮かばなかった。
「王宮の料理人達が贅を尽くした料理が並ぶのですか」
「全く食い意地が張って……くれぐれもラクテオルス伯爵家の品位を下げないでくださいね」
「大丈夫ですよ。食事をする姿も美しいとよく褒められるので」
「自己愛が強い……」
「神ですから」
アルヴァの意識は、すっかり王宮で出される食事の方へ移ってしまったようだ。
来週末にはパーティーに着ていく衣装を作る為に職人を呼ぶらしいから、注意してもらわないと。もちろん、食べ過ぎで体型が変わるとは思わないけれど、一緒にいると私も食欲を刺激されてしまうから注意しないと。
夜になって、就寝前に私の髪を梳くローズマリーが微笑ましげに言った。
「お嬢様とアルヴァ様はすっかり仲良しになられて、私は嬉しいです」
「そう?初めてのお友達だから、上手くやれているか心配だわ」
表向きの私達しか知らない彼女が私達を『仲良し』と形容するのは当然だ。そう見えるように振る舞っているのだから。だけどローズマリーは意味深に笑って言うのだ。
「私の前では猫を被らなくても良いですからね」
その目は全てを見透かしているかのようで、私は思わず身を竦めてしまった。
「ど、どうして……」
「だってお嬢様ったら、アルヴァ様が奥様や家庭教師の先生がたに褒められていらっしゃると、何とも言えない御顔になるんですもの。嫌っているとも違うような……いえ、『貴方の本性を私は知っているのよ』とでも言うような……」
当たっている。だって、アルヴァったら、答えが分かっている問題であっても妙に恐縮したり謙虚に振る舞うものだから、背中がかゆくなるというか居心地が悪くて仕方ないのだ。それが顔に出ないように気を付けているのだけれど、ローズマリーには分かってしまっていたらしい。
「流石、ローズマリーね。赤ん坊の頃から私を見てくれているだけあるわ」
「お褒めに預かり光栄です」
「でもアルヴァは物知りだし、会話をしていて面白いから嫌いじゃないのよ?」
アルヴァは『前回』を含めて、初めて出来た対等な立場にいる友人なのだ。『前回』はずっと領地にいて、大人に囲まれていた。時折王都に帰って来たところで、付き合いの無い令嬢達と上っ面の付き合いばかり。別に不便ではなかったけれど、アルヴァとのように気の置けない会話も無いから退屈を感じていたのだ。
「えぇ。分かっておりますよ」
私の心の裡を知りながらも、その心だけに留めておいてくれる。ローズマリーは本当に素晴らしい使用人だ。髪を梳く手の温かさは昔と変わらず、ずっとずっと傍にあって欲しいと願わずにはいられない。そして、この幸福を私の手に留めておく為には神勅に従い、コロル王国が存続する為に動かなければならないのだろう。
「ローズマリー。私、頑張るからね」
「お嬢様はいつも頑張っていらっしゃいますよ」
滅びてしまえば良いなんて自暴自棄な言動を繰り返してはいたけれど、絶好の機会を与えてくれたニウェウス神には感謝しなければならないのだ。私の大切な人達が不幸にならずに済むというのなら、【修正者】として生きていくことも悪くは無いのかもしれない。




