第9話:魔術師の孫
馨が朝食を食べていると弟のタケルがのっそり起きてきた。二人して遅いなーとのそのそ遅い朝食をとる。
「てか、姉ちゃん昨日倒れたんやって?男にここまで送ってもらったらしいやないか」
馨がソーセージをかじって男?と聞き返した。
「風灘の制服着てたらしいけど、知り合い?」
「昨日の記憶が全くないんやけど。わたし、どーやって帰って来たん?」
馨が袋からパンを取り出してオーブントースターに追加で入れた。
「なんや俺もまだ帰ってへんかったから知らんけど、オカンは男前な子が道端に倒れてた姉ちゃんを見つけて届けてくれたって言うてたで」
「母さんは?」
「仕事」
ふうん、と頷いてパンを取り出した。
風灘の男前か。思い当たる奴がひとり浮かんで馨は目を閉じた。さっきの発信機の件もあり、複雑な気持ちだ。
チャイムが鳴った。
あんた出て、いやや姉ちゃん出ろや、わたしジャージやもん、俺かてジャージやんか、そんな会話が続き、結局弟が折れて玄関に向った。
「誰やった?」
馨はコーヒーをすすりながら聞いた。
「姉ちゃんの彼氏やゆう男来てるけど、あれ誰や!?」
タケルは驚いたようにリビングまで戻ってきた。
馨はコーヒーを吹き出した。
心当たりはある。馨がつかつかと玄関まで向うとそこにやつはいた。
「おはよう。馨ちゃん」
いつものように華をしょって在羽ファイは微笑んだ。
「な、なんでおんねん?今日土曜日やで、学校は?」
「今日は自主休講。馨ちゃんは創立記念日でしょ?」
自主休講、聞こえはいいがただのサボりやないか。
「元気そうでよかった」
ファイは馨の顔をみて言った。
「在羽、あんたもしかして昨日…」
その時二人の間にグウという音がした。
「お腹減ったな。僕も何か頂いていい?今、朝食中?それとも昼食中?」
ファイは靴を脱いだ。
「お、おい。勝手に上がるな。家にはわたしひとりやないんやから」
すると奥からタケルがそそくさと部屋に戻る様子で言った。
「俺は出て行く予定なんでお構いなくー」
「タケル!」
「お邪魔しまーす」
「在羽!」
馨は双方に向かい叫んだ。
仕方なく馨はファイをリビングに案内した。
「んで、今日は何の様や?」
むっとした顔で馨は聴いた。
「とりあえずコーヒーとパンを頂いてもいいかな?」
早速テーブルについて頬杖をつき、ファイは言った。
ここは喫茶店やないで、と悪態つきながらも馨は湯を沸かし始めた。
「ご両親は?」
ファイは部屋を見回しながら言った。
「仕事や」
「兄弟はさっきのタケル君だけ?」
振り返ってファイは聞いた。
「そうや」
お姉さんなんだね、とファイは笑った。
「行って来まーす」
玄関からタケルの声が聞こえた。
「あんた、今日なにも予定ないん違ごたん?」
「俺かて、気を遣こてんねんから」
タケルはウインクして頑張れよと言った。
「何をや!お前、なんか勘違いしてるけどあいつは…」
バタン。
そそくさと出て行った弟にだんだん腹が立ってきた。リビングに戻り、馨は聴いた。
「在羽!お前、タケルになんか言うたな?」
ファイはテーブルのパンを勝手につまんだ。そしてきょとんとした様子でファイは言った。
「僕は、お姉さんと(友人として)お付き合いさせていただいております在羽ですって自己紹介しただけだよ」
「(友人として)がなんで小声なんや!?」
じいと睨んだ馨にファイは両手を挙げて言った。
「日本語ってムズカシイねー」
「お前は日本にやってきたばかりの外国人か―!?」
馨の突っ込みにファイは冷静にキッチンを指差して言った。
「馨ちゃん、湯沸いてるよ」
やかんから湯がこぼれていた。馨はあわてて火を止めた。
ため息をついて馨は聴いた。
「昨日、わたしを助けてくれたのは在羽なんか?」
うん、と差し出されたコーヒーを飲みながらファイは言った。
「じゃあ、この発信機を仕掛けたのも在羽なんか?」
うん、とコーヒーをもう一口飲みながらファイは言った。
お前はストーカーか!…なーんて、怒声が飛んでくるんだろうな。
ファイはなんてかわそうか考えた。
さすがに発信機を仕掛けたのは、まずかったかな。でも携帯を持ってないんじゃ連絡とれないし、昨日は明らかに狙われてるような気配がしてたしな。
「…と、う」
馨が何か言った気がしてファイは聞き返した。
「ん?何か言った?」
馨は怒ったように言った。
「…昨日は、助けてくれて、あ、ありがとう」
ファイは意外な顔で馨を見た。
「な、なんや?」
馨の顔がみるみる赤くなっていく。
「…なんでもない」
ファイは馨から目をそらせてコーヒーをすすった。
「…怒らないの?発信機のこと」
逆に気になってファイは聞いた。
「なんでポッコのシールの下に仕掛けて、わざわざ“発信機”って書いたんか意味わからん。あんな仕掛け方したら、見つけてくださいって言うてるようなもんやん!」
馨はファイの向かいに座って言った。
「あれ、非売品のポッコシールらしいよ。可愛かったでしょ?」
今まで付きまとってきたり、発信機を仕掛けたり、夜に倒れたのを助けたり、こいつの行動は何か意味があるのか。
なかなか本題に入らないファイに苛立ち、馨は聞いた。
「今日は何しに来たんや?」
ファイはかばんから本を取り出していった。
「これを返しに」
馨はファイから本を受け取った。それは昨日、南野有との待ち合わせ前に買った本だった。
「!」
馨は本を受け取り、苦い顔をした。
「『西洋魔法と東洋魔法』そんな本買ってどうする気?魔法は使えないんじゃなかったっけ?」
「こ、これは…ただの興味で意味は、ない」
馨はたどたどしい口ぶりで言った。
「へー、大変だね。西の高校生魔術師は」
コーヒーを飲みながらファイは言った。
「ち、ちゃうって言ってるやろ!ほら、もう用がすんだんやったら帰った、帰った」
帰らない、とファイは言った。
「在羽!」
ファイは宙に向って何かを描いた。
「何が起きているか、本当は見えているんじゃない?」
馨は呆然とした。
ファイが宙に描いた魔法陣からは色鮮やかな蝶が飛び出していた。そうしてふっと消えてしまった。
馨は目をこすった。
「あ、在羽…お前はいったい?」
「僕は普通の高校生だよ。少し、魔術が使える、ね」
「やっぱり魔術師やったんか!」
馨は納得した。だから自分に近づいたのだ、西の魔術師と呼ばれる祖母の孫である自分に。
ファイが両の手を合わせると魔法陣は一瞬にして消えた。
「誤解してもらっちゃ困るよ。僕は好んで魔術を教わっていたわけじゃない。これらの魔法は全て君のおばあさんが僕にそれとなく教え込んだものだ。君を守るために」
コーヒーを飲み干してファイはマグカップを机に置いた。
「わたしを、守るため?」
きょとんとした顔の馨の様子を見てファイはそのまま話を続けた。
「生前、ミス・クレアは自分の持つ巨大な魔力を自分の愛弟子たちに授けようと考えていたそうだ。ところが人間というものは欲張りなもんだからね、弟子たちが次々にミス・クレアのもつ魔力を独り占めにしようと考え始めた。それに感づいたクレアは弟子たちに何も与えず死んでしまったというわけさ」
「それを祖母から聞いたんか?」
疑う馨に、ため息をひとつついてファイは言った。
「ついさっきね」
馨が怪訝な顔で聞き返すとファイは言った。
「僕にあるのは魔力じゃなくて、霊感さ」
「霊感って…あんた、霊が見える、とか?」
ファイは頬杖をついて言った。
「見えるよ。時々、霊か人間か見分けがつかないくらいはっきり見える」
ファイは思い返していった。
「僕はそこに目をつけられた。ミス・クレアは家庭教師として勉強を教えながらも、毎日密かに僕に君を守るための魔法を伝授していたんだ」
表向きはファイ自身のために。ファイも勉強の息抜きに楽しんでいたが、まさか自分の孫を守るための魔法だったなんて。なんて食えないばあさんだ、とファイはミス・クレアのほほほという声を思い出して目頭を押さえた。
「ちょっと待って。何でそこでわたしを守ることになるんや?」
馨は片手を突き出して聞いた。
「君だってもう気がついているはずだ。自分に魔力があることを」
馨は固まった。
「わ…わたしには魔力なんて」
「だったらこの本はなに?魔力に気づき始めたのは最近かい?」
まっすぐに馨を見つめるファイに馨は黙った。
目の前の相手がうそをついているとは思えなかった。
馨は思い出した。
祖母が死んだ晩、夢をみた。いろんな模様の読めない文字が体の中に入っていくような奇妙な夢だった。目が覚めたときは、まるで試験前の一夜漬けのような、そんな感じがした。
そうしてしばらくして、見えるはずがないものが見え始めた。水の中や空に文字が見え始めたのだ。
一番驚いたのは、今まで一文字も読めなかった祖母の残した書物が読めるようになったことだった。そして南野有が語った話に違和感を感じた理由もわかったのだ。南野有が語った話を祖母の遺した本で読んだことがあったのだ。それもつい最近。魔術の文字が読める様になってからだ。
馨はゆっくりと口を開いた。
「…最初は、嬉しくて目にみえる全てのものに触れてみたりしてたんや。難波でひったくり犯をこかしたのも、目の前に広がっていた文字に触れただけやった。けど、見えても読むことはできひんねん。読めるのは本に書いてあるちゃんとした文になっているもので、町にあふれる魔法の文字は見えても読むことはできひんし」
かける魔法と読む魔法は違うからな、とファイは思った。
「最近は面白半分で魔術に関する類の書物をあさってたんや。この本もそのひとつや。でも昨日は足元に文字が絡みついてきたんがわかった。魔法は全て安全なもんやないって思い知った」
きゅっと馨は本を抱えた。
「ミス・クレアは君に魔術は教えなかったのかい?」
ファイの問いかけに馨はふっと笑った。
「魔法は面白いと思うけど、わたしには魔法なんか必要あらへんもん」
あたりまえのように言う彼女の姿に生前のミス・クレアの言葉がよみがえった。
見舞いに行ったとき、彼女は病室でファイに言った。この世で一番素敵なものは魔法だとこの歳になるまで思っていたけれど、もっと素敵なものがあったのねえ。あのときの素敵なものというのは―…
複雑な顔をしている馨にファイは言った。
「君が正直に話してくれたので、僕も本当のことを言おう。難波のひったくり事件。犯人の目の前に魔法陣を出したのはこの僕だ」
馨は驚いた顔をした。
「あの魔法陣は一定の魔力がある者がふれると作動する守りの陣だったんだ」
馨はファイに聞いた。
「じゃ、じゃあ、あの時からもうわたしのことを付けてたんか?」
「付けてたなんて言わないでくれる?陰ながら君の事を守ってたんだよ」
ファイは人差し指を目の前に突き出していった。
最初は信じていなかった。本当は、ミス・クレアの言葉が本当かどうか知りたくて、あのときとっさに魔法陣を発生させたのだ。すると、目の前で彼女はその陣に触れ、自分の身を守ったのだ。信じざるを得なかった。
「でもまさかそれ以降、君が面白がって町中の魔法の文字を触りまくるとは思わなかったけど」
じとりとした目でファイは馨を見た。
「な、なんで知ってるねん!」
少し赤くなって馨は言った。まさかこいつに知られていたとは。
「僕と歩いていても、魔法の文字を見かけるとそっちのほう見てたし、触りたそうな顔してたもん。このままじゃあ、僕がそばにいないときにやばいものにまで触ってしまうと思ってね。万一に備えて発信機を取り付けたってわけだ」
急に恥ずかしくなって馨は真っ赤になって顔を背けた。
「わ、悪かったな」
「ほーんと。危なっかしくて見てられないよ。ミス・クレアが心配するのもわかった気がした」
こつん、とファイはマグカップの端をたたいた。
ところで、南野さんの件だけど、とファイは話を続けた。
「彼女は十中八九、君の魔力を狙っている」
馨は顔を上げた。
「やっぱり、という顔だね。心当たりはあるかい?」
ファイは馨に聞いた。
「南野さんの言うてた昔話をくうちゃんの遺した本で読んだことがあるねん。ただ…」
ただ?とファイは聞き返した。
「微妙に話が違うんや」
時は江戸時代。ある問屋の若息子に縁談の話が舞い込んだ。その若息子は町でも評判の美男子で、働き者であった。どうか私を娶ってくれと3人の若い娘が名乗りをあげた。どの娘も家柄は申し分なく、問屋の旦那は大喜びで息子に判断を委ねることにした。ところがこの若息子、実は3人ともと交際をしていた。そうして彼は婚約した。町一番の美人と言われる大屋敷の娘と。婚約者候補の3人以外の娘と。3人はこの若息子を恨んだ。我こそはあなたを一番に愛していたのにと、愛しさがやがて殺意へと変わった。若息子夫婦に第一子が生まれた晩、3人の女たちは屋敷に忍び込み、一人は奪われた唇を思い出しながら若息子の喉を切り裂いた。一人は抱きしめられた腕の温かさに胸を詰まらせながら腕をもぎとった。そして一人はいまだ胸から離れぬ自分の気持ちを抑えきれぬように、心臓をえぐりだした。
愛しいものを奪ったものは何であろうと許さない。
義息子のあまりにも惨い死体を目の当たりにして、大屋敷の大旦那は娘と孫に危害が及ぶことを恐れた。彼は親友の科学者に相談を持ちかけた。そうしてしばらくたったある晩、女3人は再び屋敷に忍び込んだ。今度は若息子を奪った恋敵とその恋敵との間にできた子をこの世から消してしまうために。3人が寝室に入ったとき、異臭とともに襖が閉じられた。しばらくしてもがき苦しむ3人の叫びが屋敷中をこだました。やがて静かになったころ、大旦那が襖を開けて部屋をのぞくと、獣のような形相の3人の女の死体が転がっていた。髪は乱れ、しわが深く刻まれ、目玉は飛び出していた。まるで悪霊にとりつかれたようだ、と大旦那は漏らした。そして、隣にいた友人に心から感謝した。こうして、娘とその子は助かった。
「一緒じゃん!」
ファイの突っ込みに馨はここからやと言った。
大旦那は親友に篤い礼をした。悪霊を払いのけたという彼の薬は瞬く間に評判になった。しかし、これはすべて計算されたことだった。まず科学者は3人の娘と若息子を引き合わせた。彼は知っていた。若息子が女にだらしのないことを。そして町一番の美人である娘と若息子を出会わせた。予想通り、彼はその娘を選んだ。3人の女の怒りが若息子に向き、自分は地位と名声を得るため、邪魔なものを始末した。そしてまんまと江戸の天才科学者として名をはせることになった。
「めでたし、めでたしっと?」
ファイが言うと、馨はどこがやと言った。
「その話の隣に描いてあったのがこの魔法の模様」
馨は分厚い本を取り出すとページを開いてファイに見せた。
「全ての魔法にはひとつひとつに成り立ちのエピソードがあるんだ。この場合―」
馨は頷いた。ファイは言った。
「自分に地位、名声、力を得るために何の罪もないものを殺してしまう呪いの魔法がこれだ」
「南野さんは何だってわたしに話を曲げて話したんやろ?」
馨は考え込んだ。
「さあ。いい予感はしないけど」
ファイは立ち上がった。
「コーヒーご馳走様。用も済んだし今日は帰るよ」
玄関でファイは思い出したように馨に箱を手渡した。
「?なんやこれ」
「開けてみて」
箱を開けると携帯電話が入っていた。
「ポッコや――!」
叫んだ馨の様子を見てファイが言った。
「何で先にストラップに目が行くかな」
「くれるんか!?」
「携帯電話をね」
しゅんとした馨にストラップ付でと付け足すと凹んだテンションが復活した。そのストラップは前にファイが馨に見せびらかしたものだった。
「ありがとう!」
「どーいたしまして」
この子は好きなものとそうでないものとの落差が激しい、とファイは思った。
「いいかい?僕がそばにいないとき何かあったらすぐに連絡するんだよ。アドレスはいれておいたから」
ファイは浮かれ気分の馨の手を握って言った。
馨はわれに返って言った。
「…やっぱ、受け取れへんよ。こんな高いもの」
「じゃ、返して」
ファイがポッコを引っ張ると馨はいやーっと携帯をひったくった。
「ったく。一時的なもんだから気楽に受け取ってよ」
ファイはいつものように微笑んでいった。
「この件が終わるまで。それまでの契約だ」
ファイは帰っていった。
こうして、馨とファイは一時的に守られるもの、守るものになった。