第2話:魔術師への依頼
難波のマクドナルドで由木馨は南野有の話を聞いていた。最近彼女のまわりで起こる怪現象を解明して欲しいと呼び出されたのだ。
「あのう…そちらの方は…」
南野有がちらりと馨の隣でポテトを摘むファイに目をやった。
馨もファイにじとりと目をやった。その目が言っていた、帰れと。
「僕にかまわず話を続けて」
無邪気な顔でファイが笑って言った。
―待ち合わせ5分前。
馨は何度もファイに帰るよう促した。しかし、彼は帰ろうとしなかった。出る言葉と言えば「だって僕は馨ちゃんと一緒に帰りたいんだもん」だ。
馨はため息をついて有に苦笑いした。
南野有は少しためらったが、話を続けることにした。
「お話します。私の家に伝わる因縁の物語を」
時は江戸時代。ある問屋の若息子に縁談の話が舞い込んだ。その若息子は町でも評判の美男子で、働き者であった。どうか私を娶ってくれと3人の若い娘が名乗りをあげた。どの娘も家柄は申し分なく、問屋の旦那は大喜びで息子に判断を委ねることにした。ところがこの若息子、実は3人ともと交際をしていた。そうして彼は婚約した。町一番の美人と言われる大屋敷の娘と。婚約者候補の3人以外の娘と。3人はこの若息子を恨んだ。我こそはあなたを一番に愛していたのにと、愛しさがやがて殺意へと変わった。若息子夫婦に第一子が生まれた晩、3人の女たちは屋敷に忍び込み、一人は奪われた唇を思い出しながら若息子の喉を切り裂いた。一人は抱きしめられた腕の温かさに胸を詰まらせながら腕をもぎとった。そして一人はいまだ胸から離れぬ自分の気持ちを抑えきれぬように、心臓をえぐりだした。
愛しいものを奪ったものは何であろうと許さない。
義息子のあまりにも惨い死体を目の当たりにして、大屋敷の大旦那は娘と孫に危害が及ぶことを恐れた。彼は親友の科学者に相談を持ちかけた。そうしてしばらくたったある晩、女3人は再び屋敷に忍び込んだ。今度は若息子を奪った恋敵とその恋敵との間にできた子をこの世から消してしまうために。3人が寝室に入ったとき、異臭とともに襖が閉じられた。しばらくしてもがき苦しむ3人の叫びが屋敷中をこだました。やがて静かになったころ、大旦那が襖を開けて部屋をのぞくと、獣のような形相の3人の女の死体が転がっていた。髪は乱れ、しわが深く刻まれ、目玉は飛び出していた。まるで悪霊にとりつかれたようだ、と大旦那は漏らした。そして、隣にいた友人に心から感謝した。こうして、娘とその子は助かった。
「めでたし、めでたし…と」
全ての話を聞き終えて、「清流に吹く風の君」こと在羽ファイは手をたたいた。その胸には私立風灘学園の鷹の校章が光っている。
どこがや、とその隣で馨はつぶやいた。
「話はこれで終わりじゃないんです。それから、3人の女たちの恨みは科学者に向きました。思いを阻んだ一番の相手を許さなかったのでしょう」
向かいの席で馨と同じ制服を着た黒髪の少女、南野有は話を続けた。
「科学者は恐れました。そして家族を守るために恨みを緩和する薬を開発したのです。それが、江戸最大の劇薬といっても過言ではない“惚れ薬”です」
まっすぐに前を向いた有と目が合って馨はすぐに言葉が出なかった。それを代弁するかのように、ファイが有に聞いた。
「…何でそれが惚れ薬に?」
有は答えた。
「愛情の反対が憎しみだからです」
それ、ほしいなと言ったファイを無視して馨は聞いた。
「その後、科学者はどうしたん?」
「悪霊になり、もはや獣と化した3人の女に惚れ薬をふりかけました。女たちは科学者を愛しました。そして、副作用が出ました。愛してしまいました、殺してしまいたいほどに」
首をかしげた二人に有は眉をひそめて言った。
「私の家計が代々誰か一人、愛しい人に殺されてしまうのはそのせいなんです」
このとき馨はなぜか奇妙な感じがした。
「まさか。こんな時代にそんな呪いだなんて」
ファイの言葉に有は首を振った。
「先日、叔父が殺されました。お付き合いしていた方に殺されたんです」
馨は息をのんだ。
「代々一人なんです。犠牲になるのは。そして、私には兄弟がいません。次はきっと私なんです!どうか、私を助けてください!」
すがりつくような眼で馨を見つめて有は言った。その姿にすかさずファイが割って入った。
「それはお祓いしてもらったほうがいいよ。僕、いい神社知ってるから紹介しようか?」
ファイが言った。
「だめなんです!お祓いは何度もやってもらっているんです」
有は何度も首を振った。目が涙目になっている。
「ひょっとして君、好きな子でもいるんじゃない?」
ファイは優しい口調で聞いた。
有は涙を拭いながら、はいとうなずいた。
「私、好きな人がいるんです。その人は風灘の人なんですけど、この前その人から、私のことをずっと気になってたって話しかけられて…。でも何度か話をしてるうちに彼が私の話していないことまで知っていることに気がついて…私、怖くて」
「風灘なら僕が知っている子かもしれない。名前を聞かせてもらえるかな?」
有から男子学生の名前を聞いてファイは手帳に書き込んだ。どうやら知らない名前らしい。
「この件は僕が引き受けるよ」
ファイが有の目を優しい眼差しで見つめると、有は赤くなりその目に吸い込まれた。その様子を見て馨はため息をついた。
「…わたし、帰っていい?」
馨の言葉にやがてはっとして我に返り、有は言った。
「だめです。これは呪いです。だから、西の高校生魔術師と呼ばれる由木さんに助けてもらうしか方法はないんです」
馨は飲みかけていた水を噴出しそうになった。なんや、それは。口を開こうとした馨の様子を察知したかのように、有は立ち上がり言った。
「由木さんに助けてもらいたいんです。偉大な魔女の孫である由木さんならきっと…」
有は確信ある様子で馨の手を握った。
(ようやくわかった。この子も信者なんや。―私の祖母、ミス・クレアの)
「水をさすようで悪いんやけど、わたしは魔法も使えへんし、魔力も持ってへんねん」
「でもこの前、難波で大柄のひったくり犯を捕まえましたよね。まるで魔法でも使ったかのように犯人はあなたの前で倒れました。その後、警察が来て…私は知ってるんです。あなたはミス・クレアの孫で魔術師です」
馨は難波での事件を思い出した。あの事件は馨の前でひったくり犯がたまたま躓いたのだった。
「あれは…たまたまひったくり犯がわたしの前でこけただけで、わたしは何もしてへんよ。それに、警察に相談したほうが…」
有は馨の言葉を無視して時計を見た。
「私、バイトがあるので今日は失礼します。また学校でお話します」
席を立った有を馨はあわてて追いかけた。馨は有にハートの中にジルコニアが光ったネックレスを差し出した。
「待って、南野さん。休み時間に渡された、あなたのネックレスを返したいやけど」
有はそれを受け取らず、しばらく馨に預けるといって出て行ってしまった。
「どうかした?」
アイスコーヒーを飲みながらファイは戻ってきた馨に聞いた。
「彼女からネックレスを預かっているんやけど、受け取りたがらへんねや。好きな人からもらった大切なものと言うてたのに」
馨はファイの向かいに座りなおした。と、同時にがたんとファイが立ち上がった。
「なんでそんなもの、預かっちゃったの!?」
ファイは急に真剣な顔をして、馨からネックレスを取り上げた。いや、引っ手繰った。
「あ、預かりたくて預かったんちゃうわ。彼女がどうしてもって言うから」
珍しいファイの態度に馨は少しおののいた。
むっとした馨を横目で見ながら、ファイはカバンから眼鏡をとりだしてかけた。馨はまた何を始めたんだという顔であきれてオレンジジュースをすすった。
(やっぱりだ。このネックレスから邪気が見える)
ファイは眼鏡をはずして馨に言った。
「このネックレスしばらく僕が預かるね」
「でも、早く彼女に返さないと」
ネックレスを取ろうとした馨の手を逆にかわしてファイはその手を握り締めた。
「大丈夫だから。僕に任せて」
ファイは語尾にハートマークをつけて言った。普通ならその目と言葉に思わずため息が漏れるところだが、馨はあほかと言って手を払いのけた。
マクドナルドから出て二人はバス停へと向かった。その道中、馨は有の話を思い出していた。江戸時代の話といい、愛するものに狙われる話といい、何かがひっかかる。
やがて振り返って馨が言った。
「在羽。あの話…どっかで聞いたことないか?」
意外な顔でファイが聞いた。
「あの話って、南野さんの昔話?」
馨は頷いた。
ファイは首を横に振った。
なんか知ってる気がすんねんけどな。馨は腕を組んで歩き出した。その時、頭に何か乗った気がして馨は上を見た。ちょうど真上にファイの顔があった。目があって彼は言った。
「気にしすぎ。あんなうさんくさい話、馨ちゃんは信じてるの?」
ポンポンと頭をたたかれて馨はファイの手を払いのけた。
「…ちょっと離れて歩かん?」
「ええ?どうして」
ファイは自分が歩くたびに周りで聞こえる黄色い悲鳴に気付いていないようだ。ファイが注目されるのはわかるが、馨はファイと一緒に歩いているだけでなぜか視線が痛い。
手を振るな、手を。お前はどこぞの国の王子様か。
ますます眉間にしわを寄せて馨は早足で歩き出した。
「妬かない、妬かない」
きらりと白い歯が光った。
馨の速度に余裕で追いついて人差し指をたて、ファイは言った。
馨の中の怒りのメーターがメモリを大きく振り切った。
「だ、誰が妬くか――!この女こまし尻軽野郎が――!」
馨の右ストレートが見事にファイの左ほほにヒットした。